ぬけられます                             夏っちゃん

(初出:第179号 12.4.20)


酒風呂布団。これに勝る贅沢があろうか。慶事続きの友人が久しぶりに来仙ということで、張り込んで松島に一泊してみたら何とも極楽だった。以前から日帰り温泉は定例だがイタイのは即一杯といけないこと。まずは車を家に戻さねばならない。そして近場で済ませても、10分15分は歩いて帰宅せねば寝られない。これらを一挙に行えるのが、つまり宿に一泊という行為。
松島は車で一時間掛からない、言ってみればご近所であるから何もわざわざ..という思いが強かった。今回は逆手に取ってサプライズとして敢行。着いて一風呂浴びて、夕食は珍しい魚メインのバイキング+飲み放題。一ノ蔵を熱燗でキッチリ一升頂いて再び風呂へ。部屋に戻って缶ビール開けたら飲み干す前にバタンQと。
夕食時禁煙だったのが幸いしたか、二日酔いも起こらず朝風呂朝食で寝起きながら昨夜のテンション落ちず。こちらは帰って仕事、向こうも切符を取ってしまっていたが、「このまま今日は中尊寺辺りまで繰り出しちゃおか??」と提案するも、贅沢が過ぎると踏み切れず帰宅。
決行しても問題無かったんじゃないか。若い頃なら..と無茶出来なかった悔いがちょっと残った。

震災から節目の一年ということで、色々な番組をやっていて、地元じゃベストセラーになった体験記が全国ネットでドラマ化されたり。ただこの手の再現は結論から言えばリアリティーに欠け過ぎていると失笑。情報が乏しく、まして先のことなど見当が付かず、ひたすら体験を語り合っては起こったことを理解することに努めていた実感からすれば、混乱を表現しながらも筋道が通ってしまう台詞の応酬はあまりに空々しい。何より皆真剣な顔でいたのでなく、不安と安堵の入り混じった奇妙な半笑いだったはずだ。津波に遭った人以外は。とこれは個人的な回想であるが、周囲の反応は異口同音。真に迫るような話はやっぱり体験した身で無いと語れないんだよと上から考えていたら。
先日、「メガクエイク」第2シリーズ開始に先駆けて、第1シリーズが再放送されていたが開いた口が塞がらなかった。丁度震災の1年前に放送されたこの番組、当時も確か観ていたはずなのにほとんど記憶に残っていない。そしてその内容が、まさに今回の震災で起こったことを警告していたのだ。「想定外」というのはこのクラスのメガクエイクが三陸沖で発生することを指していて、起きた場合のシミュレーションはすでにされていたのである。スマトラ沖の津波の映像を見ていながら、沿岸部の現地を訪れるまでイメージ出来なかった自分が何を偉そうに語れると言うのだ..。
再現の出来云々より、それを身近になぞらえて対処法を具体的に考えることが次の被災地の方々にとって有益である。節目の一年はその機会を与えてくれたということだ。無論、危機が過ぎ去ったわけではない我々にとっても。

気が付けばテレビを流し見する時は報道系で止まることが多くなった。結局ニュースが他人事に聞こえなくなってしまったからで、震災の影響と考えられる。他方、経験が増えてくると似たり寄ったりの展開や話題のバラエティやワイドショーが退屈で仕方なく思える。結局ニュースが一番最新の情報だから興味が向く。年相応になってきたとも考えられる。
だからフジの「知りたがり」が午後枠になってしまってガックリきている。仕事前に付けっぱなしにしているのに丁度良かったのに、新番組は一昔前のワイドショーに戻ってしまった。惰性で仕方なく付けているが内容は全く頭に入って来ない。さすがに国会中継を流すまでには至らず。ニュース番組の最中に出られた早番の頃に戻りたいとまで思ってしまう。

「ルパンテレビスペシャル」の新作にて。声優陣が一新されたそうで、サワリだけ観たらあまり違和感を感じなかった。「ドラえもん」は未だに慣れないのだが。そしてどちらもずいぶん観ていないのだが。
「ルパン」40周年を記念してのテレビシリーズ新編は峰不二子をメインにした深夜枠。地元じゃ放送予定が無いようなので、ネットで観たら驚いた。原作に限りなく近い作画。デジタル制作になって可能になったのか、コンセプトがそうだからなのか、ともかく今までと全く違う印象である。(文庫本ブームの頃に)原作を持っていたファンからすれば、腰を据えてじっくり観たくなる。そうなると、声がちょっと物足りない。いや、台詞がもっとハードボイルドであって欲しい。せっかくの大人向けなのに掛け合いが従来のテレビシリーズで培ってきた形に引きずられている。ユーモアやアクションが豊富で、そこのところが原作と違うというのは問題にならないが、会話の質にはこだわってもらいたい。何しろ原作に限りなく近い作画なのだから。

座長から小説の共同執筆を提案されて、アイデア出しの前にまず「キャラクターを立ててください」と御大・小池一夫の高説を挙げた。近年ずっと思っていることなのだが、ご都合主義的なキャラクター設定が「お約束」の免罪符でまかり通っており、そこを脱却しない限り一発当てるという高みには登りつめられない。そしてアクの強いキャラクターを生み出したとして、それをどこへ持っていくか。SFミステリーのジャンルにしたいようだがどの読者をターゲットにするかでストーリーも全く変わってくる。今最も勢いがあるのがラノベだが、感性が通用するかどうか。個人的にはずっと中国史を掘り下げていっているのだけれど、そこと上手く合致するようなら今夏は久しぶりにパソコンの前にかじり付くことになろう。


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