片翼だけの堕天使 〜凋落〜

(初出:第33号 99.12.20)

第一話、「銀玉酔夢譚」のラストに付け足し。
「僕等は学生パチンカーです!生活まで賭けちゃいませんよ。」
...人は彼等を負師(ぶし)と言う。
 

「あ〜〜〜〜〜〜
...ツカンなあ」
相変わらずの不景気である。資本主義の鉄則として、世の中不景気なら店も出さない。そんで我々も、勝てない訳だ。
かつての大騒ぎはどこへやら。
「源さん」走り疲れたか。フル・スペック機はその極辛の大当り確率のみを残したまま、爆発力を忘れてしまった。
新しく出るCR機はすでに新基準(確変1/2以下、5回リミッター付)である。リーチは多彩を極めるが信頼を失い、ホンの少しの大当たり確率のアップは、見返りに出玉の少なさでカバーして尚余りある。実に面白くない。

そんな折。キューちゃんが面白い台を見つけてきた。現金機「マジカ◯チェイサー3」がそれである。現金機といえば当節は時短機ブーム。大当り後、一定回数まで出玉を減らすこと無く打てるという、ちょっとしたおまけ付だ。この台も例にもれず、5分の4で何回かの時間短縮機能が働く。大当り確率200分の1、その低確率は出玉(約1800発)にきっちり表われている。が、保留玉のメリットを充分に活かした前兆現象が飽きを感じさせない。後日真相が判明する訳であるが、この機種はデジタルの回転時間が長い。なので常に保留玉は出来、お陰で初日は大騒ぎであった。
「前兆3連続〜!来いよ〜リーチぃ!!..来たっ!!!
!!!何か今顔が!!おっ!カーペットだ!....よっしゃ〜〜!」
「この壷がクルクル回るタイミング、怪しくない!?」
「おおっ!保留玉連チャンしちゃったよ〜!すごいなあ、これ!」
「こっちは$$$(時短次回まで)だ!増やすぞ〜!?」

久々の二人勝ちである。並んで座ってお互い箱に玉を移す作業に精を出す。至福の瞬間だが、かつてと違うのは..箱数がショボイのだ。2500発入る箱に1800発しか入らないのだから、必然的に玉を箱に詰める作業が忙しくなる。
初日、アサヒ6箱。キューちゃん4箱半。

一週間に一度、キューちゃんとの連れ打ち(第1、3話参照)はこのように徐々にではあるが舞台を現金機に移しつつあった。CRの新機種はたしかに魅力だが、スペックをみる限りさすがに過剰投資はツラい。前提として、金稼ぎというよりは遊びたい訳であるから少ない投資で半日楽しみたい。そこで..CRの現金機バージョンがクローズ・アップされてくる。
しかし。
世は不景気である。店としては釘は開けられない。いや、確かにお宝台はある。ブン回りとはいかなくとも、ボーダー程度の回転数を確保出来る台は必ずあるのだ。ところがそれでも、ハマる時はハマる。そして、店側の調整でというよりは、メーカーの方がスペックを抑える仕様に終始しているといった印象が強くなってきた。

それを補う為の過剰演出に、我々は眩惑されていた。
馬鹿ではない。盤面の演出はあくまで演出であって、結果は当たりか外れの2種類しかないのは分かっている。この割合は、つまり大当り確率(1:250?)な訳だから、我々は一喜一憂ならぬ一喜百憂(実質的には一喜四憂程度)を耐えなければならない。そして、複雑なリーチも丸一日打っていればもはやパターンは掌握出来るのである。そうなると「当たる可能性の高い」リーチをひたすら待つ。すでにノーマルリーチの信頼度は限りなく0であり、淡々と進む数字が、ズバリそこで止まるのを、息を止めて祈る事は無いのである。

