GRANDSTAND PLAY Vol.7 (03.08.04)


ピエロよ、俺だけの為に哀しく笑え 石垣ゆうじ

どちらも好きだったから、どちらの野球帽を被っていたかは定かではない。「南海ホークス対阪急ブレーブス」の一戦。11歳の私は、お百姓さんみたいに首を真っ赤に日焼けさせていたに違いないのだ。巨人戦は勿論、ヤクルトも西武の試合も雨で順延となり、万年補欠の野球部員が、否応なしに駆り出されてきた訳だが、紛れもなく彼等は私のヒーローだった。
首の火照りも構わず、私はラジオのプロ野球中継に耳を傾けたものだった。西日が青葉山の陰に消え行き、ひぐらしが「カナカナカナ」とすずしく鳴き始めても、大阪球場の蒸し暑さに変わりはなかった。甲子園ではない、大阪球場というのどかな響き。「ピーピーピーッ」とホイッスルが手拍子を統制する中で、冷えたビールとは対照的な、生ぬるい、気の抜けた野次が飛ぶ。しかし、その声には愛情が感じられた。
夕食を早々と切り上げ、部屋の灯りもつけずに聴く。すっかり夜の戸張りが下がっても、11歳の夜はこれからなのだ。
今井が投げて、門田が打つ。福本が走り、蓑田も続く。一打大逆転の場面では、ドカベン香川が、嘘みたいに本塁打を放ったりして、私は勝敗に関係なしに目頭を熱くしたものだ。
ノイズまじりの歓声は凄まじい。一瞬だがアナウンサーの実況をも遮る程の熱狂に音が割れたりする。明かに後楽園のどこかミーハーな盛上がりとは二味違った。観衆の数だけでいえば、それは後楽園の5分の1だったろうが。
そんな放送を聴いていると、自分だけが得をした気分になった。南海、阪急という決してポップスやロックではない、ど演歌な香り。未成年のクソガキが、赤堤灯の常連にでも認められた様な錯覚がそこにはあった。
同時に胡散臭い、昔ながらのサーカス小屋に入り込んだ気分。大男や小人もいて、囚われた悲しみをひた隠す様な表情をした少女が、獣を扱っている。そこには夢の空中ブランコなどあるはずもなく、代わりに、人間とは一本足りない可愛らしい掌をさし出したピエロが哀しい笑みを振り撒いているだけなのだ。
誰にも話せない。というか話さない。誰も信じてくれない、覗きに来た者、分かる者だけがくぐることの出来る木戸。「アハハーッ。遊ぼうよ坊や」いまでも、あのピエロの声が聴こえる。
 

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『会話というのはその人の人間存在のすべてだ。人間の技量、度量、器が出ない方がおかしい』(byターザン山本)
私の特技は人との間に壁を作ることだ。話しかけてくれるな、というオーラを醸し出し、人間関係の調和を遮断してしまうのだ。だから先日まで勤めていた職場での私は無口そのもの。おまけにポーカーフェイスだから相手としては何を考えているのか分からないだろう。でもこれって完全に人間失格もの。そういった性格をもう少しオープンにする為にも、仕事を辞めたのは正解だ。何故なら私は本来、もっとお喋り好きで、人間が好きなのだ。気のおけない友人同士が集えば、誰よりも率先して話すのは私だし、人の話を聴きたがるのも私だと思う。ただ、そこには会話のレベルの高い者がいなければならない。二重言語を理解し、物事に過剰反応する人の事だ。確かにそれは、付き合いの長い者同士の特権なのかもしれない。だが『会話は人間存在のすべてだ』から、生きている以上、最低限度の相手とは自由に会話を楽しめねばならない。懐の深さが問われているのだ。まずは、自己主張もさることながら、相手を受け入れるゆとりも身に着けないと。只今リハビリ中である。
 



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