タカハシの目 第9回
(初出:第16号 98.7.20)
ねこぢるが亡くなって、いくつかの作品が未完のまま終了となった。考えてみると、この未完の作品というのが漫画を読んでいくなかで結構でてくる。完結に至らない理由は様々だが、物語として結論がでていないというのは具合が悪い。今回はどのような経緯で未完のままとなっているのかを挙げつつ、そんな「未完の作品」を紹介してみたい。
どのようにして「未完の作品」となったのか。大きな理由はまず、2つに分かれる。作者の意思によるものと、よらないものだ。この2つを柱にしてまとめてみた。
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作者の意思による未完結
a.ストーリーの破綻
b.作者自身の創作意欲の欠如
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作者の意思ではない未完結
a.(不人気によるものではない)打ち切り
b.イレギュラーな出来事
1−aの型。そして2−aの型は共通する問題を主因としている。人気至上主義や週間連載といった「作品に奥行きを求めない」体制が生んだ不幸な出来事だ。これは現在においては商業漫画の欠点と言い切って差し支えないだろう。漫画が表現の一形態であり創造物である限り、「始めに読者ありき」という商業的な原則は何かが違う。「売れなければしょうがない」という真理は確かに分かる。しかしそこには必ず限界があり、事実現在の状況は「売れるはずの作品が売れない」のである。そして、これはそのまま読者側の問題とも言える。現在の漫画界の広大さを考えてみれば、読者はもっと貪欲であっていい。自分の読みたいものを「探す」ことに、もう少し積極的になる必要があろう。漫画家にとって不本意な結果といえる、これらの型の作品は挙げない方がいいだろう。
1−bの型。これは漫画家の問題であり、読者はただ、待つしかない。藤原カムイは「H2O」、「彼方へ−Dr.カントの宇宙創世紀」、「新約聖書」(注1)などの作品が未完のままである。いずれも「神話の再構築」というテーマが根底にあり、結論が出ていない。高河ゆんの「源氏」(注2)、高橋留美子の「人魚シリーズ」(注3)、また上條淳士の「SEX」(注4)なども同様に結論の部分を残し中断されている。終わらせる以上はきちんと終わらせてもらいたいし、とはいえいつまで待てばいいのか。なかなか難しい。
そして2−bの型。これは様々な理由を持つ。一番辛いのが「死」による未完結。もはや続きは永久に読めない。ご自愛していただきたいものである。一番可愛相なのが「掲載誌の廃休刊」による中断(注5)。これは仕方が無いとしかいいようがない。そして一番不思議なのが「話が途中で中断されている作品」だ。例えば川原泉の「バビロンまで何マイル?」(注6)。今の所考えられるのが、「完結したのだが単行本にする容量が足りない」という理由だ。しかしこの例の場合、どう考えても直後に完結したとは考えられないのだが..。古い作品になるが谷津太郎の「キング・オブ・ザ・ハスラー」(注7)も次の巻が一向に出されない。作品として世に出ている以上何らかの形で終わらせて欲しいものだ。
(注1)「H2O」徳間書店アニメージュコミックス1〜2巻、「彼方へ」「新約聖書」コア出版刊
(注3)「人魚の森」「人魚の傷」ともに小学館少年サンデーコミックスペシャル全1巻
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