あぺとぺなパンチを20分も繰り返すと、ストーブの暖房効果のあらわれないすき間だらけの部屋に湯気が立ち昇る。「シッ!シッ!」と気合いを込めてワンツー、ジャブ、ワンツー。余りにも実力差のある相手の反撃を受ける余裕さえみせるぼく。不覚にもダウンを喫するも、カウント7で立ち上がり、レフェリーに続行の意思を訴える。
「よくもやりやがったなコノヤローッ」と掟破りの猪木パンチでお返しだ。すると相手(パンチボール)は『マトリックス』みたいに大きくしなった。つづいて通販で仕入れたばかりのpatagoniaのボトム−もこもこした、「ディズニー・オン・アイス」の役者が身につけるようなタイツ−は勿体なくてはけずに、いつ洗ったのか定かでないいつものジャージで出掛ける。根性がないので河川敷までは車で行く。スタート時刻を確認し、ジョッキング開始。妙にきびきびとしたウォーキング・マダムに抜かされそうな速度で走る。鱗雲に月がまどろみ、夜空に枯れ枝が映えると、何故かぼくはシューベルトの『魔王』の旋律があたまに浮かぶのだ。誰も居ないグリム童話風の森を駆けている気分である。5キロを35分かけて独りを味わう。生きているという実感を。
車に戻ると窓が瞬く間にくもった。キーを捻るとなぎら健壱が歌い始めた。「−返してよ〜あたしの青春(はる)。返してよ〜あたしの青春。お願いよ。お願いよ」