『WWF』(現『WWE』)のプロレス中継を観ていたときのこと。実況アナウンサーに「彼は以前はべつのキャラクターでリングに上がってましたよね?」と問われた解説の斉藤文彦氏がいった。「プロレスラーは何度でもなりたい人物になっていいんです」
本業は旅行代理店の役付きだが、ラジオの「DJ」もこなす望月さん(仮名)からうかがった話しはこうだ。カントリー音楽専門局のメディア関係者だけがあつまる『ラジオセミナー』に参加したときのこと。そのころ自らが担当していた音楽番組のタイトルコールやステッカーを本場の「DJ」に吹き込んでもらおうと片っ端から声をかけて歩いた望月さん。「あなたはどこの州のディスクジョッキーですか?」と挨拶代わりに尋ねた望月さんに彼ら(彼女ら)は答える「番組はもっていないよ」「まだ局とは契約していないんだ」と。「でも喋れるよ――!」
この『ラジオセミナー』は決して新人の「DJ」や関係者の育成の場に設けられたものではない。トップのカントリー歌手やディスクジョッキーらが集いインタビューや新譜プロモーション、ツアーの宣伝が行われたりする。では素人(?)のような人間がなぜに多く集まるのか?話を聞けばそのほとんどが「DJ」以外の職を持っていた。
ビッグシティ(スモールタウンでもよろしい)で自分のお喋りや選曲を電波にのせることなどしたことがない彼らはこういうのだ。「どこの局のものでもないけれども」と、ノースカロライナから長距離バスを乗り継いでやってきた彼はつづける「喋れるよ。俺はいいDJなんだぜ。この声気に入ったろ?」
彼も、彼女も、望月さんが声をかけた多くの人達がテレビ・ラジオ以外の仕事で稼いでいた。望月さんはいう「いいんだよ。コックでもウェイトレスでもクリーニング屋でもサラリーマンでも。自分がディスクジョッキーだと思ったら、ディスクジョッキーなんだ!」
あなたはなにしてる人? わたしなら「配送やってます。梱包作業や在庫管理、フォークリフトも乗れますよ」と答えるか・・・。
では本当はなにをしたいのか? 「もの書き?」いやいや恐れ多い。くる日もくる日も原稿用紙に向かっているわけではない。今のところは・・・。「ランナー?」いやいや週に二度か三度ジョッキングしているだけよ。筋トレしてるけどアスリートって訳でもないし、マウンテンバイクも買ったはいいが、宝の持ち腐れ状態だ。「アウトドアマン?」そんな職や肩書きがあるのかわからんが、キャンプや釣りもしないし山や海を駆けずり回っているのでもない。?「ディレクター?」確かにそうだ。ラジオ番組の構成を練って、出演者を決めて選曲もやっている。月に一度だけだがね。でもこれで喰っていこうというのとは違う。映画や音楽の批評家でもない。かつては「編集長」であったわたしも今や手掛ける仕事はない。
では視点を変えて、他人からどう見られたいのか? わたしはレイコにどきどき尋ねる。「俺はなにやってる人に見える?」「どんな音楽を聴いていそうだと思う?」つぎの瞬間には戸惑うレイコがそこにいるだけだ。「ミチが理数系の人みたいだといってたよ」と、たまに他人行儀なことをいわれたりもするが。高校の友人である野上には「山から下りてきた奴みたいだな」といわれる。実際わたしは山から下りてきたのだ。
自分では、きりっとした眼鏡をかけ、フリースのジップをしっかり首まで締め、もこもこのニット帽をかぶり、タイトなコーディロイのパンツを穿いて、リチャード・ブローティガンやヘンリー・チャールズ・ブコウスキーの作品など片手にし、時代錯誤も甚だしいアナ−キーと思しき「詩人気取り」を意識したりもする。だが詩は書かない。基本的には「引っ込み思案」の「優柔不断」な男で中途半端に自然保護を訴えるが、ペットボトルは手放せない「偽善者」であり、「冷徹」で「頑固者」だが「昔気質」でありながら「思いやりと優しさ」の人でもある。