ようやく出会った「マジカル」も、そんな訳で一月持つことは無かった。希有の大甘スペックを、店側が許すはずもなく。釘はどんどんキツくなる。肝心の時短用、小デジタルチャッカーまで閉められては単なる凡庸台。あえて言おう、カスであると。回転数が下がっていることに気付くのが遅れたのは、週に一度という頻度で接していたことと、前述の回転時間の長さ、これにダマされたからになる。そして魅力的だった予告、前兆もすでにパターンが見えており、そうなると通常の回転、リーチが全くの消化事項となってしかもまさに当たらない。いまいましい。

さて。連れ打ちは週に一度のこと。後は各々個人プレーとなる。といってもアサヒの場合、現状で丸一日打てる日は少ない。必然的に夕方から、あるいは午前(午後)の2〜3時間の、暇つぶし的遊戯が主なパターンである。そうなると、少ない投資で大きく勝つ...一発狙いが多くなる。

「ホース◯君DX」、は、そんな大穴狙いにはうってつけであった。大当り確率1/8。権利終了後、10回までのおまけ(電チューの開放時間が長くなる)付きで連チャン率は実に7割を超える。この頃は、オカルトではない攻略に目覚めつつあった。つまり新台は事前にスペック等チェック(攻略誌にて)し、「勝てる」要素のある台を打つスタイルが出来つつあったのだ。この台は、つまり「おまけ」に勝てる要素があった。通常で7割の連チャン率も、10回のチャンスタイムに全てデジタルを回転させてのこと。現状はなかなかそうはいかない。そこで一回の開放でデジタルを2回転させる。この攻略法により、限りなく連チャン率を7割に近づけるのである。
しかし。
当然これも、釘を閉める対象になる。
その昔、攻略法とはプロだけが知りうる「常勝」の技で、我々のようなトーシロが知る頃にはすでに彼等はカッパイだ後。実例を挙げれば、あの「春一番」の永久連チャン打法。それはすでに犯罪に近いが、ランプによるモード確認の方法は、我々が出来るオイシイはずの攻略法であった。ところが喜び勇んで駆けつけた、いつものパチンコ屋は...すでにランプを切ってしまっていた...。

いつの時代も、どんな場合でも必要なのは最新で確実な情報。
我々はいつでも後手後手でまわっていた。特に今現在、パチンコの場合においては攻略法はコンビニで堂々と売られている。客がそれを知るということは、つまり店(の、人間)も知るということで...。

「ホースケ」も、短命であった...。
「チャンスタイム中に3回転って...あるかい!」

再び、かつて。
西原理恵子という戦友がいた(漫画家。もちろん彼女にとって我々は他人)。名著「パチンコにはちょっとひとこと言わせてもらいたい」において、彼女はそのハマりっぷりを見事に描いてくれた。攻略誌の主催するパチンコ講座で、彼女は知らず悪い見本を演じることになる。
「はい皆さんちょっと彼女の打ち方に注目して下さ〜い」
始めはハネ物などを打っている。
しばらくするとデジパチの前で動かなくなる。彼女はいくら言っても分かっていない。「ツッコんだからといって出る訳ではない」ということに。
ラス前は一発台である。これは傷口に塩を塗る行為に近く、大変危険なこと。
ついには目押しも出来ないのにパチスロをガチャガチャやっている。
そんな彼女を振り向かせると....
「私は今、完全に自分を見失っています」と顔に書いてある。
「皆さん、彼女のようにならないで下さいね〜」

我々はこれを、大笑いしながら読んでいたものだった。
...それは自嘲を含んだものだったのだろうか...?

「ホースケ」。投資5千円の1箱確保の状態。これを替えれば5千円は戻る。それでは面白くもなんともない。
時間はあと2時間余裕がある。
(等価で1万分の出玉だろ?5千円で出たから5千円分余計に打てるな。とりあえず10回転。これは回さないとな。)
どこでどう間違えたのか。チャンスタイムで3回転しか回らなかった台だ。しかし、この台は少々ハネ物的要素もあり、玉の寄りによってはうまく電チューに入らないこともある。その不確定要素に眩惑されて、勝負続行である。
...............

