経年怠化                        足取

(初出:第279号 20.9.20)


スカイツリーがまだ工事中だった頃。旅先で携帯を持たずに出掛けてエライ不安な目に遭い、他に何も要らぬ、携帯さえ持っていれば大丈夫の時代が来るんだなあと書いたのは震災の1年前。
という事はわずか10年で、すでにスマホは必ず持ってくるけど、サイフは持ってこないのが当然の世の中になっていた。
退職されるので一人1000円、餞別代を下さいと回って、家計を担う年配の方々が「今日ちょっと持ち合わせないから今度でいい?」となるのはいつもの話ながら、家計簿なんて付けたことないでしょ、と言いたくなる若い人たちから「お金持ってないから明日持ってきます」と言われることも当たり前になった。「仕送り前で今月あと3千円しか無いんで〜」といった学生ビンボーあるあるではなく、スマホで済むから現金持ってないの類。
逆に「何かあった時のために」とスマホケースに千円仕込んである、なんて昭和のサラリーマンのような備えをしている方も。WEB決済がよくシステムトラブル起こすから、その時のために、だって。
サイフ持つのがそんな手間かね??と理解に苦しむのだが、そう言う私もかつては手ぶらで外出が当たり前だった。サイフ、タバコ、ケータイ。これらをあちこちのポケットにねじ込めば済んだから。今はスマホにエコバック、電子タバコとポケットに入るサイズで無く、手荷物を持ってが外出スタイル。本を読む(買う)人だったから空でもナップザックを背負っていた学生時代に逆戻り。

先日、テレビ端子の付け替え工事と聞かされて強制的に部屋の片付け。結局電波測定だけで「替える必要無し」となり、スペース確保は徒労に終わったのだが、暑い最中本気になって作業を始めたのは「物捨て」が懸案事項になっていたから。
大震災が10年一昔となりつつあり、フト、寝ている時に気付いたのは「今揺れたら本棚の上に積んである書類関係、これが雪崩落ちてきて..あ、ダメだこれは」。
といって普段は腰が重く、寝苦しい夜に、目が覚めてしまう明け方にボンヤリと「地震でなくともバランス崩して滑り落ちてきたら..頭直撃だわ」と、常に引っ掛かった状態が続いていたから。
それでもかつてなら断捨離と思い切ってもせいぜい整理するだけで捨てられなかったであろう紙を容赦なく捨てられたのは、ペーパーレスが進んで「これらはデータで持っている」安心感が出てきたから。空空空。
「紙だと全体的に眺められて、内容が掴みやすいんだよ」
紙媒体にしがみついている身の精一杯の抵抗であったが、本と同様に何年も見返していない書類など持っていても無用也。
「何かあった時に困るから、明細類は取って置きな」
これも平成の昔の話になりつつある。だってもう明細が紙で出て来なくなっているんだもの!途中からすでに紙で取って置けてないのに、さらに昔の数字を持ってたって!
こうなると流れは止められず、つまり震災以来の大掃除であるから10年分の紙類を悉く捨てる箱へ。すっきり!片付いた!
さて..。これらって個人情報満載だねえ..。シュレッダー..自力しかないか..。
という事で、頭上にあった紙の束は無事取り除けたものの、足元に移動したまま。

この夏起きた、歳を感じる寂しい話を二つ記録しておく。
目が悪くなっているのに眼鏡を掛ける習慣を持っていなかったから、仕事中はしょっちゅう険しい目つきであちこち眺めている(のだろう)。
この頃はマスクで顔が隠れているものだから、通りすがりに知り合いが通ったと思って「やあ!」と手を挙げたらどうやら知らない人だったらしく、無反応で通り過ぎられ、こちらも挙げた手をあらぬ方向に曲げてやり過ごす、なんてこともしばしば(若い人は皆一緒に見える、これもまた歳のせいか)。
だから見えるように運転中は眼鏡を掛けているわけで。夜中にコンビニでタバコを買い、ふと賞味期限を確かめようとライトを点けて見たらぼやけて2?3?判然としない。
いやいや、眼鏡を掛けててピントが何故合わぬ。つ、疲れているのかな??と少々焦りながら眺め続けるも一向に判別付かぬ。どうした!?汚れか!?とメガネのせいにして思わず外した裸眼でハッキリ「3」と容易に見えた。
これはその..つまり、『老眼』という現象なの?

