ヒーロー門外伝『MEMORY LOST』

(初出:第86号 04.6.20)

ふと。気が付くと、住宅街で夜だった。立ち止まったつもりが2、3歩、踏み出した勢いから察するに、俺は今まで走っていたのか。右手が後ろに回っていることに気付き、前へ戻そう、とすると同時にその腕に重みが伝わり、何かを支えていることに気付く。慌てて背負い直すとそれは少女で、スヤスヤと寝息を立てている。してみると散歩の途中でもあったの、か。

公園があって、ベンチに腰掛ける。少女を横たえ、着ていたシャツを掛けてやる。夜風が心地良い。少女は温もりを求めるようにシャツを掻き込む。スッポリと覆われると、ようやく俺は独りになった。さて。
「俺は一体何をしていたんだろう?」
ここに記した以外の事を、俺はまるで覚えていない。何故ここにいるのか。そして、この少女は、誰だ?
呆として思考がついてこない。その割に、体は力がみなぎっている。今まで何をしていたか、まるで見当が付かないが..疲れてはいないようだ。やれやれ、じゃあこいつらを相手にすることが出来る。どうでもいいが、少しは考える時間をくれ。

俺を囲むように3人、若者が迫っている。立ち上がると一斉に襲ってきた。俺は何の感情も戸惑いも無く、相手の攻撃に反応するだけ。まずは一人目が放ったストレートを懐に入り込んで交しボディ、体を折曲げたところ顔面にヒザを叩き込む。間髪入れず右からの上段蹴りを腕で跳ね上げ、片足立ちになった二人目を足払いで倒し鳩尾に一撃。最後は背後に被さってきたのを教科書通りに一本背負い。
他愛もない。俺は今、お前らみたいなチンピラを相手にしている場合じゃないんだ。少女をシャツごと抱きかかえ、去ろうとしていると、背後に立ち上がる気配がした。チッ、しぶといな。
今度は容赦無いつもりだった。急所と言う急所に踵を拳を叩きつけてやった。なのに..奴らはノロノロとだが起き上がる。格闘経験者か?よく分からないが、倒れないなら倒すことは出来ないな。徐々に距離を取り、逃げ出す隙を伺っていたら、一人が口から液体を吐きやがった。
汚ねえな!..と、肩口に掛かったと同時に焼けるような痛みを感じた。煙が出て、シャツが溶けている。口から酸を吐く?人間じゃ、ない..。庇った右手に、リングが光った。その瞬間、俺はいつもやっているかのように左手をリングに当て、頭上にかざす。
「封印されし力、今解放する!」

彼は変身した。バトルコスチュームに身を包んだ彼は、再び戦闘意欲を取り戻したようで、まっすぐ敵に向かう。素早い動きで通り過ぎ際、一体の頭部から冠様のものを引き千切っていた。一瞬、連中の動きが止まったように見えたのは、彼が目にも止まらぬ早さで攻撃を加えていたからである。すると先ほどまでのしぶとさが嘘のように、次々倒れ、というより崩れて土塊に変わっていく。彼はその、異様な光景を見ることなく、掴み取った冠の中央に輝く宝玉に思い切り拳を打ち付けた。壊さなければ、これを壊さなければ..。

で、..気が付くと俺は、冠を左手で地面に押し付け、右手を振り上げていたって訳だ。何をやっているんだ?
チンピラは立ち去ったようで、俺は妙な冠を手にしている。少女は眠ったまま。俺は急にうそ寒くなってきた。記憶が途切れると、俺は何かを拾っている。いや、奪っているのかも知れない。少女を拉致し、追ってきた連中から金品を強奪?いやいや、そんなワルじゃないつもりだ。しかし..このままここにいるのは、どうもマズいな。

少女を小脇に抱え、彷徨う事しばし。俺は1軒の家を前に立ち止まっていた。勿論我が家ではない。門に立てられたのぼり、「入居体験受け付け中」という文字を眺めている。辺りに人影なし。門を開けると、庭先へ回ってみた。おあつらえ向きに、勝手口横の小窓に鍵は掛かっていない。
他に行く当てもなし、とにかく明けない夜はない。こういう時は寝るに限るさ。

どうやら季節は初夏、のようだ。寝苦しくはなかったが、ほんの一刻の浅い眠りは早くも昇った朝日の眩しさに遮られた。ボンヤリと、傍らで未だ眠っている少女を眺める。栗毛色の髪と、やや浅黒い肌。間違っても同じ人種ではない。こりゃ、いよいよ俺は犯罪者っぽいな。何をしようとしていたんだ。
覚えの無い悪事に考えを巡らせていたから、目を覚ました少女と目が合った途端、俺は思わずうろたえた。
「まあ、落ち着け。何もしないから。」
怖がらせない為の必死の自己弁護は、結局自分に言いきかせただけだったようだ。少女は俺を見て、笑みを浮かべたのだ。
「俺を、知っているのか?」
年端もいかない子供だから、言って分かるとは思っていなかったが、どうやら日本語自体分からないらしい。俺の言葉には無反応で、俺の右手、に光るリングに頬ずりすると、再びまどろみの中に落ちていった。俺は彼女を抱えながら、兎にも角にもホッとしている。ひとまず誘拐犯として逃げ回る必要はなさそうだ。
ただのんびりもしていられない。ここではあくまで侵入者。社員が出勤してくる前に立ち去らねば..。俺はそっと、少女を寝かせ洗面所へ。顔を洗って出直しだ。

