協和荘通信回顧録

(初出:第48号 01.3.20)

...人生に挫折がつきものだとすれば。思いつく限り最初の挫折は17歳の春になる。
弓道部に所属して、最後の大会であるインハイ地区予選。近大会では無敵を誇っていた我がチームは、決勝で涙を飲んだ。その決勝の場に、正選手であった私の姿は無かった...。準決勝から、自ら進んで交代を望んだのである。6人1チーム、涙はあったが悔いは無かった。健闘を祝したといっていい。だがやはり、自分にとっては挫折であった...。自身の「弱さ(早気)」を克服することが出来なかった。インハイ前、明かに調子は狂いつつあったが選考で過去の実績を評価され、レギュラーメンバーとなったし自負もあった。団体戦であるから「誰か」が本調子でないことは茶飯事である。しかし、「まさか自分が」の思いがあったと言える。本番の、まさに総決算の真っ最中に、思い知ることになるとは考えてもいなかった....。
観念的に語るが、「絶対である」と思っていたことが覆えされる場合が時にある。まあ大概は「(自身の)単なる思い込み」の一言で片付く程度の些細な事。しかも「思春期」には打たれても打ち返せると思える若さがある。日常の出来事で、その(根拠は今イチ判然としないが不思議と力強い)プライドは揺らぎもしない。この時のようにある時期、あるいは時機に「絶対的だ」と思っていた世界観が根底から覆えされた出来事が、「挫折」と言うのではないかと思う。
さて、この「挫折」を知ると何を得るか。つまり広大無辺な世界である。世の中の広さ、深さ、価値観の多様さ、常識の脆さetc...失敗して得るものは極めて多い。それに気付くことが「挫折」と言ってもいい。
スポーツの良さはまさにそこにあると思うようになった。日常に関わっていないようで密接に関わっている。そして生活に支障を来さない所で生活を豊かにしてくれるのである。???
ところで、学生生活を終えるとともにスポーツからもずいぶん遠ざかってしまっている。唯一といえるのは友人が上京した際にするビリヤードくらいである。半年に一度あるかないかの頻度だが、何年も続いている。こちらは昔とった杵柄とやらで「まあ出来る」といったレベルだが、友人は我々とやっていた後も折りに触れやり続けている。
ナインボールというゲームは「運」の要素が強く、はっきりとしたレベル差が無ければ勝敗はそこそこ拮抗する(つまり完勝完敗はない)。で、毎回勝負は勝ったり負けたりである。「やってる割には大したことねーな」というのは軽口だが本音でもあった。こちらもかつてA級(つまりプロ)の方とやったこともあり、実力差については知っているつもりだった。それに比べれば恐るるに足らず。まあお互い遊びの範疇だな、と。
先日、彼が関東を離れる日がやってきた。で、最後の会合でもビリヤードをやった。相変わらず勝負は拮抗。彼は途中から、ヒネリを入れずに打ってきた。そこで私はようやく彼とのレベルの差を知ったのである。(ここから先、ビリヤード話)ヒネリを入れないことで、彼は確実に1ターンで1個は必ず入れてくる。そうすると、私が勝つ為には8番を入れたら9番も必ず入れてしまわなければならない。そうしないと次の順番は回って来ないのだ。実の所は7番くらいからは入れ切ってしまわないと厳しい。ここでハタと気付く。勝負という観点で打っていたのは自分だけだったのかも知れないと。そしてその勝負とは、漫然と8番までを入れていき、最後の9番だけが残ってさて、勝負だという程度のレベルでの話だということに。彼はすでにそこにはいない。もっと強いレベルで勝つ為のポジショニング、これを極める為の長い道のりに入っているのだ。
「武」においては全てそうだが、「道」に通ずるものと「術」に通ずるものの2通りの考え方がある。弓に於いては同じ「的の中央に当たる」ことでも、「弓術」の達人は「狙ったから当たった」のであり、「弓道」の達人は「結果としてそうなった」となる。「術」は結果を求め、「道」は過程を重視する。この考えはあらゆるものに応用されると思う。そしてそれを解りやすく体現できるのがスポーツだと思う。先に言ったスポーツの良さとは、つまり「道」のそれになる。
自分に勝つ為だけを考えていたとすれば、彼は単純に打っていれば良かったはずだ。しかし彼はそうはしていなかった。彼にすれば私と打つこともすでに練習であり、常の課題をないがしろにすることは出来なかったのである。
なんて大層なことを考えていたとは思えないが(そうでしょ?Kくん)。こちらは何となく君の志の高さというものに気付いてしまったのだよ。君はすでにビリヤード「道」を歩きはじめてゐる。もう一生ものの付き合いだね。どうか続けていって欲しい。
さて、俺っちも始めるかな。



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