「もみあげを伸ばし、セーターを着て、ポエトリー・リーディングの聴衆から石でも投げつけられたい」そう洩らすとレイコは悲しい顔をした。いま、ぼくは土樋のカフェーに居て、生まれてくる時代をしくじったと後悔している。
丸テーブルにフィンセント・ファン・ゴッホの『夜のカフェ』を見開き、そこに描かれた人生の頭痛との調和を試みる。ぼくにはお似合いの絵だ。融通のきかない上司への憤りは、せいぜい事務所の戸口を炸裂させるぐらいのもので、意気地無しの反体制はみみっちいいまの時代そのものである。ぼくの胸は媚びを売りあるく商人連で溢れかえり、無邪気でさえいればオリジナルであった学生時代の悪童は姿を晦ませ、かたくなに感情を直隠し、無表情を装っているのだ。
「プロレスは時代の合わせ鏡−」古館一郎はいった。そうか!だから面白くないのか。器が小さすぎるよ。なにもかも、誰も彼もが。ボブ・サップのドロップキック。それがどうしたというのか?アジャストする音楽は古典ばかりで、ラジオから流れてくる曲はぼくを孤立させるものばかり。
こうしてうなだれていてもゴッホはもう居ない。生きていても彼はぼくを描かないだろう。『夜のカフェ』の住人は黙して饒舌だが、ぼくときたら枯れ果てて絞りカスもでないときている。
石を投げつけられるのもいいではないか。つまるところ、自画像を描いてみるしかないのだ。キミの嗜好など構うものか!気に喰わなければ石を投げつけてくれ。ぼくはその傷口にまだ血がにじむのを知り、ひとりほくそ笑むだろう。
−レイコはクッキーを飲みくだすと、「古い本の味がする」といった。