確かに。デジタルは15回転した。アツい「まばたきリーチ」も見た。しかし今、出玉は底をついた....。

この時点で5千円負け。パチンコ好きにとっては、たかが5千円。されど5千円(現金)である。金銭の価値がここで表われる。
飲み一回分。2日分の生活費。
アサヒのタチが悪いのは、こんな時「負けを取り戻す為に」頭を働かせることである。さらに困ったことに、パチンコ各種にパチスロと、出来る機種は無限にある。

まずはハネ物。2千円で引くも半箱まででノマれる。(あそこじゃ替えられないよなあ)。ついでデジパチ。3千円でひければ2箱出て戻せる。当然たらればの話。実は5千円でスーパーリーチ1回(ハズレ)の体たらく。さらに3千円買い足しでノー当たり。この時点で学業はすでに放棄。時間は確保で1万5千円、これを戻すには...CRか...1万5千円を追加して、閉店までに6箱確保出来れば...。もはや機械のように、次は..次は...と考えを巡らす。
と、ノーマルで進んでいたリーチがやけに伸びるなと思ったら...当たった。再抽選に息を飲む。333。投資千円(パッキーは3千円分)である。
(よく分からない日だ...)
確変中。数限りなく訪れる当たらないスーパーリーチも、この時だけは安心してみていられる。ハマりも問題ない。とにかく連チャン。目指すは確変絵柄のみ。
888。3回転前に777のリーチを外した時、嫌な予感がしたんだよなあ。
ふう。2箱確保で午後2時。ここからが、勝負だす。回りはそこそこ。リーチのパターンがよく分からないが、確率的にはいけるだろう。
この考えは正論であろう。投資千円で回りもいいなら、粘るに越したことはないはずである。問題は、投資がすでに1万6千円(1万8千円)で、今替えても5千円負けだというのが続行の真の理由であること。そして、新台であるこの台を「よく分かっていない」まま打ってしまったことだろうか...。
1箱はあっさりノマれた。リーチはたまに毛色の変わったものがかかるが、特にアツくもない。最近はスーパーリーチといえば+-1コマが相場。どれがアツいとも言えないし、クソ裏(ヤル気が無くなる出目)もない。
残り半箱で掛かったのはノーマル。1時間半で半箱減である。とにかくある程度、台の特性は理解出来た。どうやら液晶デジタルの背後に流れる、背景にポイントがあるらしい。通常時と違うアクションが生じた場合。ここが最もアツい瞬間のようだ。
そうなると出目はそっちのけである。先も挙げたように、わずか1回の異例を目当てに残り数百回の回転をひたすら耐える。
当然といえば当然の作業であるが、これが実に退屈である。で、機械はその気分を見事に体現する(しやがる)。とにかく当たらない。スーパーリーチも掛からない。背景は常に一定の流れのまま。あーツラい。
再び箱を上げる時、チラと思った。そういえば....

等価の店は、ほとんど行ったことはない。近くにもないし、どうも雰囲気が昔のまさに「鉄火場」で、遊びにくい感じなのだ。買ったばかりの財布をスられたのも等価の店だった。これはまあ、自分に非もあるのだが...ともかく敬遠していた。
たまたま入った店が等価だったと気付いたのは、同じように散財して、CRに救いを求めた時だった。5千円のパッキーを買って、ヤケ気味に座った台が2千円で火を吹いた。リミッターの5連チャンを事もなく成し遂げ、さらに上皿で3連。この時点で投資4万(3万7千円)の4万戻しである。どうする、止めるか?
悩む頭でチラと頭上を見ると...踊る「等価交換」のPOP。回収額は6万4千である。(よし、替えよう)と思うも、小1時間で8箱の「棚ボタ」は止め難い。
(そうだ、等価ならパッキーの借玉も同じじゃないか。これを合わせて5千円分打ち込んで止めにしよう)
この撤退気味の気分が効を奏したか、上皿+3千円分の玉で見事再び大当りをゲット。最終出玉は2万発に達した....。

