妙な具合で「断捨離」の味を知る。
外付けHDD購入のきっかけは、内蔵HDD付きのテレビが壊れて保存性の問題が生じたためでもあった。モニターがやられると中身が見られなくなるから、この2つは分散させればリスクは解消すると。
そうしてこの話はひとまず置いておいて、前回取り上げたように豊富な容量に任せて録りまくっていたら消化不良に陥っていた。年末年始に向けて、いつか整理、消去しまくらなければならない。
その考えが頭の隅にあって、或る日の出勤前、急に思い立って一気に削除することに。観終わったもの、シリーズで録っていたけれどもう観なくてもいいやと思ったものを順にチェックしていき、最後に「削除」ボタンをポン。およそ400あったタイトルの内1/3ほどをそこで消す。何と楽ちんなこと。で5分ほど掛かって作業が終了。改めて出てきたリストに..あれ?消したはずの番組がまだ残っている。そしてこれは絶対見返すだろうと残していたはずの前後編の番組の前編が..ええ??消えているじゃないか!?
どうしよう?いやどうしようもない。「削除」といってもHDD内にはまだ残っていて、その場所に今後新しく録った番組が上書きされていく、仕組みは分かっている。だからパソコンのワープロのような「やり直し」機能は..見当たらない。
一瞬錯乱するがもう復旧を考える時間的猶予は無い。出勤前のわずかな時間で思い立った作業だ。ともかく再度、消したつもりの番組を「削除」する。20ほど残っていただろうか。作業が終わって出てきたリストをスクロールしていくと..ああ、今度は後編も消えた。
所詮機械である。こちらの順列などお構いなく、大量の削除指示が出て前後にあった「残す」つもりの番組まで消していって、エラーの認識も無い。
慎重に1番組ずつ消す作業を繰り返すべきだったか。いやいや、そんな悠長なことをしなくてもいいスペックであるはず。「保存」を強調するための..「保護」というチェックがある。これをしていれば良かったのか。そりゃこっち(人間)のうっかりミスを防止するための機能だろうが!!
スコン、と頭の中の妙なスイッチが、入り「いつか見返すだろう」ぐらいに考えていた番組も次々と「削除」していく。途中で寝てしまった記憶があり、まだ半分ぐらい未視聴のはず、という番組ももういい!!
すっぱいブドウを繰り返し念じつつ、結局半分以上の番組を「削除」し、150ほどまで減らす。不幸中の幸いで、そもそも削除しようと思い立った経緯はその数日前にリストを「視聴済みコンテンツ」と「未視聴」のフォルダに2分出来る機能を見つけていたから。「観たか」「観てない」かはっきり区分できたので、「観た」方を整理しようと思えるようになった。機械もそこは偉いもんで「未視聴」フォルダの方は一切手を付けなかった、らしい。もしかしたら数番組、消えていても気付かないだけかも知れないけど。未視聴のアニメ番組は全話残っているから多分大丈夫。
しかし今まで期待していた「外付けHDDに保存版を残す」という考え方は捨てざるを得なくなる。これもまた、機械を信じすぎていた。彼等はものの価値を判断してくれない。針先一つで平気で隣の重要プログラムも飛ばしてしまう。だからこちらも、繰り返し観たいだのいつかまた、だのといった甘い考えを「捨てる」。1回ちゃんと観て、身体に通したら終わり。次に進むべきである。
コンテンツの豊富さに流されていたことを憂慮していたが、流されるままでいいから前に向かっていこう。憑きものが取れたというか、観なきゃと引っ掛かっていた番組が綺麗さっぱり消えて無くなったことで淡々と未視聴番組がこなせるようになっていった。面白い面白くないとか、気分じゃないとかうだうだ引き延ばしてないで、順繰りに観ていってまたイベント日が来るのを待てば良い。そんな中でもう一度観るかと同じ番組を録画する機会もあるだろう。で結局観始めるとどんな番組も面白いんである。観たいと思って録っているんだから当たり前か。そしてこれ一期と集中して観る姿勢に戻った結果、番組中に寝入ることも少なくなり。
