らじおの日々 第1回〜K.T.オズリン"DRIVIN' CRYIN' MISSIN' YOU"を聴いて〜

(初出:第55号 01.10.21)

夜更けのカフェーで、売れ残ったブルーベリーパイでもつつきながら、こういう歌を聴いてみたいものだ。
売れ残ったものはなにも幾きれかのパイばかりでもなく、くたびれた目じりに人生の切なさを刻み込んだウエイトレスが、お代わりのコーヒーを注ぎにやってくる。
わたしは不意にナプキンを一枚引き抜き、手に程よく馴染んだシャープペンシルで走り書きす。
 
  きみはいま、ロウソクの炎よりもか細いあかりに夢をみる。
  生きることに意味を見出そうとして、やがては絶望する。
  絶え間ないいとなみは、宇宙の一瞬の粒。
  けれども、その星屑が彼方にとどくとき、
  わたしの知らない何処かで、きみも知らない何処かで、
  解き放たれた魂が勝ちどきを挙げ、
  死の淵にかすかな笑みをもたらすであろう。

あすは今日ほどではないだろうと思いつつも、仕事は気になるものだ。打たれたレジが音をげるとき、現実味をおびたひどく孤独臭い風が吹いてくる。けれども一人でいるときは実は独りではなく、あすの、職場の活気に満ちたつかの間の団欒にこそ、孤独を感じるものなのだ。
背後に、カフェーの戸口からこぼれる暖かいひかりが次第に遠のくとき、わたしは、このままアスファルトに寝転びたい衝動にかられた。そんなことをすれば、麗子は悲しむのだろうが、いつだって男は、信ずるものが上着をかかえて小走ってくるのを待っているものなのだ。



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