フィールドレポート 第11回 『山に登ってジャンプして、』

(初出:第57号 01.12.21)

「タバコを吸うやつは山登ってジャンプして死ねっ」わたしが苛立ってこういうと、彼女は決まって悲しげな顔をする。お嬢さまには耳をふさぎたくなる台詞だろうが、気に喰わないのだから仕様がない。疲れが蓄積され、腹ぺこになると必ずこうなるのだ。ドーナツ屋で中華をすするのもどうかと思ったが、晩飯がわりには菓子パンよりも野菜ラーメンがいい。点心もついてくるし・・・・・・。
眼鏡をくもらせながら、たれ鼻をかんでいると彼らが入ってきた。瞬間的および生理的に受付けられない、仕事人間グルーフ゜(すべて男、年のころは20代後半から30代半ば)が入ってきた。隣の席に陣取ると各々がタバコを吹かし始める。そこが禁煙席か喫煙席かなどわたしには関係がない。知ったことか。とにかく煙がこちらに流れてきて具合がわるくなった。健康になりたいわけではないが、常日頃フィットネスに勤しんでいる身からするとタバコの煙はギンナンの咽かえる匂いに匹敵するほどクソ忌々しいものだ。おまけに喫煙者のほとんどがマナーのかけらもない、マナーという字を書けるかどうかも覚束ない甚だしい輩どもである。そもそも他人の吐いた煙を嗅がされるだけでも我慢ならないのに、そこいらにポイポイと吸殻を投げ棄ててゆく。ローリングソバット(回し蹴り)でも見舞ってやろうかと思う。しかもエル・ソリタリオ式、宮戸勇光式、前田日明式、タイガーマスク式と連続で喰らわしたくなる。 
余談ではあるが、うちの会社の上司が防火管理の講習を受けてきた。中年族の多くがそうするように、当然のごとくその後はうんちくのオンパレードだ。それはそれでいい。なかには為になる話もある。それならいいのだ。ところがどうだろう、ガスの火元に関して口やかましくいった上司が、会社の駐車場でタバコをポイ捨てである。お前が確信犯だろう!あるときはアルミ缶に押し込まれた吸殻から黒煙があがっていたこともあった。北風にあおられ銀杏の枯葉に燃えうつったらそれで最後、芋さえあれば、ここいらの住人全員に焼きイモが配れただろう。
格言「自分が楽しむなら、他人に迷惑をかけるな」
それはこの日の講義にこめられた願いそのものでもあった。アルピニストで清掃登山家の野口健のはなしを聴いてきた。おおむね顔に似つかわないマシンガントーク(生い立ちから現在にいたる過程が90分、環境問題が15分。それでもわたしが求めてたものは十分聴けた)で聴衆の笑いを誘った彼だったが、山頂のゴミ問題に至ると表情は真剣だった。
疲労困憊で大きく息を吸い込んだだけで肋骨が折れてしまったり、ヒョイッとジャンプすれば木っ端微塵になっしまう山頂で、ミイラ化した遺体を発見するのは容易いことだという。酸素が脳にまわらず錯乱してザックで襲いかかって来る者もいたとか。とにかく登頂もさることながら、下山も命がけなのは想像がつく。まして数十キロの荷物を背負ってのことである。けれども窮地に追い込まれた状況下においても、欧米諸国のアルピニストは一往にベースキャンプ地の清掃をして帰るという。他人が置き去りにしたゴミまでも・・・・・・。その多くは韓国と日本の山岳隊の残骸だという。そのことに関して英国人にひどく侮辱されたという彼が、それでもジョーク交じりで講演すると聴衆はどっと笑い声をあげたが、わたしにはそれが信じられないことだった。笑い事ではないからだ。
ここではコンサートのアンコール同様、その場にいたものの特権として深い内容は省略させて頂くが、日本人の自然に対する「なおざりの心――矢が複数あれば、いま放つ一本の矢を無駄にしてしまうという邪心」が蔓延しているという事実。人間が自然界よりも上の存在であるという勝手な思い込みが根付いていると、今更ながらに最認識した次第。人類の進歩にあやかって破壊を繰り返す企業が、間抜けな開拓者精神で山を削り、富士山にジュースの販売機を設置する。削られた山には家が建ち並び、本来の住居者を絶滅させた張本人が巣食い、コンドミニウムもやってくる。ジュースの空き缶は勿論、回収されることなどない。誠に残念なことに、北斎の描いた浮世絵の富士など、絵空事でしかないのである。
前回の当欄でも触れたが、わたしがトレイルランニングを愉しむときにはゴミ清掃をする。このところで野口健とわたしはウマが合う。偽善者ぶっているわけでも、自然に媚びうるわけでもなく、山でゴミを見るのがたんに癪に障るのだ。至極当然こちらの愉しみは半減してしまうが、ゴミ屑を見てみないふりする方がよっぽど精神衛生上よろしくないのだ。飴玉の包装紙だの、空き缶だの、コンビニ弁当の容器だのがつまったビニル袋をみるにつけ、わたしはファーストフード店で出くわした肺の黒い人種を思い浮かべてしまう。なぜわたしは他人の吐いた煙を嗅がされなくてはならないのか?  
「山に登ってジャンプして死ね」わたしはほんとうにそう思っている。(喫煙者がすべて悪者でないのは理解している。けれどもマナー違反の喫煙者がほんの一部であることを願う。それにしても世間にはタバコの屑の多いこと――。)
 



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