ははあ、期せずして「断捨離」出来たんだなあと思い返す。
ほぼ10年使っている、MDラジカセを物色しはじめる。
CD機能は相当前に使えなくなっていた。クリーニングキットもあるがロクに作用した実感を伴ったことがない。すでにCDからMDへのダビングをする時代でも無いから、ラジオ(録音)機能さえあれば問題無し。
しかしMDというのは書き換え無限であると思っていたら、いつしかカタカタ、キュンキュンといった異音が伴って慌てて新しいのにチェンジ。そんな経験があったから、秋ごろ深夜の録音中にまたしても異音が起きても「またか」とだけ。「いやまだそんなに経ってないはず」と思い直し、耳を澄ませば今回は書き込み機能が異音を発しているポイ。経年寿命が近づいている足音に聞こえる。
すでにAMアンテナの接続部がプラプラしだして雑音がひどく、聞くに堪えない回もあった(内容ではナイ)からいよいよラジオもネットで聴く時代に入るか。力尽きるまで、ラジカセには影響の無いFM、それこそ年に数回の「三昧」あたりを録るためだけに使う。そこそこの分量があるMDを再生する機会も今や年に数回。思い立って聴きたくなるときもついついネットを利用してしまう時代に。
等々、かなりの余裕をまだ持ちながら、それでも買い替えを考えてみる。何のことはない、ネット通販で売っているかどうかは一発判定。量販店に並んでいないのはすでにチェック済み。そうしてみるとやっぱりもはやMDラジカセの類は作られていないようだ。コンポはあるものの、音響メーカーによる本格仕様の10万円台。中古品は出回っているも、実に少ない。MDって、そこまで無視される代物だったのか。ベータを買った70年代を体感しているようだ。ほとんど変わらないスペックだったのに、汎用性だけでそっぽを向かれたメディア。
MDは寧ろ改良版のはずだ。カセットより音質良く繰り返し録音が出来、CDより保存性に優れる。まウォークマンタイプでは音飛びが若干しやすい、MDでソフトが出たことが無い。何より痛いのはパソコンと関連付けられなかったことか。映像画像ともパソコンからCDには取り込めた。そして程なくフラッシュメモリ、SDカードやメモリスティックの登場。大量のデータが1本にまとまり、カスタマイズも得手とくればそちらに向かう。今や音楽部屋が机の上のカード電卓サイズに収まっている時代である。
つまり普及する時間があまりに短すぎ、通り過ぎられたメディアだったと言える。カセットなんざここへきて「音が優しい」と再評価されているとか。保存性には難ありだと思うんだが..やっぱりMDの敗因は汎用性か。
となれば、こちらもとっとと見限ってパソコンで全てまかないたいのに、後ろ髪を引かれるのが「永久保存版」のはずの10数本。ネットで揃え直せなくも無いようだが何せ曲数が..。そこでMDラジカセを卒業するために、MDからSDへダビング出来るラジカセを購入することにする。それとももう少し待てば「古いネガをデジタル化してCDに移し替えます」みたいなサービスが登場するか。
即購入に踏み切れず、リサイクル店を回る際の物色リストに加えて今回はここまで。
地下鉄東西線に乗る。開業日に休みでお祭り騒ぎを眺めようかと野次馬根性が働くも、沿線開業万歳の立地ではないから見送る。それでも普段乗りなれていない分、一度乗っておきたいと思っていた。隊長と忘年会の一日、普段は原チャでフラリの駅前へバス移動なので急遽思い立って地下鉄仙台駅へ降り立つ。お目当ては西の終着駅「八木山動物公園前」にあるという標高日本一の看板。これを撮って久しぶりに(書き込んでいない)SNSのプロフィール画像にでもしようと。降りてブラリの時間も無いから構内行って来いなら入場券で済むのかしら、料金表を眺めてみると、そうか、南北線との乗り換えもある。仙台駅〜八木山〜青葉通駅、ここで降りて一番町を歩き国分町へと考えていたら、仙台駅まで戻って南北線で広瀬通駅まで行くと国分町は目の前。しかも料金は同じ200円。よし、出来た!
