イリノイ州の中に日本がすっぽり入るのさ。んだからいくら走っても走っても進まねんだ。オレがうとうと、うとうとっとして目覚めるとオンナジ。また何時間か居眠りして目覚めるとオンナジ。運転手は寝てないかなぁ、大丈夫かなぁと思って心配して目覚ますとオンナジ。メェ〜覚まして起きてもまだイリノイ!そういえばどこだっけなぁ、とうもろこし畑が一面に広がってて、オンナジとうもろこし畑が三時間走ってもつづいてんだから。デカイよなぁアメリカは!自給自足できるわけよ。大変だよ日本なんて、全部輸入だから。それから虹もすばらしかったねぇ。あと雲ね。空にあわせて雲の色が変わるんだっけ、初めてだあんな綺麗な景色は。それにカントリーが合うんだよ、また。どこにいっても、どんな田舎でもニューカントリーかかってっから。そうそう、三時間にいっぺんづつは必ずとまんのさ、おしっこだのガソリン入れたりして。むこうは日本と違うから六時間運転したらあとの何時間は休憩するって、法律できめられてんだね。で、一回だけみんな腹へって腹へってどうしようもなくて、ドライヴインに止まってもらったのさ、で、止まった店の名前が「ハングリー・トラベラー!」”飢えた旅人”ときたよっ。そのまんまなんだよ〜っ。店に入ったっけ今度みんなメニュー読めねっちゃ。聞いてくんだオレに。わかんねぇっちゃオレだって全部は。疲れてるべし。ナンッ回も聞いてくんだ、これは何だとか美味いのかとか。んーっシラネッテ。「量が多いですから、一人前を二名で頼んでもいいですよ」なんて言っても聞いてねんだ。ようやく決まったと思うとおくの席のお客さんが「変更、変更」って。「あっ?あ〜?でしたら私とオンナジのでどうですかぁ?」なんてさぁオレもイライラすんだとにかく。それで食べ終わったら、最近の若い女性は思ったことすぐ口にするでしょう。「美味しくなーい」ってんだ畜生!く〜っ。
お店はいるとね、農家の親父だのがいるんだっけ。すると映画のとおり、絵に書いたようにほんとうに――店にはいってきた東洋人に視線を奪われる現地人の真似をする元木氏(テニスの観客のように左から右へ。ただしゆっくりと)――ってみるんだよぉ。一人残らず。笑いそうになったぞオレ。めずらしんだべなぁ、オクラホマだの、ニューメキシコだのの人からすっと。んで、ひそひそなんか言ってんだ。一回、子供と母ちゃんがいたのさ。そしたら子供はジーッとみてんの、それを母ちゃんが見んな、見んなってやってんのよ。それでもナイフもったまんま、子供は見てんだよ。オレたちが席についたっけ子供の泣き声が聞こえたから、あれ、多分、母ちゃんにはたかれたんだゾ。
この後、運転手の黒人三人が、支払った現金の計算がなんどやっても出来ないとか、モーテルの看板の字を読み間違えたとか、知能が低いとかの話しがつづく。また、日本に仕事の用事で電話してたお客さんが、ひたすら上司に謝った後で(仕事が休める!)と満面の笑みを浮かべたことや、予定になかったサンタフェやサンタモニカの旅をみんな楽しんだ話し、それに田舎町にあるカジノの二階には娼婦がいて、ギャンブルのあとはムフフという話しなどなどがつづく。また、お客さんのひとりが皮膚病になって、LAはリトルトーキョーの医者にからかわれた話しや日本食を日本にいるときよりも食った話し、現地の運転手が方向音痴な話しなどなど、結局はお客さんはアメリカ横断旅行をおおいに楽しんだという話しが展開された。
成田からまたバス借りて、夜中に仙台に戻ってきたんだけど、なんかもの足りねんだなぁ。お客さんなんか「元木さん、(たったの)六時間ですか?」なんていってんだもん。
アメリカの大地のごとく、どこまでも陽気で前向きな元木さんではあるが、海外旅行を差控えるお客様のキャンセルがつづき、東京の本社ではリストラも敢行されるという状況なのに・・・。9月26日の「アメリカン・ミュージック・ランチ」(76.2MHz毎週金曜日PM9時30分〜)ではマイクを通して、ニューヨーク消防隊員の亡くなられた遺族への義援金を募っていた。翌週も番組スタッフと募金の受付けシステム(待ち込みか振込みか?、口座開設は?ラジオ局の対応は?)についての討論がつづいていた。いざという時にスムーズにことが運ばないため苛立つ元木さんは、「誰かが動かないと何もしない。他人まかせにするそういう態度がオレは嫌なんだ」と訴えていた。そういえば「人生ののこりをもう一度生きよう、やってやろうという気持ちがでてきた」とも言っていた。
ニューヨーク同時多発テロの犯人とおぼしき輩は、インターネット上で空席状況を確認していたというが、そのなかに元木さん等が搭乗した便がふくまれていたというのだから、正に紙一重だったのである。明るいキャラクターからは想像できないが、机上の――膨大な、それも難問ばかりがプリントされた――書類を片っ端からやっつけた元木さん。そしてそれを楽しみ、人に分け与えた彼の功績と苦労は並大抵ではなかったであろう。
「つぎに旅行するときには、また元木さんのところをつかう」とお客さんにいわれたことが殊のほか嬉しかったという元木さん。「でも、またあのバス旅行やってくれっていわれたら断るっちゃ!」そういって笑った元木さんのそのメガネの奥では、燃え滾るなにかがただよっていた。