演劇をやっている知り合いがいる。
仕事柄、そう珍しいことではない。しかし観に行くのは初めてだった。
♪上京してきてはや5年(by電気グルーヴ)。初体験の舞台鑑賞である。雑感を述べたい。
土曜日、2回。日曜日、1回。
公演は、以上である。この時のために、彼等は3ヵ月以上前から動いていた。
再演は、おそらく無いと言う。つまり、考えようによってはかなりのプレミアものの舞台を、20時間以上起きたままの状態で、見にいった訳だ。
午後2時。自転車に乗って阿佐ヶ谷へ。完徹状態も、天気がいいので体は結構、軽い。新青梅街道沿いに小屋はある。2時半。初めて行く場所ながら、簡単に見つかって拍子抜けだ。ただ、電車で駅から歩いてとなると、ちょっと迷うかも知れない(結構遠いのだ)。来るといっていた友達に電話をかける。
「もしもし、俺だけど。今どこよ?」
「はい、あー、今どこですか?」
「いや、着いたんだけど、ちょっと場所分かりにくいから、教えておこうと思って。あのさー、駅からまっすぐいくでしょ?...」
「え、もうついてますよ、あ、ほら、ここです。」
何と目の前にいた。
開演10分前。客席は椅子と、座布団(!)である。100人ほどのキャパ。椅子と舞台との間隔は、2m。座布団とそれは、何と0mである。この距離は、果たしてどんな効果を生むのだろう?
さて、一緒に観にきたのは3人である。皆、舞台鑑賞は初体験だ。この時点で客は椅子席で半分の入り。スペシャルリングサイドとも言える(笑)座布団席には誰も座っていない。20〜30人程度。客層は、20代男性が7割(我々もこの範疇)。残りは女性だが、御二方ほどご年配の方がみえる。我々はもちろん、知り合いが出ているからこの芝居の存在を知ったし、観に来たのである。他の方々は、どうなのだろう。少なくとも、この「劇場」を通りかかってフラリと入った、なんて訳ではないだろう。街道沿いのビルの半地下。前にビラが何枚か貼ってあるだけの状態である。しかし全てが縁故者というのも考え難い。どのような告知を打ったのか。私には知る由もないが。
開演5分前。舞台の上に、人はいない。しかし雑然としている。
片隅に、タウンページ。もう片方に、食べかけのおせんべいの袋。三方の壁に貼られている日本地図や標語は、何となく演出だろうな、というのがわかる。しかし、これは何だ?小道具にしては脈絡が無さそうだし、小劇場故のルーズさ(掃除シテナイ)なのだろうか。そういえば、話の内容を全く気にしていなかった。普通、金を払うということはそれなりの対価を望むものだ。「演劇」というと皆さんはいくらほどを想像するだろう。やっぱり3千円くらいを考えるのではないだろうか。今回の公演は、千2百円である。安い。確かに小劇団なりのリーズナブルな値段だ。しかし、値段を単純に考えてみればこの額は例えば、映画の鑑賞料に相当する。我々は何と言っても知り合いが登場するというだけでこの額を(悪く言えば)捨てている。果たして、映画と同じくらいの何かが彼等に伝えられるのだろうか。
パンフをめくる。といってもそれは表裏4Pのものである。座長の挨拶文と、キャスト、スタッフクレジットのみ。内容は、これからは量り知れない。オチを見てもらいたい作品であるという。テーマはずばり、「面白い」だそうだ。そういえば、前に飲んでいたときにちらと教えてもらったような気がする。サラリーマンものらしい。開演前の知識はこれが、全てである。
開演前。気が付くと椅子席が埋っている。座布団席にもそこそこ座っている。客の入りが出来に最大の影響を及ぼすことは、言うまでもない(根拠ナシ)。その点、上々のすべり出しであろう。
真っ暗になる。開演。明りが戻ると舞台の片隅に女の子がいた。おせんべいを食べている。やはり小道具だったのだ。突然の大声はまさしく劇の台詞のソレで、文節毎に一呼吸置き、語りかけるような口調。舞台上はオフィスに変わった(机も何も無いのだが..)。折りからの不況でこの課はまるごとリストラ寸前らしい。いかにもなクセのある社員が次々と出てくる。我らが知り合いはその一人、気の小さい社員を文字どおり体を張って演じていた。普段の正反対の姿を見知っているだけに、嫌でも笑うことを禁じ得ない。そしてもう一人の知り合いは、彼等の明日を掌中に握る常務役。背が小さく長髪の容貌はお世辞にも上司には不釣合だが、これがまた堂々とした台詞回しで、それが効を奏してか見事に演じきっていた。テレビに知り合いが出たという興奮ではなく、またテレビで見知った顔を生で見た感覚とも違う。リアルタイムで(まさに)目の前で、違う世界を演じているというこの違和感。思わず体が震えた。
話は、双方の駆け引きに常務の愛人が絡んでのドタバタ喜劇。最初、主人公を探していたのだが、一人一人に焦点が移動していくので見つからなかった。しかし話が見えてくる内に、これは登場人物全てが常識から少しズレている、いわゆるコメディーであることが分かった。物語でないならば、主人公は存在するまい。そして、ならばオチは「現実の介入」によるどんでん返しであろう。実際、オチはその通りであったのだが、さらにもう二段、オチが用意されていて、まさに前口上通りオチに見るべきものがあった内容であった。
もちろん、小劇団故の未完成さもいくつか感じられた。笑劇にとっては命であろう台詞のテンポ(掛け合い)がずれることが何度かあった。練習不足であったことは確かなようだ。それから、役と演者が合っていない方が何人かいた。これはキャスティングのミスというよりは台本を基にキャスティングをした為と思われる。しかし、私は評者ではないので指摘するのみに留めたい。
初めて舞台を観ての一番の印象は、しかし劇そのものではなく、終了後の帰り道、友人の発した一言だった。
「いやー、何だか俺も燃えてきちゃったよ!やっぱりスポットライトを浴びるってのはいいよなあ!」
そう、舞台を通して見た知り合いは、本当に「かっこよかった」。今年大学に入って上京してきた一人はともかく、あとの二人はそれぞれの道を目指して上京してきた「夢ある」フリーターである。それが、一年以上を経過して何となく日々の生活に安住していたようだ。「やらなくちゃ」、「頑張らなくっちゃ」という気に、どうやらなったようである。舞台鑑賞のもたらしたこの効果に、私は注目したい。そして私は、というと、我々もひっくるめて、東京という街はやはり「夢見る者共の集う街」であるのだなあということを再認識した次第。ちなみにこの後、我々は深夜3時に至るまで、痛飲し、遊び惚けたのである。私は30時間以上不眠であるにも関わらず、眠気を感じなかった。
在京の劇団は、それこそ星の数ほどある。ハマろうと思ったら、毎日あちこちの小屋に通わなければならない。しかし、そこまで深入りしなくとも、機会があるなら積極的に観に行くことをお勧めする。
忘れかけていた夢を思い起こさせる力を、彼等は持っている。