タカハシの目 第54回

(初出:第109号 06.5.20)

今回挙げるのはすでに紹介済みの方々ではありますが、何しろ10数年やっているのでそろそろ被っても良いかと。近況を枕に。尺が足らないもので..大分お茶濁しデス。

「アート展・ガンダム」というイベントがあって、個人的にはストーリー(キャラクター?)重視なのでこれはまあ行かなくてもいいのだが。「京劇」が来るというのでそれは迷っている。孔明特集ということなので、あらかたビデオで見ているから行かなくても..しかし生で見られる機会となると..ただ日曜のみという所がネックに。休み..じゃないだろうなあ。こちらは土曜日にトークショウがあった「内田春菊展」は、奇跡的に休みに重なっていて、これは!と思っていたらすでにチケット締切済み。..結局展覧自体も行かず。「みこすり半劇場」誌の『私たちは繁殖している』で「セクハラトークをされた。二度と行かない」との後日談(主人公はほぼ作者の分身)。作者の作品には「今月の困ったちゃん」というエッセイ、そして同意タイトルの『ストレッサーズ』(竹書房)がある。自分勝手、非常識、稚気じみた悪意etc...大人こどもに敏感な性向は筋金入り、差し引いたとしても..本筋と関係無い話を振られたことは確か。あるいはトーク前後の関係者とのやり取りだったかも知れない。イベントとビジネスは不可分の関係にあるし..それにしてもオソマツな言われよう。行かなくて正解だったか..と、すっぱいブドウの話。

友人が結婚する事になり、メル友でもあるから色々やり取りしていたらどうやらマリッジ・ブルーとの事。最近は男でもなるらしいけど、今回は真っ当に?相手の方。「信じる事が出来ない」とか言われたらしい。式間近で忙殺されて、相手の気の無い返事にキレてしまうのはけらえいこ作品などで承知済み。「積極的に参加する意識を見せないとダメだよ」とか何とかエラソーに返したのだが、つまりは特に問題視をしていなかった訳で(対岸の火事)。
数日後深夜、スピワゴ小沢と小野真弓の結婚ドキュメントを(途中から)見出す。というのは、このやり取りにザッピングの手が止まってしまったからだ。
「いーよ、結婚費用は俺が出すよ。こういうのは男が払うもんなの。代わりに家の事はお願いするんだから。」
「でも..それじゃ結婚してからお財布どっちが持つの?」
「必要な分は言ってよ。それは出すから。」
「え..じゃ貯金とかどうするの?」
「貯めなくたって何とかなるもんだよ。」
「もしもの時はどうするのよ。」
「それはなってから考えればいいじゃん。」
「駄目だよそんなんじゃ..」
とまあ、ざっとこんなやり取りだった。「結婚費用は全部俺が出す」というある意味では格好いい台詞を吐いた男の方だが、その裏には「その代わり俺の稼ぎは俺が自由に使っていいよな?」という無頼漢の意図が隠されていたのだ。「まあ、有難う。じゃあ全てお任せするわ。」と手放しで喜ぶほどノー天気な娘さんでは無かった訳で。この後も新共同婚生活に関する取り決めを巡って二人の認識が食い違い、最終的に「(貴方の事)好きだけど、こんなんじゃ結婚なんて出来ないよ..」と言われてしまうのである。あ、デジャヴ。
SEXハウツー漫画で一世を風靡した克・亜樹の昔のサンデー作品に『はっぴぃ直前』というラブコメがある。最近復刻したようだがこれは隠れた名作というより迷作に類する内容であって..(個人的には印象深い作品)。ともかく中盤で、教え子に告白された家庭教師は、自分の好意に気付きつつも、散々振り回されてきた過去を思い出して言うのである。「私が頼りたくなった時、貴方は支えてくれる事が出来る?不安なのよ、貴方はいつだって私から逃げ回ってたから..だから付き合えない」と。
好意はあっても連れ添えない。貴方が頼り無さ過ぎるから。マリッジ・ブルーの正体は、この見えない疑心の現れである。(男の)沽券に関わる重大問題であったのだ。
ただ話を戻すと結局二人は笑顔で会見に臨む事になったわけで。どのようにして解決出来たのか、それは途中で飽きてチャンネルを替えてしまった私の知る所ではない(ので友人にもアドバイスは結局出来ていない。まあ、人それぞれだし)。そして後日、このドキュメントがフィクションであると知るのである。
現実の二人はどうなったのか?実は数日後に列席する身なのだ。笑顔のお二人を見られる事を願っている(不謹慎)。

10年来探していたCDを先日ついに発見。あっ..った!!定価並みの値段にちょっとヒく。血眼になって、という訳でも無かったので。中野の中古店ではもっと安い値段だったような..ただ、ここはずーっと品切れ買い取り待ち。「次とおばけは出たためしなし」が古物の格言。このCDも発売当初手に取ったのに..「まあ、いいか」で10年である。当然即ゲトでパワープレイ。久々に感極まる買い物でした。
(古)漫画の話。この日階下でも出物を発見する。山田章博の『カフェ・ド・マキニカリス』、今は亡き東京三世社の単行本。近年はコケティッシュな絵柄でファンタジーものを発表している作者の、初期作は耽美風雅。イラストレーターとしても一流の作者の魅力がすでに存分に現れている、絵物語風の短編集である。
現在、漫画の場合は絶版(初期リリースのみ)を除けばどんなものも大概手に入る。特に30代までなら古くとも80年代が対象な訳で、文庫版でほぼ出揃っている。まして往年のジャンプ作品など新作続編まで読める状態。という訳で出物とはイコール絶版ものになる。中でも今回のような逸品は、欲しいを越えたいわゆる掘り出し物の類(ビンテージとかプレミアとは無縁)。機会が、あれば読みたい。しかし万策尽くして探し求めるというでも無く。今でも本を買う、となれば(古)本屋は一回で5軒は回る。読書範囲が浅く、広いのでそうすると大概何がしかの出物が見つかる。なかなかそこを起点に買い揃え、読み尽しとはいかないのが昨今の状況ではあるが、それでも見識をチマチマと広げているのである。しかし今回のようにフラリと入っただけで豊作なのは滅多に無い。いや、眼福聴福。これだから通いは止められませぬ。例えば収集中ので言えば、望月三起也『ワイルド7』が徳間文庫版で〜32巻まで。これはひたすらにバラで買い求めて10年近くになる。全何巻なのか知らない。続編が多々あるのだが、そこには手を付けていない。いつの日か揃い最新作まで行き着くかも知れないし、ここで打止めとなるかも知れない(最終巻に近くなる程入手は困難。近年買い進んでいない)。それでも、折に触れ読み返すと薫陶著しい名作であるからいつまでも探し続けている。



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