昔の偉人は――吉田松陰だったか?――「志定まれば、気盛んなリ」と書き記した。そうだ。わたしはなにがしたくて、どういう人間になりたいのか定まってない。これだっというものがないのだ。まわりに影響され、憧れるのが好きな性分なのだ。
宗教的に崇拝しているアウトドア・ウェア・メーカーの「パタゴニア販売代理店」をやりたい。雑誌『ナンバー』や『エスクアイヤ』で活躍するコラム二ストかエッセイストにもなりたい。具体的なところでは、一度上京してターザン山本(元『週刊プロレス』編集長)主宰の「一揆塾」に入門し、文章の書き方を学びたい。まだある。スペイン語の勉強や農業、自然保護の知識を身につけたいとも思っている。フリーペーパーを刷ってばら撒きたいし、あと5キロぜい贅肉を減らし5キロの筋肉をまといたい。パソコンを買ってホームページも作りたい(これは出来そう。金の問題やね)。あるいはバックパッカーになりアパラチア山脈を歩きたい・・・。
ある小説で「夢見るものにとって現実は厳しい」とロバート・ジェームズ・ウォラーはいっている。
この世の九割以上の人間が日々の生活に追われ、愚痴のなかで夢を語る。それを生涯つづけて死の淵にきてようやく「自分は生きなかった」と後悔するのだ。だが、もう一度人生を与えられたとしてもやはりその九割の懺悔僧が、やらなければならなかったことを果たせず、これからもやらずにで死んでいくのだろう。
わたしはやった。18歳までは。完璧ではなかったが、やりたいことをやり、行きたいとこへ行った。決めたことは親の反対も押し切った。後悔はなく――もっとその年頃の少年にふさわしい恋はしたかったが――愉しんだ。けれどもそれは保障された世界のなかでのことだ。社会へ出て唯一勝負したのが98年のサッカー・フランスW杯。退職して日本戦を三試合観た。二週間の滞在だった。帰国後は職が決まらず泥棒の予備軍までいったのだけれど・・・。父も間もなく定年で、愛するレイコもいる。時間はあるようで無いし、金は間違いなくない。鉄のような意志にも欠けるから、リスクを背負って冒険する気にもなれない。やりたいことをして、なりたい人間になるには、それ相当の知識や経験が必要だ。知識や経験を得るには時間も金もかかるものだ。「夢見るものにとって生活は厳しい」のである。
さあ人生の分岐点だ。愚痴るのは容易い。わたしの父は詩を愛し、絵を描いた。かつては。わたしの仕事の上司は若かりし頃、ギターを弾き、バンドで食べていた。かつては。どうしたんだと考える。「結婚」「家族」「責任」「時代」など幾つかのキーワードが浮かび上がる。父や上司の顔をみるともっと本質がみえてくる。父も上司もいまの仕事が好きなのだ。(人生に妥協した結果なのかも知れないが)
仕事嫌いなわたしとしては絵空事のなかに真実があると考えたい。信じたい。父が読まなくなった本棚の詩集や奏でられたギターの音色にこそわたしの人生があるのだ。詩集を手に取り読み耽る。椅子に深く腰をおろし名演に耳を傾ける。それはそれでいいだろう。だがわたしやあなたがやらなければならないのは、詩を書き、歌を歌い、ギターを弾き、列車に飛び乗り、自分が書くべきこと見聞き感じて経験し知識を貯え、再び詩を書くことなのだ。
ここは分岐点。わたしはわたしがホームで列車を見送るだけのものにはなりたくない。列車に乗り窓から銀河やまだ見ぬ惑星を眺め、希望とも絶望ともつかぬ地へ行き着きたい。そのときわたしはホームでこの列車を見送っただけのものよりも人生を悔いずに済むのではないか?