今号は、やらないかとも思ったんですが。漫画は読んでいたので近作紹介(先に言っておきますが手ヌキじゃないです)。近作と言っても1年ほど前になるんですけどね..今月は江口寿史の「キャラ者」出てましたね..買いに、行かなきゃ...。...。
連載中の作品の、単行本について。一旦途中まで集めてからしばらくずっと読んでいなくて、(今)どこまで出ているのか気にはなるけども、まあのんびりと機会を待っていると、意外な時に意外な場所で巡り会うことが、あって、そういう場合が私にとって望外の喜び、ちょっとした収穫日になる訳です(その為に何度も無駄足を踏むのですが)(作者の真のシンパとは言い難いですけど)。
例えばこんな日。最近は電車を使うことが少ないので駅前に行くことは滅多にありません。かつては毎日のように立ち寄った古本屋も、従ってマメに通うことはないのです。たまたま買い物の用で駅前に出かけ、まあそうなった時は当然のように古本屋に寄る訳です(用件よりも先に、です)。回転率の悪い事で有名?な某駅の古本屋連。今回も期待はしていなかったのですが..さすがに何ヶ月もたつと多少は変わっているものです。そしてたまには自分の好きな作品の新刊が並んでいることも、あるんです!
そうなるとまずはそれらを確保。さらにはこの機会に、とあれこれ目に付くものを買いに走るのです。この辺の心理は身に覚え、ありますよね?(読者を忘れて書いているのではないのです)。レジを出る時には、そもそもの用件をすっかり忘れて即帰。いや、忘れている訳ではないのですが、懐が寒くなっているので..後日に仕切り直しです(そしてその頃には、古本屋は再び「いつも」のラインナップに戻っているのです)。
なかなか本題に入れません。そうして久々に買った本。果たして話はつながるのでしょうか?(自分の中で)。そしてハマることが、出来るのでしょうか?
経験則ですが、ほぼ大丈夫ですね。そもそも続きが読みたい!と常々(何気なく)思っていたから買ったのであって、その期待を裏切るような漫画家の作品を、私は買い続けはしないのです!
となると、これは作品だけでなく作者についても当てはまりますね。好きな漫画家の、単行本について。一旦いくつかの作品を集めてから〜(以下同文)。
なかなか本題に入りません。何故ならここから一気に(しかも自己解釈のみ!)紹介をして、終わるからです。
まず芦奈野ひとし「ヨコハマ買い出し紀行」。第56話(7巻収録)、久々にキました。こう、背筋をゾクゾクと。そう、この作品の最初のノリって、こういう感じだったんですよね!?基本的に人とロボットの共生の難しさっつーか、アルファには相容れないような距離を感じたんですけど。はっきりと言葉になっているのは第45話(6巻収録)マッキとの会話部分。「私(アルファ)はみんな(人間)を傍から眺めているだけかもしれない」。でも、変わるから哀しい、変わらないから美しい..思春期の少年(タカヒロ)にとってはそうも思える訳です。淡い、でも確信された想いが霜の下りる朝の清廉な情景と重なって..良かったです。
次に...。マンネリだなあなどとデビュー(ちょい後)以来の読者として不遜な思いを抱きつつ、気付けば全作網羅の桑田乃梨子「一陽来福」。本筋の展開よりも手書きのヤジ馬のセリフをメインに読みつつ、気付けば読み終わって気持ちが軽くなっているのは何故でしょう?話読んでたか?俺。第5話(単行本P130〜131)の柚香の表情が、「薔薇色」の森島そっくりだ〜変わらね〜とツッコミつつ、気付いたら電車内なのに満面の笑みを浮かべていたのは事実でありマス。自分にとっては珍しく、絵本位の好みで買い続けている部類に入りますが、実はこのお気楽な作風が何より気に入っているのかも知れません(あるいは少女漫画にあるまじきノリか?「伝説の笑介コケ」(注)をする少女漫画の主人公..?)。
新人には優しくない読者と言えます(確かに近頃青田買いが大分苦手)。が、出会いと別れを繰り返してこそ一生の付き合いが出来ると言うものです、よね?
(注):蛇足です。笑介とは、「スピリッツ」誌(後に「スペリオール」誌)に掲載された聖日出夫「なぜか笑介」(同「だから笑介」先頃終了)の主人公。驚いた時などに「ズッ!」のオノマトペとともに用いられた特徴的なjjj(分かります?)が当時同「スピリッツ」誌に掲載の相原コージ「コージ苑」にて忍者の武器として(パロディ的に)用いられて有名に。(記憶に基づく説明なのでデータの確証無し)
ちなみに桑田乃梨子の作品では「男の華園」第15話(3巻収録)に出てくる(厳密に言うとちょっと違うけど..あえて説明(そして「ズッ」の効果音)までつけたところが良し)。