夏前に、書店にて軽いショックを味わった。すでに予告されていたので分かっていたはず、それでも..表紙に大きく最終号の文字にはやはり愕然とする。時代劇コミック誌「刃-JIN-」(小池書院)が2008年7月号をもって廃刊となった。通巻33号と歴史は浅く、当初は御大・原作者小池一夫押しの、再録やリメイクがメイン。徐々にその色は薄まって、近年はオリジナル作も多くなったが爆発力に欠けたか。個人的にも小池イズムの漫画誌というのが良かったわけで、最近は正直読む作品が少なくなってはいた。
以前紹介した、森秀樹『そして−子連れ狼 刺客の子』(原作小池一夫)は再び江戸城に侵入して以降、やや駆け足で一段落つけた感のあるのがちょっと残念だ。再開を約しているけれど、中断にあたってひとまずまとめたところ、休廃刊の弊害ともいえる。いずれ続きが読めたとして、単行本ではここが少し物足りなさを感じるのではあるまいか。
完結した作品など、単行本で残されているとはいえ、愛読していた漫画誌が無くなるというのは実に寂しいものである。引き合いに出すのは非常に申し訳ないが、中学生の頃だったか、創刊から読んでいた「ヤングサンデー」誌(小学館)も今年突然の休刊を迎えてしまったものの。数年来遠ざかっていたので連載陣が丸で分からず、何の感慨も浮かばなかった次第。2〜3日置かず読んでいる4コマ誌を除くと、今や通読誌は数少ない。また一つ、減ってしまった..。
と、思っていたら。自分の中の漫画量みたいなものはどうも一定量は求めているらしい。入れ替わりのように定期的に読み出しているのが「ビックコミック」本誌(小学館)なのである。コンビニ勤務だった頃に読んで以来、すっかりご無沙汰だったのだが(当時は999の新編がやっていました)。きっかけは、チョコチョコ読み進めている山上たつひこの集中連載。『中春こまわり君』はあの「ガキデカ」(秋田書店)の続編。現在のこまわり君は中年の妻子持ちである。スラップスティックなギャグは影をひそめ、やや理屈っぽくなった辺りは文筆業をメインに活動していた作者近年の状況を反映しているが、意外や懐古趣味だけには留まっていない。本作を描くことは昔から明言されていて、すでに始まっていたらしい。2ヶ月(4回)ほどの短期集中で不定期に発表されているらしく、今年に入ってようやく巡り合えた。さらに今現在、新編が連載中。懐かしのキャラクター達が時の残酷さにさらされている..!?
そんなわけで買って読んでみれば自ずと他の連載陣にも目がいく。これが物凄く、面白いのである。とりわけ気に入った作品をザッと挙げていこう。
星野之宣『宗像教授異考録』は(主に日本の)神話伝承を、視点を拡大して再構築していく伝奇ロマン。資料の揃っている現代史と違い、断片的な情報しか残されていない古代史は星空のようなものである。不自然でないつなぎ合わせで星座のような一般的な解釈は出来上がっているが、線の結び方を変えると容易に別の形が浮かび上がる。定説に真っ向から挑んでいる新説、異説なのかは置いとくとしても、知的好奇心を満足させるに足る内容だ。
かわぐちかいじ『太陽の黙示録 建国編』は、大地震による列島分断で解体してしまった日本を巡る世界を描いた大作。というのはすでに第2部で、それ以前にも「太陽の黙示録」という作品があったらしく..正直今連載部分しか読んでいない状況なのだが。各国に散らばってしまった日本難民をまとめ、資源の奪い合いになっている祖国へ帰ろうと模索する主人公らの必死の作戦に夢中である。
いがらしみきお『かむろば村へ』は、金のない暮らしをしようと田舎へ移住した青年の波瀾に満ちた生活を描くドラマ。けっこうドロドロというか、シリアスな展開ながら根底にユーモラスな流れがあり、ドラマにはあんまり触手の動かない方なのだが、次々起きるアクシデントに目を奪われている。
とまあ、後は名前だけ挙げていくといわしげ孝、細野不二彦、なかいま強etc...と、気が付けばいずれもかつて読み進めていた漫画家ばかりなのである。またショート連載は山科けいすけ、中島徹、森真理、黒鉄ヒロシと..いつから変わってないのだろう。つまりほぼ、学生時代にお馴染みだった面子。我々世代にとって最強の布陣といっても過言では無い(はず)。いつの間にか壮年コミックというジャンルのターゲットに、なっていたのだ。
勿論年のせいかもな、と思える面もある。最近の、青年誌の作品も面白く無いわけではない。特に初期設定や異質な世界観は凄く良く出来ていると思う。近未来の具現化が割と容易になってきたからと言い捨てるのではなく、ここは素直に素晴らしい感性が育っているとしておこう。しかし、どうしても展開に疑問符がついてくるのだ。結局..ドギツさや、ハッタリが目立ってきて、予定調和なオチが待つ。そもそもフィクションではあるが、作り事の部分が見え過ぎて、まるで経験を語るかのような、説得力に欠けるのだ。
そこでオーラスに挙げるのはさいとう・たかを『ゴルゴ13』にしたい。もはや言わずもがなの作品なので、内容紹介は控え、先日聴いたラジオでの本人の話を記しておこう。目からウロコというか、恥ずかしながら誤解していた部分があったことに気付かされた。是非聴いてもらいたい。
>>・・・「ストーリー漫画」という言われ方が嫌いだったんですよ。ストーリー(物語)も漫画も名詞でしょ、つなぎ合わせただけの言葉で呼ばれるなんてね。「映画」が最初「活動写真」と呼ばれてたのと一緒で..。固有の新しい単語を作りたかった。だから「劇画」って付けたんです。
・・・あの頃といったらやっぱり映画でしょ、でも映画は金も掛かるし機材も人も要る。幸いに自分は絵が描けたから、紙の上で映画を作ったんですよ。最初からそういうつもりで描いていたんでね、分業制に何の抵抗も無かった。だって映画って一人で作れないでしょ。漫画といったらストーリーから背景まで一人でやってこそ、なんて思われてたけど、大勢でかかればクオリティも上がる。ゴルゴみたいな人間はこの世にいないんでね、それを居るかもと思ってもらえるように必死に考えるわけですよ。一つの突拍子も無い嘘を真実にする為に、周りをことごとくリアリティのある嘘で固めるんですね。その為にはやっぱりね、一人の努力だけでは無理なんです。<<
(FMラジオ番組より。もちろん要約、抜粋の上に私の意向載せまくりです。平にご容赦のほど)
この言葉を待つまでも無く、すでに数少ない通読誌の中に作者主宰の時代劇コミック誌「コミック乱」(リイド社)シリーズは入っている。そしてようやく、超大作にたどり着いた。さいとう・たかをにハマッたか、と言われれば断言出来ないものの、ディテールへのこだわりを求めるようになったのは間違い無い。そうしていくと、通読出来る漫画誌はどうしても壮年向け、になってしまうようなのである。皆さんは最近の読書傾向に変化はあるだろうか。さっぱり読まなくなった、という向きには是非一度壮年誌をお試し頂きたい、と思っている。