奇跡的な夜というのがある。この日がそうだ。
アメリカでの七年にものぼるヒッピー生活がものをいう。目深にかぶったカウボーイハットと大方は白で覆われてる髪とひげ。その名がそのままカントリー音楽をあらわすマール・ハガードの”Silver Wings”が由来のバンドのヴォーカル兼『レモンカントリー』のマスター、チャーリー渡辺が歌う夜。
野上は、競馬新聞のたよりにならない「好調維持△」の見出しをあざ笑う「◎」でゴール板を駆け抜け、この日、ラップ歌手エミネムのアルバムを買ったばかりの菅原も、テキサスの『サンアントニオの薔薇』や西バージニアの『故郷へ帰りたい』に手拍子を繰り返した。わたしはといえば、偶発的に訪れた「アントニオ猪木の60分フルタイム」がいま目の前で繰り広げられていることの奇跡に酔いしれる。
わたしは自信の感情を悟られるのを拒む性質で、恥ずかしがり屋であるから、よっぽどの演奏にめぐり会っても曲が終るのまでは感情を表現しない(表現といっても拍手だけだが)。だから雄叫びを挙げたり、リズムにあわせて拍子をとったり、まして灰皿をカチカチ鳴らす初老の紳士A、画用紙にステージの模様を描きながら踊る紳士B、英会話講師風のアメリカ人(?)、それにどこかの部長や課長らの先導役となり、率先して歌詞をハモっている自分にはすこし驚いた。楽天家の野上が一軒目のちゃんこ屋ですでに出来上がっていたことも多分に影響はあろうが・・・。
「おおっボブ・ウィルスとテキサス・プレボーイズ!」「コットンフィールズだべや!」ただ、往年の歌手や曲名を叫んでみては歓んでいる野上に、わたしは「これでまた一週間生きられるな」といった。ガハガハと肩で笑いながら、顔はアコーディオン奏者をむいて、野上は三度もうなずいた。カントリーに縁のない菅原も堅床を踏み鳴らしている。
プロレス、サッカーから大学のマジックショーや自衛隊の吹奏楽コンサートまで観てきた経験豊富なわたしが断言する。この日、この夜、金曜日の国分町、ホテルリッチ裏通りの黄色いビルの五階にある、生のカントリー音楽演奏が売りのライヴハウス『レモンカントリー』では、さながら映画『ブルース・ブラザース』並みに盛上った。実際「ローハイド」も歌われた――ビールジョッキが飛んでこなかったのは幸いだったが。白の高級ウールに身を包んだ中年の女性が、実にあたり前に通路に飛びだしラインダンスを踊るほどの昂揚。わたしは思わず陳腐かつ大胆な「ボルテージは最高潮に達しました」というこの台詞を思い出さずにはいられなかった。「まさしく興奮の坩堝(るつぼ)であります」
アンコールがあった。いまやガース・ブルックスかチャーリー渡辺かという大スターの彼に、ママ(奥様)がステージへ戻れと促す。「永遠の絆!」野上が叫ぶ。舞台では慎ましやかな打合せが数秒間あり、つぎの瞬間にはケイジャンの音色が「悲しみのない永遠の世界が空の上にはあるのだろうか」という歌の最初のふたつを弾き始めていた。
「ある寒い曇りの日 おいらが空をみてると 天国から 母ちゃんを迎えに 車がやってきた
車屋さん 車引きさん 静かにやっておくれ その車にのってるのは おいらの母ちゃんさ
切れた家族の輪は また繋がるでしょか ああ空には そう空には 素晴らしい土地があるさ」
ちゃんこ屋の座敷でしこを踏む。ウェスタン酒場で人生の悲喜交々を歌う。ロック喫茶で蛍の光を聞い、ひかるの店で冷麺すすり朝までおしゃべり。二月最初の朝に日はまだ昇らず。旧友を送り届けた日産マーチの車中には、モーニングショーの気の効いた選曲が、ダイアナ・ロスのバラードが響いていた。