切符を買って早速入る。案内に従ってホームに降りた、はずが行き先をみるとこりゃ南北線じゃないか。折れ方を見事に間違える。戻るのも恥ずかしいなと丁度奥に別の乗り換え口があるとの案内になっていたのでそのままホームを端から端へ通過して大回りしてようやく東西線ホームへ。帰路の乗り換えで改めて案内を確認したら、手前の階段を下りると南北線のホーム、東西線はその奥へ進めという指示にちゃんとなっている。係員も手を回して誘導していたというのに、改札からすぐ降りてホームへと勝手に解釈したようだ。自覚の無い方向オンチが見事に出た。
仙台駅では南北線の、さらに下を通っているからホームに通じるエスカレーターが長く、新宿での大江戸線を思い出す。進行方向の最前列へ。鉄ちゃんがいるかと思っていたら観光目的らしきは老夫婦1組のみ。ラッシュ時は5分間隔程度と聞いていたので時刻表も見ずにすぐ電車が到着。前にかぶり付きの先客もおらず、あっさりと操縦席の見える立ち見最前列へ。ここは見物客全開で客席を振り返る。評判で聞いていた狭さは確かにある。天井は200cm..いや220はあるか。それでもつり革につかまる勢いで天井に触れる低さ。横幅も3人立てるかぐらい。しかし開業1週間ほどですでに通勤列車。夕刻ラッシュの手前だが全ての連結駅である仙台駅発車でまだ座れる余裕がある。
道中楽しみが2点。広瀬川での地上走行とそこから先の山道。しかし冬の日暮れどき、ほとんど見えず。普段から観光するときは眼鏡必須と気を付けているのだが、今回はバス移動が裏目に出てうっかりして眼鏡を持ってきていないのではっきりとしない。それでもかつて暮らしていた地域を地下鉄で通っているという感慨は深い。学生時代、チャリンコで駆け回った地元を地下鉄で、とはねえ。坂を上っているという感覚はあまりない。不審で後ろを振り返ると、一応ある程度カーブしているようだが、ほとんど直線でグーッと登っているようだ。これは帰りにもう一度確認した。登山道のようにウネウネとして登っていくと考えていたが、言っても海抜150m程度、緩やかな角度で登っていけるようだ。
さて終点八木山へ降り立ってホームを見渡せばそっけなく地下のまま。あれ、新聞に載っていた標高の案内板はここでは、ないの?イメージではホームの時点ですでに山の上が感じられる雰囲気だったから嫌な予感を抱きつつ改札口へ上がってみると案の定そこも何の観光地らしさもなく改札がある、以上。
やっぱりただ乗りとはいかないかと苦笑しつつ、乗り越しの清算をして改札を出る。200円で観光のつもりが往復600円キッチリ払う羽目になってしまったが、この後飲みなので財布は緩い。さて、それでは件の観光標識はと、探してみるもとにかくまだ地下なので早く地上に、高さを感じられる場所に移りたい。エレベーターに乗ると駐車場の上に観光広場と。これだ!
