舞台に携わって、演出という付加価値を気にするようになった。(情報として)文字だけの小説、絵が加わる漫画、そして音と動きが加わるアニメ。「舞台上で漫画をやっている」(注1)劇団、「新☆感線」の真似ではないが、劇団「零」も初演のコンセプトは「漫画チック、アニメチック」であった。
(注1)「ヤングマガジン」誌2.3号、CLAMP(大川七瀬)との対談より。
先頃より懐かしい友人が参加しているので昔話を入れることにする。小学生の頃、私の交友関係は外型が主で、夕刻の行動パターンに「テレビを観る」というのはほぼなかった。「一人でアニメ観るくらいなら、皆で遊ぼうぜ。」という、団地住まいの幸福な時代、環境に育ったと言える。代償として、長い間「アニメ」を敬遠、いや毛嫌いすらしていた。(といって「漫画」に関しては相当の通人が多く、背伸びの出来なかった私でさえも大いに「鍛えられた」のだが..。)
偏見はかなり引きずったが「エヴァンゲリオン」で一応払拭された。しかし「漫画偏重主義」を広言しているだけあって、漫画作品のアニメに関しては「漫画の方がいい」。今まではその感想で間違いなかった。ところが..。最近のアニメ作品を観るにつけ、「アニメの方は面白くない」とは言えなくなってきているのである。
典型を2つ挙げる。「カウボーイ・ビバップ」は、音楽とアクションという動画の持つ利点を最大限活かした作品として「アニメ」で評価出来る作品である。
もう一つ、「フリクリ」は、技法の進化(注2)を目のあたりにさせてくれた作品。声優(台本)と動画(デジタル画像)の、である。
(注2)CGの凄さに関しては、百聞は一見にしかず。他の好例としてはフルデジタルアニメーション作品「青の6号」。
そう、テンポなのである。今まで毛嫌いしていた第一の要因は。「まず漫画ありき」の人間だからアニメ化される際の余計な挿話、あるいは省略(注3)が気に喰わないのは差し引くとしても、劇中の台詞の掛け合いのもたつきにイライラしていたのだ。アニメに対するアテレコが映画のそれと別物になり、この問題はクリアされた。もう一つ、動画でありながらの動作不足(?)。同じカットを上下左右に動かされても、それは動きとは言えまい。それならば「(最高の)瞬間を切り取る表現」に秀でた漫画で事は足りる。ストップモーションを3次元にグリグリと動かせる現在の技術なら、充分に「動き」を売りに出来る。
(注3)概ね原作を30分枠に収めるための調整。原作との進捗状況の兼ね合いで生まれるもの(と、今回は括っておく。アニメ側の監督の意図、演出、思い入れ等々が原作に無いエピソードを産む、あるいは別の展開になる、などの場合もあるがそうすると「別の作品」として評価を分けなければならなくなり、今回の話が成り立たず)。
ここまでアニメの「出来ること」が見えた状況で、存分に活かされた作品が面白くないはずはない。音楽、声、動き。これらがテンポ良く噛み合った作品は、時として「漫画(作品)」を越える面白さを持つのかも知れない。
「フルーツバスケット」は、予想外の静かなオープニングで始まる。監督は大地丙太郎(注4)。主人公の本田透は典型的な「少女漫画の(主人公)」であり、内容も右に同じ。原作は今も連載中(高屋奈月・「花とゆめ」誌)だが、アニメの方は次回が最終回である。「やっぱり漫画の方が面白いや」とは、言えないかも知れない。
(注4)余談だが、音響監督もやっている所、個人的に評価したい。