フィールドレポート 第14回 『99パーセント』

(初出:第61号 02.4.22)

伊豆沼・内沼そして加勢沼で白鳥の群れを見てきた。幾つかのトレイルを歩き、登り、ときには走りもした。春夏の早朝ビーチランニングに適しているのかどうか大谷海岸と野蒜海岸を視察。現在受講中の講座、東北大学の「自然史探訪」は三月九日までつづく。今月末に給料が入ったならば、某「NPO法人」のグリーンセイバー検定試験(六月実施)へ申込みをしようと思っているが、先に入手しているテキストは基礎にもかかわらずチンプンカンプンであるのだが・・・。
自分はなにをしたいのか。そしてどこを目指して、その為にはなにをしなければならないのか。よくはわからない。けれども現在計画中の地下鉄東西線の路線において、仙台市の中心部を流れる広瀬川にまたがるふたつの橋――仲の瀬橋と大橋――とのあいだに地下鉄を通すためのもうひとつの橋が計画されていることを知り、深い憤りを感じた。東北学院大学のある教授のはなしによると、大都市の近くにあれだけの自然が残っている事例はほかになく、もしも計画が進めばかなりの数の動植物の生態系が脅かされるだろうという見解を示した。はっきりいってそんなことは誰だって分かっている。東西線の採算が遠い未来までも期待できないことや、ある一部の地域の住民や一部の受注業者のためだけのものであることも。そして市長のプライドを満たすための道具であることも知っている。先に述べた教授の意見について市側の回答は「地下を通すには莫大な費用がかかり、利用者の利便性も悪い」としている。
いったい人間はどこまで進めば満足するのだろう。答えは簡単だ。何処までいっても満足などしないのである。守り維持することよりも、攻めて攻めて攻めまくるほうがはるかに楽なのだから。そしてストライカーは何度でも失敗する。ゴールを決める快感を味わうために。かつてイングランド代表でワールド杯で得点王にもなったゲイリー・リネカーはいった。「フォワードの選手は99パーセントの失敗と1パーセントの成功からなっている」と。ゴールキーパーはどうだ?仮に99本のシュートを神がかった美技で防いでも、たった一つのゴールを許し、味方がしくじればそれでご破算。99の成功はなんの意味もなさないのである。けれどもこれはサッカーというゲームでのお話である。ゲーム。けれども・・・・・・けれどもこいつだけはおさえておきたい。リネカーはたくさんしくじった。勿論たくさん成功もした。だがどうだ、彼は自分の決めたゴールのひとつひとつが――少なくともサッカーを理解し始めた頃から引退するまでは――の全てのゴールが、ほかならぬチームメイトの犠牲と援助から成り立っていることを知っていただろう。
では市長は?市長はなにも分かっていない。「杜の都」?笑わせるな。そんな名前は今すぐ何処かへ返還しろ。仙台を駄目にしてる張本人はお前だ。消えうせてしまえ。と悪口をいうのは簡単だ。ケッ、文句のいい甲斐もねぇや。それでどうした。つまるところわたしは広瀬川を愛する組織の一員として垂れ幕を握り締め、権力者を罵り、つまるところ圧力に屈し、マスメディアに笑いものとして扱われることだろう。家族や友人や会社の同僚、上司、恩師や親戚一同に近所のおばちゃん達はわたしに声をかけられることをあからさまに拒むだろう。まあそれも大した事ではない。元々人間嫌いだから、かえって清々する。それよりもわたしは愛するものを体を張って守ろうともしない全ての人間を憎むだろう。まして愛すべきものが一体なんなのか分かりも、分かろうともしない輩をもまた、深く憎むことだろう。
馬鹿げた問題が多すぎる。あっちもそっちもこっちもスズキムネオ。にっちもさっちもルイ・アームストロングだ。もう手遅れだ。この世を生き抜く価値もどれほどあるというのか。神よ教えてくれ。もしもあんたが人間をこしらえたなら、あんたは罪人だ。わたしは地獄には行きたくないが、九つか十のときベットで祈っていたときほど天国にも興味がない。チキショーめ。それでいて神はわたしに恐怖を投げかけてきて、ついには自分にすがってくる様を見届けたいのである。もっとひどいことにわたしは神にすがりつくことだろう。一生涯にわたって・・・。
イカレてきた。このへんにしておこうか。ただしまた会いに来るぞ。神のようにおまえ達がうろたえてている姿をみたいからな。



(編注)この原稿は02.2.21に送られたものです。第60号に掲載の予定でしたが発行人のミスで掲載が遅れたことを報告すると共に執筆者に深くお詫び致します。 発行人高橋 基樹


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