ここは地元の店。等価交換ではない。しかしこの店でCRを打つのは異例中の異例。再び打つ可能性は少ない。では、残る4千円分のパッキーを使っても問題なかろう。
いぶかしがる隣のオバちゃんを尻目に、再び台サンドにパッキーを入れると、貸出のボタンを押す。勝利の再来を、祈りつつ....。

「勝ちのパターンはほとんどないが、負けのパターンは無数にある」

結果、見事に大当りをゲットせず。あえなく両替は5千5百円。

「負ければ取り返そうとするし、勝てばもっともっとと粘る。」
これは負けの鉄則であるし、中毒の典型である。
しかし現実には、負けは負けで金が無くなる。勝てばこんな機会は逃したくはない。夕方5時の時点で1万3千5百円の負け。これは、すでに生活を侵している。ともかく1万。これは戻さねばならない。しかも今日中に....出来れば。

パチスロは、この時期、あまりヤル気がしなかった。4号機Aタイプが全盛で、大量リーチ目が売り。元々山佐で育ったようなものだから、このシステムはすんなり受け入れられた。しかし逆に、どれも似たり寄ったりのゲーム性が飽きを感じさせる。それに換金率の複雑さ、出玉(コイン)の計算の面倒さ、止め時の難しさ、が、足を向けづらくしていた。
しかし今日などは、背に腹は変えられない。というか、パチンコにもはや魅力を感じない今日はパチスロのゲーム性にすがるしかない。

当り前の単調なハズレ目に、飽きを感じてきたのは早くも3千円目。始めての台でも「7」が見えればもはやいつもの台。

「あ〜〜〜〜〜〜
...ツカンなあ。」
冒頭の台詞はすでに余裕のタメ息ではない。その口調は怒気を含んでおり、絶望のつぶやきと化している。

3万円の負けは、久しぶりではあったが勿論うれしいものではない。徒労とは、まさにこのことである。たかが5千円の負けを取り戻す、最初に出来ていたはずの行為に、3万もの投資をしてしまった...。

「あのさあ...」
と、キューちゃんが切り出したのは、いつもの連れパチ後のいつもの居酒屋。戦果はまずまず。そこで美酒を酌み交わす。いつも?のパターンだ。
違っていたのは、その永遠にも思えた生活に終止符をうつ時期が、おぼろげながら見え始めたということ。
バンドマンでバリバリのフリーターであるキューちゃん。この度バイト先の喫茶店が支店を出すことになった。キューちゃんは、正社員待遇とともに新規スタッフとして異動するらしい。
決して贅沢とは言えない生活を、パチンコで補填?しつつ過ごしてきたキューちゃんは、今ここで人生の転機を迎えるようだ。引っ越しと共に、彼女と同棲を始めるとのこと。
しかし、パチンコの一点でしか付き合っていなかった我々に、特に感慨も無かった。
「そうかあ..じゃあここにはこれないなあ」
「そうなんだよ。パチンコやる暇も、無くなりそうだ....」

彼の日常がどういうものなのか。親兄弟は、交友は、趣味は...?まるで知らない。ただ言えるのは、パチンコが好きで、打ち方が学生パチンカーである自分に似ていたということ。そこに我々の接点はあった。
一緒にパチンコを打つことが無くなれば、あっという間に他人である。
「あばよ、楽しかったゼ」

とはいいつつも、やはり数年の付き合いは情が残る。我々は、「送別会」ならぬ「打ち止め会」を催した。
ま、単純に言えば単なる連れパチの最終回である。台は、かつての思い出「大工の源さん」。ただし現金機である...。引っ越し費用で余裕の無いキューちゃん。そして、あの3万負けがいまだに響いているアサヒ。
確実に、時代は移りつつあった。
投資額1万円。出たら閉店まで粘って、そのまま祝勝会に移行。
......
2台並んで打つために、確実に勝つために、無難な台を選んだつもりだった。現金機といえど、「7」の当たりで6連チャン確定。もちろんアツいリーチ各種。かつての熱気を今再びと、勇んで並んだ1時間。思い出を語り合い、尽きることのなかった前夜の飲み。
それは、死ぬ前の走馬灯のようなものだったのだろうか...?
投資1万円目。掛かったリーチは炎の77。1から始まり上昇する。コンベアが2で一瞬、止まり...高速移動!!!
「778」

