第三者の意見というのはおもしろいもので、非常にためになるものだ。人のはなしに流され生きてきたわたしとしては、友人のはなしは聞き捨てならない。先月のわたしの文章を読んで「人類愛とかそっちのほうに行こうとしているのか聞いてみたかった」といったのは友人のモノ書きのアトミック海口である。「ある程度のところまでいくとそうなっちゃうんだよね。う〜ん、ジョン・レノンとかね」――なるほど。
年末にレイコと街中をドライヴしていたらラジオに元「X-JAPAN」のトシが出ていた。すっかり移動教会の伝道師であるかのごとく人類愛してて、恐怖すら感じてしまった。これはいかん。いやトシのことではない。わたし自身のことだ。そのつもりはなかったが、創価学会のロベルト・バッジィオ、仏教のマドンナとともにわたしもリストアップされそうな予感がする。このところすっかり自然愛に目覚めているため否定は出来ない。世界中のいわゆる「諸問題」を知ってしまうと、うかうか車に乗るのも、糞を垂れるのも、許されざることとしてある種の行為――日常生活のすべてに否定的になり、自己嫌悪の道まっしぐらである(ジレンマというやつだ)。これは実際「的」を得ていると解釈している。地球を復活させるには人類が今すぐ滅びるのが最適である。だがこれでは端的な意見で解決の糸口すら見つからないのが現実だ。「ならお前から」とわざわざ刃物を突きつけてくる輩が現れるのが関の山だ。(それは勘弁してほしい)兎にも角にも、環境問題や自然保護のはなしはしていかなければならないだろうから、そのつもりでいて欲しい。読者諸氏が驚くほど勉強をしてこなかったわたしが、ここで一席ぶつのは気がひけるはなしなのだが、有識者とは別の角度から訴えていくつもりでいる。たとえば――。
わたしの職場は三人のみ。うち一人がヘビースモーカー。けむい!このひとりのために過半数が迷惑を被っていおり、肉体と精神に著しく悪影響を及ぼしているばかりか、事務所の大掃除などにはヤニがこびりつき、目的達成の意思をなえさせてくれる。それに吸殻の問題もある。まあ個人のモラルが問われるのだが、利害が生じてくると「自然保護(環境保全)」ばかりを訴えて「タバコをなくせばいい」とだけ主張すると世の中ことが進まない。双方が歩み寄って互いにいい環境をつくりだすよう努力する(させる)のが政治家の役割なのだが、わたしは妥協しない。無論、政治家でもない。わたしの職場ではたったひとりが喫煙をやめれば済む問題。禁煙して害があるのは彼の精神と「JT」ぐらいのものだ。いままで辛抱して黙ってきた我々がはたしてそこまで気をつかう必要があるのか?どこかで誰かがしぶとく確実に甘い汁をすいつづけているから状況がかわらんのだ。環境破壊の解決策なんてほんとうは簡単なのだ。わたしは異端児で結構だ(むしろそれを楽しんでいる)。シコタマ儲けているやつをシバいてやればこと済むのである。けれども実際はわたしを含めて世界中の一人残らずがある意味で煙を吹かしている訳で(そしてそのヤニで儲けてる奴がどこかにいる)。だから。せめて、せめて吸殻入れを持とうではないか。というはなし。
話をもどそう。どうせ馬鹿な平和主義者とはいえ、はたまたジャンキーといえどもジョン・レノンは今でも英雄なのだから。まあわたしのヒーローではないが。アトミック海口をして「ある程度までいった人」(どこまでいったのか当人は理解してない)と認められたのが嬉しいだけ。所詮はわたしもコジャレたカフェーにたむろする文化人気取りと変わりはしない。愚かしいことよ。クソ、また話がどこかへいった。まあいい勝手にしろだ。いやまてラジオだ。そうだラジオだ。地元のコミュニティ放送「ラジオ3」にトシが出ていた。相手は我らがロケット広瀬。最近ご無沙汰してるがお世話になってる人だ。だから持ち上げよう。「さすがロケット!」事実わたしはこう叫んだ。彼が気の利いた演出でアーロン・ネヴィルの曲をかけたからだ。
『アメリカの心のうた』という詩人「長田弘」の書いた本がある。わたしの愛読書である。この本についての講釈を述べた後で、わたしは「この本も、他のだれもが扱ってない。だからオレはあのCDを買ったんだ。オレがトレイシー・チャップマンを書く!」といった。レイコは有難いことに、わたしが意味不明なことをいってもわたしがご機嫌だと嬉しい顔をしてくれる娘だ。そして『アメリカの心のうた』をさして、この本がわたしのカラダから出てきて本、わたしの一部のような本だといってくれたから涙チョチョぎれるではないか。(トレイシー・チャップマンか。いずれ書こう)そうこうして車を走らせていたらトシが登場してきたのだ。そうだった。それまではわたしがトレイシー・チャップマン。レイコがアーロン・ネヴィルだった。わたしはアルバムを買ったが、彼女は試聴して買わなかった。でもいずれ買うだろう。とにかくまだあのデブ親父の声に痺れているところだったのだ。そしてトシ登場。相手はロケット広瀬である。
トシが去って、ノイズがさばけるとロケットはいった「さあ、アーロン・ネヴィルをいきましょう!」と。ときに偶然はドラマを生む。「さすがロケット!」ふたりともご機嫌だ。馬鹿な自然保護者。そいつもいいさ。アーロン親父の声を聴いたら、痺れるだけだ。シビれろ。