8月の最終週は過酷な熱波で夜中の無風高温多湿にグロッキー。ロクに寝られず意識モーロー。ようやく風向き変わり日中も肌寒い秋の空気になるも、再び週末は南風残暑再来と。
いう天気予報を見て、寝溜めするならここしかない!
普段は仕事終わりに夕食を購入し、自宅にて晩酌を嗜む日々も本日は飯も酒もいらぬと直帰して早々に布団に倒れ込む。寒いくらいの涼しさで今から寝れば9時間は固い。よしよし、寝倒して体力回復じゃ!とテレビのスリープを1時間にして寝るための洋楽特集を流す。
..結局最後まで観てしまい、テレビの通販を観るでもなくスリープをちょこちょこと延長してようやく落ちる。
で翌朝(曇り空なのに)明るくなったらもう目が覚めて、いつも通りニュースを流しながら横になり転寝。いつもと変わらずマトモな睡眠は4時間くらい?
まあそれでも、9時間身体は休めているわけだから十分回復作業になったハズ。
涼しさは翌日まででそこからは再びの熱帯夜と聞いて、本日も同じ行程を!
さすがに食べなさすぎなので今日は軽くコンビニでおにぎりだけ..と思って入ったら、新商品で非常にそそられるメニューがあり、惣菜も今日に限って残っている、思わず購入とレジカゴに放り込めば当然付随する一杯も買わないと..。会計時、慌てて車に戻りエコバック。
結局寝溜め休肝日は1日だけで、翌日は寧ろ大宴会の様相に。これでは回復も何も実感無く再びウンザリな夜が続く。
若い頃は1日25時間生活、半日だって寝倒せたんだが..活動自体は鈍くなり、休日は確かに半日以上ゴロリと転がっている生活ながら意識は半覚醒のまま。休息にも体力を使う歳に完全になってしまった。

日射しに狂気を感じるようになってしまい、歩き飲みも夏季休業。先日、ようやく曇り、雨降らないの予報に徒歩で出掛ける踏ん切りが付く。
じっとりと梅雨時に戻ったような蒸し暑さで爽快さは無いものの、そこまで耐えてようやく口にする夕暮れ時のレモンサワーはまさに「夏!」を今年初めて感じられる美味さ。
そしてフラフラと帰宅する道行き思ったのは、自衛防衛の考え方も実にフワフワしているなと。
車移動は点移動になるから人との距離を考えることはほとんど無いが、徒歩で移動すると目的地にたどり着くまでに相当な接点がある。マスクして、距離置いて。すれ違うだけでは感染しないよ、言われているけれども通り過ぎたOLさんの脂粉の香り。マスク関係無し。
そうなれば店の入り口で入れ違い際、タンの絡んだ咳をして憚らないジジイの飛沫は?避けようが無いよねえ。
夕暮れ時は「退社ラッシュ」。次々と通りに現れる背広組は「3人、4人連れ」で「会話を続けながら」家路へ(飲み屋へ?)急ぐ。3密の定義もこうなると怪しいもの。外以外の空間で彼らと一緒になれば濃厚接触と言えてしまわない?
こんな状況にも関わらず宝くじに当たるような確率で推移する感染率。何だか怖くて街に出れないと言っていたのが馬鹿々々しくなる。酔ってる?
無論動き回ればリスクは高くなるわけだが。仕事をしている以上家にいれば間違い無しと言える生活でも無し。
都内の知人たちも、半年を経てこのところようやく近況を聞けた。どうなっているのか恐ろしくてこちらから聞けていなかったら特に変わり無しとの事で、連日何百人と出ていても人口に比すれば千人、万人単位の差異であり、これらを踏まえれば納得の話。
とはいえ..。
格安で上京できる絶好の機会なのだが..そこに踏み切れるまでには至っていない。
なので最初の一歩は隊長との約1年ぶりの外飲みにしようと決めました。「新しい生活様式」で果たしてどのような形と、なったのでしょうか??
(この項続く)


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かなり微妙な結果になりました..