タカハシの目 第7回

(初出:第14号 98.5.20)


 怪奇漫画は読めないのだが、人でないものが登場する漫画は読んでいる。どうも「絵」的なもので選んでいるのではなく、「救いようのない」話がダメなようである。あまりにドロドロしていて、陰惨な内容の作品、また極端なオカルト物は受け付けない。人間の本質を鋭く突いた怪作というのはここから生まれることもあるから(楳図かずおの作品とか)、本当は読んでもみたいんだけど。幸か不幸か未だその機会を得ていない。

 山田章博の初期短編集「人魚変生」(注1)は、そのイメージから「耽美」の文字を付けられているが、別段そんなことを気にする必要は無く、読み物として非常にすっきりとまとまった作品が集まっている。登場する人外の化生は、人魚、悪魔、霊、仙人、狐(但し全て別個の作品に登場)。全体的な印象を先に挙げておくと、文章が特に多い訳でもないのに、小説を読んでいる感じ。一コマ毎に非常に多くの情報を内包しているようである。良質の「挿絵」が物の怪のイメージを広げる、ぜいたくな作りである。それが特に表われているのが「影婦人異聞」という作品(注2)。新しく越した家に幽霊がいる。気にせずに暮らしていたらその幽霊が、おまえは私と同類だ、と言い残し消えた。簡略してしまい失礼だが、こんな話である。このセリフが最後に繰り返される。画面には主人公がひとり煙草に火を付ける姿のみ。影に狐のしっぽが写ることで、そのセリフを裏付ける。読み手をして強くイメージを広がせられる、粋な構成といえる。

さて、妖怪がでてくる話とくれば当然それを退治する人がメインとなる話も、ある。古典では有名な陰陽師、安倍晴明の半生を描いた岡野 玲子「陰陽師」(注3)。安倍晴明の生きた平安時代の陰陽師は、退魔師としての役目も担っている。しかし彼の姿勢は単純に妖怪を「悪」とは決め付けていないようだ。「倒す」というよりも「導く」といった感じ。一つの話の前半部に、必ず親友、源博雅との会話が入る。この優雅な掛け合いが、見事にこの物語のイメージを表わす。

 人魚の肉を食べてしまい、不老不死になってしまった人間を描いた高橋 留美子「人魚シリーズ」(注4)は、「人間」と「妖怪」の間に生きるものの苦労をしみじみと考えさせてくれる作品。それは別の立場に置き換えて考えることも出来る。虐げられる者の悲しみと、虐げる者の容赦なき暴力。かなりきつい描写もあり、作者の作品にしては珍しい型であるといえる(注5)。惜しむらくは、結論が出されていないことである。続編を気長に待ちたい。

 「物の怪」は、時に神様とも呼ばれる。それらの登場する物語は「神話」と言って古代から語り伝えられてきた。最後に紹介するのは中国、インド、日本の神々が登場するまことに壮大な物語、諸星 大二郎「孔子暗黒伝」(注6)。とにかくこの三国の神話をつなげて解釈したのは、フィクションとはいえ素晴しいものである。様々な故事、旧跡を改めて意味付けしていく展開は、まさに物語りというにふさわしい。名前だけは知っている..といった程度の認識しかない孔子の、何と生々しいことか。主人公ハリ・ハラの数奇な運命の、何と趣深いことか。

 人でないものの登場する作品は、我々に変わった価値観を提示する。一読をお勧めする。

 

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