冷水に洗われ、幾分気が晴れた..かに思えた感情は、鏡に写った自分の顔を見て一気に吹っ飛んだ。今まで俺は途切れた自分の行動について考え続けていたが、根本が分かっていない事にようやく気が付いたのだ。この俺は、一体誰だ?
慌てて服のポケットを探る。レシートでもガムの包み紙でもいい、ともかく俺を一般人と証明する何かが出てきてくれ!
..あったのは、夕べ手に入れた冠だけだった。これは、俺を証明するものでは..ない。

暗澹たる面持ちで部屋に戻ると、少女は今度こそ起きて、こちらをじっと見ていた。いなかった事に、少々不安を感じたらしい。すぐさま抱きついてくる。そうだ、この子は俺を知っている。俺は異邦人ではない。
俺は彼女から推測出来ないかと、改めて観察してみた。どこかしら神秘的な風情を感じる子供だ。高貴の身では?と当たりをつける。姫君、としてみると、俺はボディ・ガード、とは出来すぎた話。だがあながち間違いとも言えなさそうだな。そうだ、冠。これは、この子の持ち物では?
試しに出して見せるが、特に反応は無い。何の気無しに、俺は彼女に冠を被せてみた。

冠の中心にある宝玉が異様な輝きを見せた、と同時に彼女の瞳が真紅に染まる。彼は即座に彼女から冠を外そうと手を伸ばしたが一瞬遅く、大音響と共に一筋の光線が彼女の目から発せられた。彼がかろうじて冠を引っぱった為、彼女の視線は天井へ、光線は垂直に上がり、冠が外れると消え去った。

頭上にポカリと、青い空。
俺はそれを、家の居間から眺めている。屋根は綺麗に取り払われて..破壊されてしまっていた。一瞬の出来事に、頭は混乱の際にあるが、ただ一つ、はっきりと思い出した。「これと同じ状況を、俺は前に体験している」。
崩れ落ちるように倒れた少女を抱え、俺はこの家を後にした。浮かんできた記憶の場所へ向かう為。勿論、この場を逃げ出す為でもある。

俺は今、ようやく掴んだ一本の記憶の糸を頼りに走り続けている。夕べの公園を通り過ぎ、見覚えのある方向へと突き進む。あの自販機の横を、あの交差点を曲がり、あの路地を抜けて..。小半刻も過ぎる頃には住宅街を抜け、山間をひた走っていた。すでに道からは外れ、全くのけもの道であるが何しろ余計な記憶が一切ないので、迷う事がない。糸は途切れる事なく、ほつれる事無く俺を導く。
やがて山荘が見えてきた。ここが記憶の終着点、つまり昨夜の出発点であるようだ。

山の中腹、眼下に街を一望できるこの一軒家は、森に囲まれ全く孤立している。どうしてこんな不便な所にあるのか、いかにも怪しげであるが、勿論陸の孤島という訳ではなく、裏(山手)には細いながらも舗装された道が通じている。ここから街に出て行ったとして。どうして道なりにたどり着かなかったのか。つまり何故、俺はここから道無き道を通って山を下りたのかという事が不思議であった。俺は、ここから逃げだしたのか?少女を背負って。そうだ、この子の様子は..と、ボンヤリと目を開けてはいるが、虚脱したままだ。
何か肝心な事が思い出せずにいたが、ともかく少女を休ませるべく、自分が何者なのか、手掛かりを探るべく家に入った。

雑然と散らかった居間は、明らかに争った形跡を残していた。少女をソファに横たえると、室内を見回しながら俺はここで何が起こったのかを思い出そうとしていた。そこに、一人の初老の男が現われる。
「戻ってきたか悟!」
「..父さん..」
名前を呼ばれ、思わず口に出た言葉で俺は瞬転、左手をリングに当て、頭上にかざす。
「封印されし力、今解放する!」
俺、河原島悟は変身することで、失われていた記憶を取り戻す。戻ってきてしまったというのか!?父のいるここへ、少女と共に!

