胸ポケットからの死のダイブを何度となく繰り返してきた、時代おくれの携帯電話さながらに、すぐにバッテリー切れを起こすわたし。充電するにはダブル(六時間半×2)で寝ないと寝た気がしない。きのうはダブルまでいかないまでも六時間半+四時間の睡眠だった。そして月曜日のいまは疲労か寝すぎが悪いのか身体がだるくてたまらない。この三週間はなにを食べても腹がくだり、「硬いもの」がでたためしがない。ジャストフィットで購入したユニクロのストレッチ素材のパンツも、いまはタワミがでるようになった。この虚弱体質の原因は恐らくベガルタ仙台が原因である。すべてでないにしろ、かなりの要素で不安の母――心配ごとの種となっているのは事実である。
きのう(11月11日)は勝てば一部昇格へ大きく一歩前進となるはずだった。そのものの格下(10位)の甲府相手に延長Vゴール負け。ライバルの山形に昇格圏内の二位を強奪されてしまった。この日は当日券を求め、試合前日の夜11時から並んだ後遺症もあり試合中はウトウト。意気上がるサポーターを尻目に終始、意気消沈しての試合観戦であった。
ベガルタ仙台のホーム最終戦の前売券は完売。当日券が1000枚用意されるという。普段ならば大試合のチケットを取り忘れるという凡ミスなど起こさないわたしだが、すでに気持ちは最終戦のVS京都ツアーに気が回っていたのだから仕方がない。ベガルタ仙台の前日に行われたモンテディオ山形の試合でも、わたしは内心「山形負けてくれるなよ」と願っていた。山形が負け、仙台が勝てばホームで昇格が決定するのにである。
あたり前だ!なんで京都まで行くのに京都と仙台の親善試合を観に行かなければならないのか?J1昇格を決めた二チームのなごみ祝賀パーティなどさらさら御免である。先日行われたイタリア代表と日本代表の親善試合なども、わたしにとってはどうでもいい部類に属する。一度きり読んで削除するメールとおんなじだ。ロバート・ジェームズ・ウォラーが言うところの「ダンスをするにはいいが、ただそれだけのカントリーミュージック」だ。どちらかというと今度の日本戦ではだれが「君が代」を歌うのか?のほうがわたしは興味がある。(それを決める関係者の人物像にも関心があるが)
それでも当日券を求めたのはライヴ(生)好きだから。いや、或いはそうなのかも知れないが、事実は違う。ただ単に、今までホームに通っていたのに最後だけお家で待機というのも胸糞が悪いだろう。いちおう断っておくが今からわたしはベガルタ仙台の敗戦分析や昇格の行方の星取勘定、最終戦のシュミレーションをするつもりは毛頭ない。最終戦、ベガルタ仙台は敵地で劇的な勝利をおさめ、山形はホームで苦杯をなめ、三度目の正直を夢見た大分トリニータは大いに落胆するであろう。それだけである。仙台は間違いなく昇格を果たす。だてに長年サッカーを見ていないのだ。この自信はただの大見得でも負け惜しみでもない。経験からくる鋭い予見である。わたしとて「嵐山にて自由散策と買物」をあてにして、ツアー参加を申込んだわけではない。歴史的瞬間を目の当たりにする醍醐味。張り詰めた緊張感のなかでの興奮。ほんものの闘いを求めているのである。
さてさて、わたしも大分疲れているようだ。最近は喋っていたり、ものを書いていると言いたいことの本質がどこかへ行ってしまうことが多い。腹痛でトイレに起きたのに、ついつい冷えた津軽りんごジュースなどをグイ飲みしてしまうわけだ。確かにわたしはベガルタ仙台の当日券を購入するために並んだ。冷たいアスファルトに正気を失いかけながら満天の星空を眺めていた。けれどもベガルタ仙台の試合は二の次なのである。
泊り込みを宣言したとき、わたしの両親はただの一度もそれを咎めなかった。止めろと言うかわりに母は防寒対策に対するアドバイスを父はトラブルは避けろとの訓辞を送ってくれた。それがすべてでなかろうか?わたしはこの対応を気に入り感動した。
打診したアトミック海口には寝袋のレンタルを拒否されたが、ギアへの愛情を感じた。決してあてつけではない。友人が泊まりにくるとお客様は布団に寝かせ、本人は寝袋で眠るというアトミック海口だ(友人を布団に寝かすのをあたり前と思ったあなたは、本当の付き合いをしていないのでは?)、訳のわからない輩に大事な仕事道具を貸すはずがない。それよりもわたしを良い意味で泣かせたのが「お世話になったから、飲みに行く代わりに石垣君に寝袋を送ろうと思ってたんだよ」という彼の言葉である。断じてわたしをかわして適当な嘘をついたわけではない。「実はあした買いに行こうと思ってたんだよね。あとで送るから」というのは本当だ。わたしは丁重に彼の申し出を断ったが、きっと送ってくるだろう。リアル・ディアル。アトミック海口は本物だからだ。寝袋を送ろうというセンスもいい。そういえば以前、小型万能ナイフを頂戴したこともあるが、実際のところ彼から貰ったものは、「ものを書く愉しみ」であり「えせアウトドア派の気構え」であり「ゆるぎない独自性」である。
殺人的な寒さをしのぎ、いよいよ当日券発売となるころにはひとつの疑問が生じてきた。チケットは買えるのか?名前と希望枚数を記入したダンボールで場所取りだけをし、当日の朝にやってきたずる賢いやつの多いこと多いこと。警備員が列を整理すると、また一歩また一歩とまえには進むのだが、チケット販売の窓口からはその分遠ざかっていく気がした。発売5分前。わたしは咄嗟にソフトボールクラブの”ザ・キャプテン”ササシュウに電話をし、こばちゃんの携帯番号を教えてもらった。こばちゃんは我がチームの名ショートストップであるが、ソフトボールの連中とは普段の付き合いがないため、携帯番号も登録してなかったのだ。
「こばちゃん今どのへん?」ベガルタ好きの彼にわたしはいった。
「結構まえにいますよ。買いますか?」さすがこばちゃん、話しがはやい。
「たのむ。二枚追加でよろしく」
「わかりました。買ったら電話します」
そのまま並んでいたらどうなったかわたしには想像もつかないし、想像もしたくない。結果はチケットを手にした。友達が増えたということだ。
「こばちゃん、こっち並びなよ」
わたしは入場待ちの列に並ばせたレイコの姿を発見すると、こばちゃんと共にズル入りした。これでいいではないか。