フィールドレポート 第13回 『早朝ランニングのすすめ』

(初出:第58号 02.1.20)

午前5時40分起床。ラジオの国営第一放送が朝一番のニュースを伝えている。冬の朝はとにかく冷たくてカラダが硬い。寝相がわるいのかいつも首筋から背中にかけて痛みがあり、ストレッチでほぐすのに時間がかかる。
午前6時20分。薄暗い廊下と玄関に目をならすまもなく、こそこそと出発。早速、朝焼けの美しさに胸を打たれる。いつもは見苦しいはずのビルの赤い点滅ランプさえ、どこか暖かみを感じてしまうのだから不思議である。早起きして頑張ると、不意に感覚が研ぎ澄まされてなんにでも感動していまうのだ。
あまり通らない川内三十人町のながい下り坂を駆けていくと、いくらご近所だといっても新鮮だった。「きのうの火事はどこのアパートだ?」余計な野次馬根性をさらけだし、挙動不審のまま進んでいくうちには、広瀬川を跨ぐ「牛越橋」に出くわすというわけだ。橋の眼下は藍味がかった白黒で、川面のせせらぎが僅かに朝焼けにキラめいているだけだったが、それがまた潤んだ心に染み入る。
「牛越橋」から「澱橋」の片道1.2キロのジョギングコースをクリアブルーとオレンジ色の空に向かって走る。体力は確実に消耗していくのに、その分、心は充電されていくから気分がいい。
一度目の折り返しの手前ではラジオ体操に集う人々が約十名。談笑しながら白い息を吐いていた。途中で上下クロのウインドブレーカーに身を包んだ女の子とすれ違ったが、ジョグの目的はなんだろう?わたしの推測では東北大のラクロス部とみたが――。調子よく息をたもちつつプラス1200メートル。ちらほらと目覚めはじめたアパートの住人が窓を灯しだしていた(もしくは消灯を忘れ、寝過ごした夜明けを電気カーペットと共に迎えているのかも)。
ジョギングコースの二往復も終わりに近づく頃には、早起きのワン公とご主人様が無言の会話を交じわしながら、二組、三組とやってくる。山の上のナナさん(愛犬)などは、今もって丸まったまま沈黙をとうしているだろうに。
30分を越えたところで無理をせず歩いた。1.2キロ×4と併せて、約6キロは走っただろう。何事もほどほどにするのが最近のわたしのやり方だ。行きはせせらぎ、帰りは路肩の雪が、宝石を散りばめたかのような輝きを放っていた。霜に濡れた扇坂(川内と青葉台、八木山をつなぐ)の道路が朝日をあびて綺麗である。ここの坂は季節をとわず知的な美しさをみせる。帰り道、東北大学の白塗りの木造サークル棟の小脇をとおったが、建て壊しの時期が迫っていた。ナナの散歩で毎夜目の当たりにしているが、夜闇で隠れていた無数の皺が朝には避けられぬ現実として見て取れた。早急に――雪がはける頃までには――レイコに頼んで写真を撮ってもらわなくては。サザンロックかぶれの田舎者を装って、LP盤のジャケット写真みたいなのを撮らなくてはならない。
近所の者ならだれが歩いているか把握できるほどに日が昇ってきた朝を「誰しもがかかえるほのかな青春って素敵だな」などと考えながら歩く。友人のアトミック海口が高校の同級生の女の子と一緒に原チャリツーリングに出掛けたときの、あまりにスピードに乏しい彼女をミラー越しに怒りつけた様や、バイト先のお姉さんに結婚ばなしを打ち明けられ、何故か二人きりの河原で焚き火をかこむ様などは、青春ではないかと・・・。わたしとてクリスマスにねだって買ってもらったパタゴニアの厚手のキャプリーン(アンダーウェア)を汗で濡らして、イヴイヴの予定をネルというのも乙なものだと、自画自賛型のプチ青春であった。
登頂して気づく。午前7時に帰宅。ゆうべおそくに飲んで帰った親父の車がない。会社においてきたのだ。年の瀬の休日出勤、パパを上杉まで送り届けるのはわたしの役目のようだ。ため息が出る。それにしても休日の朝に早起きとは我ながら大したもの(ナナはやっぱり寝ていた)。朝いちの日刊スポーツ新聞と熱いシャワーは試してみる価値があると思うが、いかがだろうか?なにランニングでなくても歩くだけでいいのだ。寝静まったままの朝の光を誰にも邪魔されず栄養補強できるのだ。量より質派のあなたならこれで十分満足だろう。
かつて、ウチヤマやノガミと競馬に行くときには早起きをしたものだった。そこいらを走り回る年配ランナーを目の端にとらえるにつけ「馬鹿かこいつら、なんで日曜の朝から走ってんだよ?!」と罵ったものだった。彼らがどうして走るのか、今のわたしにはわかる。
「牛乳が濃くてうまいのだ!」



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