学者である父は、未知のパワーを持つ石(=宝玉)を発見し、長年の研究の結果ついにその力を制御する技術を開発した。俺の右手に光るリングが、それだ。危機に陥ると、封印されていた宝玉の力は俺の意思に応じて解放され、俺は超人に変身する。しかし日常でそうそう危険など起こるわけもない。どういう意図でこれを作ったのか、父の考えを今は聞くことが出来ないが、何となく分かる。この力を悪用する者が現われた時に備えてのものだったに違いない。
事態は最悪の展開で訪れた。中東で新たな宝玉を見つけ帰国した父の隣には、あの少女がいた。道中出会った彼女は、神秘的な力を持っていて、父の興味を引いたらしい。年は離れていたが、俺も妹が出来たようで、すぐに彼女は家族の一員となった。だがそれが、罠だったのだ。宝玉の力を悪用せんと企む呪術師がこの少女を父に引き合わせ、わざと同行させたのだ。少女は霊媒としての役割を(無意識に)押し付けられていた。呪術師は彼女を介し、父に憑衣したのである。父は自らの手で、最も望まなかった宝玉の使い道、破壊兵器としての装置(=冠)を作り上げてしまった。この冠を被せられると、人はバーサク状態に陥り、人間兵器と化してしまう。中でも少女のような力を持つものの攻撃力は絶大、今朝のような破壊光線を出すまでになる。他にも夕べの連中のように、地火風水など自在に操る事も出来るらしい。
昨夜、激闘を繰り広げながら把握した事柄はざっとこんな感じだ。

駆け足で状況を説明したが、無論この間は一瞬である。だがこの、纔な隙に父は少女を手中に納めた。
「その子を放せ!」
「これがいないと我が意思が伝わらんのでな。お前の父親が正気に戻ってしまう。」
奴は少女を抱え、部屋を出る。
俺はそれを追って、庭へ。向こうが立ち止まり、こちらも追い付いたが、乗っ取られたままの父を前に、何も手出し出来ないのが現状だ。
「貴様だけは許せん!」
俺はこう言って牽制するしかない。昨夜もここまでは一緒だった。そして呪術師の傀儡であるこの少女を連れて逃げた。この少女さえ離しておけば、憑衣から父は逃れる事が出来る。正気を取り戻した父が、何か手を打ってくれると思っていたのだが..。あろうことか自分から、しかもすぐ翌日に、舞い戻って来てしまったのだった。何故記憶を失ってしまったのか、それだけが悔やまれる。
だが今回は、恐れるべき冠が無い。あの仮住居に置いてきてしまっていたのが幸いした。少女さえ遠ざければ、父と善後策を練る事が出来る。多少痛い思いをするかも知れないが、ここは少女を取り返す事が先決。

悪いな親父。と、軽い気持ちで踏み出そうとした時だった。何と父は懐から冠を取り出したのだ!
「な、何故それを!」
「はっはっは、私が放った屍鬼は、全て倒された訳ではないのだ。お前はせっかく手に入れながら、これを捨てたようだな。ちゃんと拾って、こうして届けてくれた。」
奥に夕べと同じ様な若者が現われた。クソ、ザコのくせに!
「..さあ死ぬがいい!」
冠を被せられ、少女が目覚める。駄目だ、間に合わない!
少女が発した光は、今までの強いビームと違い、周囲を発光させるような、ぼんやりとしたものだった。不思議な力が満ちてきて、俺は今までの疲労を忘れる。対称的に顔を歪め周囲を見回しているのは奴だ。
「おのれ..最後の最後で逆らいおって!」
冠を被せられ、破壊兵器としてロボトミー化したと思われた少女は、ほんの少し残っていた自我が最後の力を振り絞り、光線を彼女本来の力、癒しの光へと変えたのであった。
少女は、精魂尽き果てて崩れ落ちた。
奴は冠を引き剥がすと、傍らに立つ屍鬼に向かってそれを授けようとし、固まった。
「クッ..グアア..こ、これは私の体だ..!呪術師め、出ていけ!」
少女のヒーリングによって、父が蘇ったらしい。苦悩する父親の姿はまさに肉親のそれであった。俺は必死に考えをまとめる。親父が自分を取り戻す為には..そう、傀儡である、少女を遠ざけることが一番だ。

俺は素早く少女をひったくると、一散に山を下りる。昨日と同じ展開。
「お、おのれ..貴様だけは許さんぞ!」
背後から父の声がして、俺は光線を浴びて吹っ飛ばされる。最後のあがきで、奴が自ら冠を被ったようだ。父も力を使い果たし、倒れた。少女が離れ、呪術師の憑衣からは逃れる事が出来ても、おそらくしばらくは失神状態であろう。その間に、俺は少女を遠くへ。出来るだけ、遠くへ..。今度こそ、記憶よ、途切れないでくれ!光線によるダメージはあるが、昨日の死闘に比べればまだマシだ。大丈夫、俺は覚えている!

だがしかし、彼も気付いていない盲点が一つだけ残っていた。彼のリングの力と対を為す、冠の力を浴びると..。彼は一切の記憶を失ってしまうのだった..。

ふと。気が付くと。住宅街で夜だった。俺は何をしていたんだろう?
 



後書き:
ラストを冒頭のシーンと一緒にしたかったのです。変身が今回は足かせになってしまったようで、えらい苦労しました。永遠にループする可能性を示したかったのですが、敵側の記憶はいじれず、片手落ち。



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