らじおの日々 第11回 〜虚栄のかがり火〜

(初出:第59号 02.2.22)

ラジオ局からオファー舞い込む。
石垣君手伝って下さい。わたしはこの言葉に弱い。満腹なのについつい手を出してしまう胡麻モナカみたいなものだ。本質的に根性が悪いので自分の仕事へは公私のわけ隔てなく報酬を求める。とはいえ先天的に善良な生きもの故(二面性があるというこっちゃね)、オッシャーッやったるわい、とはじめは思う。一応は。
このところあらゆる状況下においてジレンマに襲われているジレンマンなわたしはまたしてもジレンマに陥った。普段の生活においては読書やフィットネス、ランニングに多くの時間を割きたいと考えているわたしだが、運動をしてたっぷりと栄養補給すれば、疲労と眠気から読書するモチベーションが萎えていく。(ここで順番を変えて読書をさきにすればよいというあなた、余計なお世話だ。西からお日様が昇らないのと同じく、読書は先にこないのだ)また街へ繰り出したいと考え、実際そうすると今度は愛犬ナナのお散歩タイムを気にかけるようになる。どこか遠くへ行きたくなることがある。パタゴニアのフィールドレポートや吉田拓郎の詩を聴いたりするとそういう気分になる。ここで実際にそうすると、地味にガソリン代や帰路が心配になってくる。レイコとラヴホへ行く。まともな男ならウキウキワクワクである。ところがわたしという男はシャワーを浴びながら、我がムスコは十二分に活躍してくれるのだろうかと不安になるのだ。また、環境問題を危惧しているくせに自分はノウノウと車でご出勤して排気ガスを撒き散らしているのだ。スローガンは「秤をゼロに戻せ!」である。クソを垂れたら尻を拭くように、環境にダメージを与えたらその分を最低でもゼロにしなければ、元に戻さなければいけない。実のところそういう努力をするための準備を整えている段階で、行動するまでには至っていない(いや行動しているが実績は小泉首相の仕事ぶり以下である)
さて、ラジオの仕事だ。相手方はおそらく「カントリー音楽の音源」、つまりCD(素材)さえもって来てくれればよいと思っているのだろう。こちらとてスタジオの雰囲気は好きだから、お気に入りの音楽をかけて、適当な能書きをたれればよいはずなのだ。文化人気取りで誰も持っていないものについて、知ったかぶりをすればよいのだ。ところがわたしはラジオを愛しているときている。断っておくが、朝から晩まで頭の痛くなる下劣な「TOP40」に耳を傾けているような馬鹿とは違う。そう、気分が滅入ったとき、もう少し頑張りたいとき、ハイになりたいとき、孤独を味わいたいとき、愛し合いたいとき、ラジオのお喋りと音楽は「人生のおかず」なのだ。生活をいつもより濃厚にしてくれる効果がある。勿論、白米はそれだけで美味い。しかし煩悩を棄てて生きることが生きることなのだろうか?白米はそれだけで美味い。しかしおかずも欲しい。どちらかを取れといわれればわたしは「おかず」の方をとるだろう。
そうだ人生の「食文化」を極めるための個人的な手段がラジオにはあるのだ。そして今わたしは誰かに上等な飯を調理してやらなければならない。ただ調理師免許など持っていないし、日ごろから台所に立つこともない。せいぜいカップ麺をススルために湯をわかすぐらいのものだ(はたしてヤカンに火をかけることが調理の一部なのだろうか?)
されどわたしみたいな素人にお声がかかるということは、何がしかの使命があるものと考えたい。今週末(二月二十二日)に打ち合わせがある。わたしは「3000円+バンホーデン・ココア」というVIP待遇でサポート契約を結んだアトミック海口(友人)とこの修羅場を乗りこえようと思っている。どうなることやら・・・。これから企画書でもこしらえてみるつもりだ。一瞬にして電光石火での却下もありえる。そもそも意思が弱く、引っ込み思案な口だけ番長なのだから・・・。それもいいではないか。犬死にも幾つかの種類があるだろう。社会的弱者はここで意地をみせなくては存在価値がないのだよ!



「過去原稿」ページへ戻る