11時には、我々は店を後にした。
「元気で..」
「ああ、そっちもな」

この別れが如何に、アサヒにとってツラいものだったかはこの時、知る由も無かった...。

5年目にして4回生。やっとここまでたどり着いた。相変わらず学業に余裕は無い。卒業は5分5分。しかし、何としてもここでアガらねばならない。
給料日である。就職活動を見越して、バイトはすでに辞めている。仕送りだけでも何とか、食べていける生活である。従って、この場合の給料日とは仕送り日のことである...。
収入?に占める支出の中で、何が一番喰うかというと、食費ではなく家賃である。エンゲル係数は高くはない。仕送りは毎月15日。家賃の支払い日は月末である。
察しの通り、この半月で家賃分を稼げるかどうか。ここがパチンコをやる焦点となった。

実は結局、今までと似たり寄ったりであった。たまに勝ち、負けを回収するも、一月では確実に負けを重ねていった。それは娯楽費の範疇にギリギリ収まる額ではあったが、かつてと違うのは、タネ銭(バイト代)が全くないということ。もはや生活を侵している。常に残高を計算しつつの日々が続いた。
それでもパチンコを辞めなかったのは、勝つための努力を怠らなかったつもりだったからである。自分はその辺のジジババとは違う。中毒気味ではあるが、依存ではない、と..。

家賃に対する資金繰が厳しくなるのに、そう時間はかからなかった。1万、2万と家賃に当てる金が確実に無くなっていく。いや、生活費を削れば払えなくはない。しかし家賃を払って後半月、1万円でどうやって暮らせばいいというのか!?
ついには滞納まで経験してしまった。この月は、比較的楽に暮らせた(当然)ものの、次月は更なる苦戦を強いられることになる...。
とにかくパチンコは害悪である。プラス収支が望めないものに入れ込む余裕はないのだ。学校も忙しいし、就職活動もある。ここが止め時か....。
そこまでは冷静であった。
とにかく今月をやりすごし、来月以降パチンコへの投資を借金返済に充てねばならない。その為にはまず、今月の生活費を...。

学校の友達は、ほとんどがすでに卒業していた。連絡をつけようにも皆、社会人で忙しい。しかし他に頼れるものはすでに、ここにはいない。近くに住む友人を呼び出すと、切り出した。
「頼む、3万貸してくれ」と。
友人の反応は、想像と違っていた。
「3万!?何?どうしたの?」
おかしい。家に泊まり合うほどに親しくて、そこそこ信頼を得ているはずだ。
「いや、だから今月ちょっと生活費が苦しくてサ..。」
「そうはいってもお前、3万ったら尋常じゃないぞ?いや、貸したくない訳じゃなくて..お前はそんな奴じゃないって分かってるけど、3万ってお前簡単に出せる額じゃないぞ?何かあったか?お前彼女いなかったよな?じゃああれじゃあないだろうし...」
聞いていて、思った。ああ、そうだよな。確かに普通の感覚でいったら3万なんて旅行でも行けるような額だもんな..。

キューちゃんといる時は、この程度の貸し借りはいつものことに近かった。3万といえば一日の投資額程度の認識である。で、返しは給料日(バイトの)と決まっていた。どんなに借りてもこの日には確実に返済していた。今思えばフリーターのキューちゃんのどこにそんな余裕があったのかは分からないが、ともかく我々はその辺、無謀な程に信頼しきっていたのかも知れない。
普通に考えればやはり、たいした額である。よっぽどのアクシデントが起こったか、浪費でもしない限り、この額は消えない。
「...実はさ、今月パチンコやっちゃったんだよね..バイト辞めたの知ってるだろ?そんで今月苦しくてさ...」
「何?お前...まだやってたのかよ?あの友達がいなくなって止めたんじゃなかったのかよ?」
「いや、ほんとに行かなくなったよ。ただ今月は元々苦しくてさ、ちょっとでも埋めようとつい...」
「お前....馬鹿じゃないんだからよ...
で、今いくらあるんだ?」
「あと半月で1万円...」
「...はあ、それじゃ駄目だな....
...2万。今月はそれだけで何とかしろ。腹減ったら家来てもいいからさ。とりあえずギリギリでもそれで生活するんだ。」

