リチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』から詩を抜粋して野上(詩人であり友人)の会社にメールを送ってやった。わたし達は度々、仕事中にもかかわらず意見交換や仕事の愚痴や詩をやり取りしている。詩はほとんどが自作で野上から送ってくる方が圧倒的に多い。この日、わたしはブローティガンのお気に入りの詩を興してただ無意味に送ってみたのだった。ところが、この詩を私が書いたものと錯覚した彼は、自信を喪失したのか「筆を折る」と言い出したのだ。18歳から書きつづけている男がそういうのだ。だがわたしは面白がるでもなく、先に送ったブローティガンの詩を「オレが書いたものではない」と否定しなかった。
なぜなら詩人には自己喪失が必要だからだ。
『わたしが誰か、あなたは知りたいと思っていることだろう。わたしはきまった名前を持たない人間のひとりだ。あなたがわたしの名前をきめる。あなたの心に浮かぶこと、それがわたしの名前だ。
『たとえば、ずっと昔に起こったことについて考えていたとする。誰かがあなたに質問をしたのだけれど、あなたはなんと答えてよいかわからなかった。それがわたしの名前だ。そう、もしかしたら、その時はひどい雨降りだったかもしれない。それがわたしの名前だ。
『もしかしたら、子供のときした遊びのこととか、あるいは歳をとってから窓辺の椅子に腰掛けていたら、ふと心に浮かんだことであるとか。それがわたしの名前だ。それとも、あなたはどこかまで歩いていったのだ。それがわたしの名前だ。あるいは、あなたはじっと覗きこむようにして、川を見つめていたかもしれない。あなたを愛していた誰かが、すぐそばにいた。あなたに触れようとしていた。
触れられるまえに、あなたにはもうその感じがわかった。そして、それから、あなたに触れた。それがわたしの名前だ』