気がつくとこのところ自分の通読している作品の終了が相次いでいる。コンビニ勤務であるから、読む雑誌、作品はたくさんあるが分量としてはほぼ一定量で推移している。つまり何かが終われば何か別の作品を手にするように、休憩時間との兼ね合いでバランスをとっているらしい。ただ今時期のように、いくつかの作品が同時に終了すると新しい気になる作品は出てきにくい。「冬の時代」の到来である。ということで今回は逆に、終わった作品について考察することで漫画への興味の存続を計ろうと思う。多少ネタバレの話も出てくるが、出来る限り内容について紹介することは避けるので影響は少ないはず。逆に分かりづらさは作品を読んで捕完して欲しい。
(やけに大げさな言い回しが多いのは、最近「機動戦士ガンダム」を観ている影響と思われる(笑)。ご勘弁を。)
槙村さとるの二大作品がこのほど終了した。同時期終了にはご自身の結婚という事情があったのかも知れないが。女性マンガの大家と言える彼女の最近作は変わらずの実力を魅せてくれたと言える。「YOUNG
YOU」誌(集英社)の「おいしい関係」は大円団で、「コーラス」誌(講談社)の「イマジン」は破局を力強い希望に変えて、それぞれ締めくくった。どちらも主人公の成長が描かれた訳だが、興味深いのは脇役の人物たちもそれぞれの成長を見せて、物語の一段落を迎えたという所である。いずれ取り上げたいが、少女(女性)マンガはこのように、主人公たちのみならず周囲もそれぞれ大円団を迎えて(とはいかないまでも、一応の展開を見せて)終了する型が多い。
対照的な型は少年(男性)マンガ。あだち充の「H2」(「少年サンデー」(小学館))のラストは、主人公たちの新たな出発で物語は終了した。しかし、断片的に語られた脇役たちのロマンスなりドラマはほとんどが未解決のままである。いや、確かに終了近くにそれなりの落ち着きをみせてはいるのだが、完結に結び付くものではない。
どちらが現実的かと言えば後者の型であろう。物事は同時期に全て展開を見せる訳ではない。しかし物語としてどちらがスッキリするかといえば前者の型が後腐れがない。本編が終了した後、番外編やら後日談の形で作品(の人気)を利用するには後者の型が適している。この辺、少年漫画と少女漫画の戦略の違いと言い切れなくもないが..単純に話の型によるとも考えられるので何とも言えない。
疑問をふっておいて結論が出せないのは腑甲斐ないが..特徴の一つとして挙げておくにとどめたい。
ギャグ漫画として始まりながらも、中心に「家族愛」を置き(別冊宝島「ザ・マンガ家列伝」インタビュー記事参照)、あたたかいラストを迎えたのは阿部潤の「the山田家」(「ヤングサンデー」誌(小学館))。途中相当コワレた展開を見せ、作者の精神状態が危惧された(私見)が、結論をみる限りあくまで実験的要素であったようである。しかし「愛」について語られた最終回はストーリーとして成り立ちづらかった展開を思い返すと説得力に欠ける。様々な要素を詰め込みながらストーリーとして成立させるには、まだまだ試行錯誤を繰り返さなければならない段階にあると思われる(エラソウ)。次作に期待したい。
次回が最終回という作品も紹介しておこう。
4コマ漫画ながらストーリー重視系(造語)、の大家である小池田マヤの「すーぱータムタム」(「まんがタイムラブリー」誌(芳文社))は、大円団を迎えそうだ。他の連載作品が結構シビアな展開にあって、この作品も相当リアルに恋愛の暗部を描いていた。しかしラストが救われるのは有難い。小池田マヤ、こいずみまり、有間しのぶ、(内田春菊)。彼らの描く恋愛4コマは単純に甘くない。いずれも著名ながら特記しておく。
最後は以前取り上げた高橋ツトム「地雷震」(「アフタヌーン」(講談社))が、次回終了であることをお伝えしよう。結局、主人公に関わる人物は全て哀しい目にあってしまった。生と死が語られることになりそうだが、物語は途中からある女性刑事の視点に移っている。主人公に戻ることになるのか注目だ。連載中に、私はある作品で作者の人となりを知った(「平成よっぱらい研究所」二ノ宮知子(祥伝社)等。ちなみに「平成〜」では他にも色々な漫画家の私生活を伺う事が出来る。エッセイ漫画好きにはオススメ)。作者なりの哲学、美学が満載された本作品。結論が楽しみだ。
さて、今回このように私の現在通読している作品を紹介したのだが。実は全て、単行本は持っていない(集めていた作品もあったが、現在ハ所持セズ)。昨年の大量売り払い以来、めっきり買うことが無くなってしまった。集めている作品でも、現在連載中のものはわずか。それも1年〜3年遅れの所持状況である。また雑誌にて通読とはいっても、実際は昨年辺り全く雑誌購読していない時期もあったから、ストーリーを説明するなどおこがましい限りである。文字通り「読み捨て」をしている「漫画読み」であって、最終回を読んでもたいした感慨はない。
その辺、自省を思うところがある。こんなメールをもらって、更に強く思った。
(抜粋)
>抜刀斎。いや緋村剣心。
>今日、おれにとってひとつの時代にピリオドが打たれた。
>買ってきたよ、「るろうに剣心 28巻」 最終回だった。
>だが・・・
>ついに終わってしまったんだね。いつかは終わるものと分かってはいたが・・・
>こんなにおれを熱くさせ、面白い!って思った漫画は、「やじきた」
(編注)「やじきた学園道中記」市東亮子(秋田書店)
>以来だったな。その頃以来の感動&娯楽性を秘めていた。大絶賛だ。
>覚えてるか?あの冬の夜の事を。(パクリっぽい)
>一緒に古本屋に行ったよな。そこでおれは始めて「るろ剣」に出会ったわけだ。
>それ以来すっかりファンになったおれは、古本屋にも行ったし、新刊も
>買って読んだ。いつも心を熱くしながらな。
>だが、それも今日で終わりだ。
>緋村剣心は、2度と闘うこともないし、新しくおれの前に現れることもない。
>これで終わりかと思ったら、熱いものがこみ上げてきた。
>「この目にうつる人達だけでも守っていきたい」
>これからは、おれもそう生きるよ。緋村剣心のように。
>ホントに好きだった。なんでもっと続かないんだ。
>でも終わったという事実も受け入れねばなるまい。
>「るろうに剣心 明治剣客浪漫譚」
>ありがとう。そして ・・・さようなら。決して、忘れることはあるまい。
差出人の名前は出せないが(許可済)、簡単に説明すると、私の親友。漫画は人並みに。今は購読漫画誌なし。典型的なかつての漫画読者という訳だ。私はそういう人に向かって「今の漫画も面白いよ」「まだまだ漫画読もうよ」と呼びかけてきたつもりだった。しかし、彼にとって漫画はすでに興味範囲ではなく、故に数少ない出会った作品を本当に楽しみに、感動を持って接しているようである。
...私は、どうだろう?自分の中で「ひとつの時代だった」と位置付けられるような作品に、いつから出会っていないのだろうか。あるいはそのように接することが、いつから出来なくなってしまったのだろうか..?
漫画読みとして、自分の姿勢に疑問を感じずにいられない昨今である。しかし紹介した作品は全て秀作であり、皆さんの心に何かを残すことは間違いない。出会う機会があれば手にしてもらいたい。
(何だかオチのような結論になったが、次号以降も紹介を続けます。よろしく〜!)