この2万は有難かった。本当は3万で1万を◯◯◯◯(あまりに不謹慎なため自主規制)にと考えていたから、まずは順当。生活するには充分だ。そして、彼に恩を報いる為にも、次月には返済をした。彼は当然、余裕がある時でいいと受け取りを渋ったが、ともかく一度返すと。

半月。持ったのはそこまでだった。
ともかく仕送りがあったから、生きる為にギリギリの生活を強いれば余裕が生まれる。そこにスキが生じる。
2万を返しても、まだ生活にはゆとりがあった。節制は苦でもないが、しかし、返した2万円分は確実に切り詰めを強いられる。
せめて1万、しかし働くとなるとなかなか..一日だけの労働もそうそうないし、入るのは翌月である。てっとり早く...。

すでに依存傾向にある。ここで、なけなしの家賃代はタネ銭に変わる....。
パチ屋に入ると金銭感覚がマヒするのは事実である。新聞には依存症の主婦が子供を死なせるニュースのみデカデカと載るが、その陰にある個々人の転落模様はニュースにはならない。「パチンコにハマって店を開けない豆腐屋」「リストラで昼間からパチンコ屋に入り浸たるしかない元リーマン(背広着用)」..。犯罪を侵し、ギャンブルにつぎ込む人間はクローズ・アップされるが、借金をしてハマる人間には大衆は無関心である。
それは皆に関心を呼ぶ事件ではなく、当の本人も関心がない。物事が、善か悪か判断出来るのは結果が出てからの話である。この隠れた破滅寸前の人々は、単純に大当りの、あの派手なフィーバーと短時間で築かれる$箱の山に魅かれているだけなのだ。ただそこにたどり着くまでに、それに耐えうる資金があるかないか。それがその人自身の人生に影響を与えるだけのことである。(有名人を見てくれ。「源さん」で10万負けたことを話のネタに笑いをとっている某大物歌手。その辺の主婦がこれをネタには出来まい)

アサヒの場合も、その行為が依存であるか正当であるかは結果次第である。「勝てば官軍、負ければ地獄」。
ただ、この時の動機は何かが間違っている。それが何なのか、本人は気付きもしない...。
2万円。この額を取り戻す為だけに、彼は最善?の策をとったつもりだった。しかし本心はどうだったか?単純に一日を面白おかしく過ごしたいだけではなかったのか...?
この話はしかし、次の機会に譲ろう。

どういう経緯によるものか、説明が出来ればノーベル賞もの(古い例えだな..)だ。
運命の女神は年に数回、実に気紛れに微笑む。俗に言う「お座り一発」。しかもズバリ1回転目で3回権利物の大当りを引く日。何をやってもプラス収支の日。はたまた、5万負けから終わってみれば10万回収の粘り勝ちの日(第3話参照)。これらは、常に狙ってはいるけれど、もはや中堅と呼べるほどのパチ歴の中でも数えるほどしかない。
同時に。悪魔が哄笑する日もある。気のせいかこちらは確率が高いような気がするが...何をやってもダメダメ!いくら入れてもムダムダ!...こんな日も年に数回は必ず、ある。
ギャンブルは人を運命論者にさせる。もはやこれらは必然とあきらめ、おとなしく従うしかないのだろうか?
しかし、出るもハマるも運命なら、その運命を操るのも結局は自分。自身の立ち回りということになるのではないだろうか。