で5F相当の広場に出てみたんだが..想像以上に山の上。青葉城のような眼下に仙台市街が一望できると思っていたら、南側にわずかに開けていて、市街方面には目標の八木山動物園が控えていて遠望出来ぬ。しかたなく大年寺山のテレビアンテナをパチリ。せめて案内板をとウロウロ一回りしたら時間が結構迫ってきている。うーん、まあひとまず乗った、だけで今回は良しとするか。
帰路も今度は最後方の運転席を眺め下りを体感する。やっぱりグーッと、直線で降りている。最後ちょっと方向転換して、駅、という感じ。
それでも車でうんしょと登っていく八木山へ、チャリや徒歩なら一大イベントにもなりえた場所へ、駅前から地下鉄で行ける時代になったというのが素晴らしい。佳那氏など毎回来る度に青葉城址へとせがまれるのだが、今度は仙台駅に降り立ったら一杯引っ掛けたその足で立ち寄れる場所になったわけだ。
半年ほど続いている日本酒ブームに一応の結論が出る。酒の香に目覚め山田錦から吟醸酒へと移っていく中で、気になっていたのが辛口で求める香りが感じられるかということ。糖質オフ、だから辛口のパック酒の味気なさを知ってから、辛口好みと思っていた自分の嗜好があやふやになっている。
また地酒の奥深さを知る。居酒屋であれやこれやと頼むものの、一通り飲んだ末の注文であるから銘柄に一応こだわっている体で味なんざ分かったもんじゃ正直、ない。唯一、あれば必ず頼む(日本酒を飲む時は)のは青森の田酒で、これは味も好きと分かっているんだが買って家で飲む類の代物では無い。地元の酒でも無いし。何かこう、人から聞かれたら「私はこの銘柄のこういうところが好きなんです」と明快に応えられるような一本と巡り会いたいなと。それが地酒であればお土産好適品にもなる。
このところはかなりハマり具合が深まっていて、酎ハイを経由せず最初から日本酒でじっくり味わうなんて飲み方になっており、酒販店からスーパー、コンビニまで立ち寄る度にあれこれと、なるべく飲んだことの無い銘柄を産地にこだわらず買い求めていく中で、逆に避け続けていた銘柄があった。
一ノ蔵。あまりにも著名であり、代名詞たる無鑑査は都内の居酒屋でも普通に飲めたから学生時代からの馴染み。しかし今のブームは基本が純米酒であり、無鑑査は本醸造であるので飲む気になれず、それが際立っているから一ノ蔵イコールスルーとなっていた。年明けて、そろそろ帰りのコンビニのラインナップが乏しくなっている状況で、スッと目に飛び込んできたのが一ノ蔵特別純米酒「辛口」。お、辛口じゃないか。内容を見てみると何が特別かって県産米のみを使用というところ。ますますいいね。何となく、この時点ですでに「これは諸々の要望を適えてくれそうだ」と直感する。今まで色々な店で何度も目にしている、言ってみれば地元じゃ当たり前に手に入る銘柄なんだが機が満ちて巡り合えた感じ。
とはいえ無鑑査を飲み慣れている身としてはそれほど期待することもなく、家に帰り早速一献。「これは..これだ!」とすぐになる。深過ぎず、それでいて後味がきちんと香る、品の良い余韻は辛口らしいところ。引っ掛かりなく入っていくのも純米酒ならでは。やっぱり自分は辛口が好みと再確認出来、さらに県産米100%の酒ということで土産にもなり、地産地消は経済が回る?
何は無くともこの一本、何かあったらこの一本、がついに見つかる。今後はこれを基準にそれぞれの違いを飲み比べていく楽しみが増えた。
ちなみにこの一ノ蔵特別純米酒は3種類あり、有機栽培のひとめぼれを使用したものはすでに飲んだ。うーん、ご飯でいいんじゃない?という印象。ついでにもう一つは超辛口で、こっちの方がもしかしたら「私の一本」になるのかも知れないのだが。ミニサイズが見つからず、4合瓶(720ml)を思いきって先日購入するも、家に帰ってみたら「辛口」を買っていたという天然ぶりを発揮。本号に間に合わせようと思いつつ、現在家に日本酒が充実している(後記参照)状況でわざわざ焦る必要無しと、楽しみは続く。
問題はいよいよカップ、ミニサイズのラインナップを飲み尽くしてしまう勢いで、4合瓶に手を出すべきか否かと。ハウスワインの比じゃない価格で、純米、吟醸酒を嗜む身分なのかと。ただまだ打つ手はある。酒の充実したスーパーや、地酒中心の酒屋には足を踏み入れていない。休日に、酒を求めてショッピング。うーん、ついに極まってきた。