アサヒはこの日、まさにこの、年に数回のビッグウェーブを迎えていた。
 

読者の皆さんのご期待通り。
「大ハマリの日」だったのだ・・・。
とにかく、当たらない。確率232分の1。千円当たり回転数は23回。これが2万を入れても2万5千を入れても当たらない。
台移動。確率210分の1は回転数20回。1万....1万5千.... ....。
台を移動した時点で、もはや回収は不可能だった。朦朧としてくる意識の中では、取り返す為の方策がフル回転で練られていたが、その奥底には「一度だけ、一度だけでいいから大当りを...」という、見苦しくもいじましい叫びが響いていた...。

最後の1万円を両替する時。手はじっとりと汗ばみ、震えていた。頭は知恵熱のようにアツイ。意識はもはや、「今さら1万など残しても...1万あれば出ないはずがない」の一点張り。
...誰が、西原を笑えるのか...
しかし、最後の最後で..5百円は残した。
この一枚のコインに、勝利の女神は宿っていたのだろうか?

5万円といえば、一月分の家賃代。生活費にすれば優に3週間分の価値がある。しかしこれをタネ銭に代えれば、わずか数時間の命。単なる紙切れである。
金とは、人が産んだ幻想の産物。架空の意味を背負った価値なき物質。
現実には、これがないと東ここ京では生きていくことが難しい。20代の青年に、貧乏は似合っても、浮浪は似合わない。

帰り道。悲しみも怒りもなく、ただ疲れていた。絶望感にあふれてはいたが、しかし、月日の流れると共に再びラブ・コールを送るであろうことは分かっていた。すでに何度となく経験済である。
辞めるのではなく、卒業するべきだ...。認識と意識に変革をもたらし、自発的に離れるのが最良であろう。
やらないのが一番の勝ちパターンだ...と、悟ったのである。

家に帰ると万年床に倒れ伏し、小一時間、微動だにしなかった....。
この時ほど、キューちゃんの存在を愛しく思えたことはない。我々は、パチンコという一点でのみのつながりではあったが、お互いが相互に保険を掛け合う関係であった。すなわち、二人いるとどちらかが損失を出せば一方が補填し、双方が負ければある程度で止めることが出来た。アクセルとブレーキを2人でかけあうことで、娯楽の範疇に留まったまま、走り続けることが出来ていたのである。
他に趣味もなく、他の相方もいないアサヒにしてみれば、一人で打つということは片翼をもがれたまま、天上を目指すということ。これはもはや学生パチンカーの打ち方ではない。

気付くのが遅かった。常に彼の人生は後手後手である...。
人生に挫折は付き物とは真理である。人の受け方、感じ方は様々だがいずれにせよ複雑な要因が絡み合い、ある瞬間に決定的なものとなって突きつけられる。
アサヒの場合もこの時が挫折であった。思い描いていたささやかな未来像が崩れていくのをはっきりと、感じていた。
結果。彼におけるパチンコとは「依存」であることに決まった。自覚も出来た。
一つの時代が終わったのだ。あの黄金(を、失った)の日々を繰り返すことはもはや出来ないのだ。
高い代償と引き替えに、彼は何を得たのだろう?

現実を事実として受け止める度量を、いつの間にかアサヒは身につけていた。
顔を上げたアサヒの目に涙などなく、平常そのものであった。
それが「大人」になったということなのだろうか?成長かどうかはともかく、アサヒの「地獄巡り」はついに、底辺に達したようである。

...数時間後、彼は受け付け(らしき?)オッちゃんに、学生証、免許証の中身を写取られ、引換に10万の現金を手にしていた。
禁則を設けたと共に、自ら進んで十字架を背負ったのである。まあ苦肉の策とも言えるが。
そしてさらに数日後。彼は再び、引っ越しセンターの入口に集合していた。
もはや学業も遊びもなく。彼は「生きる」為にリアルな道を歩き始めたのである...。

「パチンコ。ありがとう。そしてサヨナラ。
...二度とするもんか!ケッ!!」

(了)

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状況的に一番厳しい時期を書きました。もちろん事実ではありません。趣味から依存に変わった瞬間を自覚出来ない人の転落模様を描いたつもりですが...。書いた本人もツラければ、読む方々にもダルイ内容になったかもしれません。
アサヒのその後は次回にて。描き切るつもりです。



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