2月28日(金)
17時40分。国際センターで用を足すと、タクシーで登場の野上(友人)を待ち受け、会場の宮城県スポーツセンター入り。仙台弁でペロンコ(無銭入場)した。今宵は久しぶりのプロレス観戦だ。ZERO-ONEの興業である。早速、二階西側の食堂でカツカレー(650円)を注文。このカレーライスの匂いを嗅ぐとプロレスを観に来たという実感が湧くのだ。私にとって夕暮れのカレーライス=プロレスなのである。試合の方はさっぱり。プロレスはとっくの昔から「死に体」で、フナのように口をパクパクとしているだけ。良かったのがドン荒川と藤原組長の2人だけ。なんだ昭和じゃないか!4試合目の高岩とタイのキックボクサーの試合などどうでもよくて、私と野上は東側の食堂で月見天ぷらそば(450円)を食べに行った。これがまたオツなのである。マットを叩くバタンッ、バタンッという音にオーッという歓声がアリーナに響き渡る。この音のみ、つまりプロレス会場のリアルな雰囲気だけをたのしみ、ただただ、そばをすする。これは贅沢である。この宮城県スポーツセンターには歴史と伝統がある。名画座に必須のすすけた影というか、重厚な貫祿がある。昭和の残り香が建物全体に染みついているのだ。再び数試合を眺めて、メインイベントは橋本真也、小川直也がガファリ軍を迎え討つ一戦。客席が沸き立つ。がここでも私と野上は立ち上がりの3分程を観て「さあ行くか」と会場を後にしてしまうのだ。レスラーからしてみれば失礼窮まりないのだが、今のプロレスラーは私達のレベルを満たす技量は持ち併せていない。魅力ない。求心力がないのだから仕方がない。とにかく我々は席を立つ。これまた贅沢だ。わざわざ現場に足を運んでおきながら、観戦拒否して、満杯の駐車場にヘッドライトを照らし、静かに去る醍醐味。これはリッチの気分だ。『ロッキー・バルボア』が夜な夜なアパートに帰るときの哀愁みたいなものがそこにはあった。私はなぜか昔やった『人生ゲーム』の玩具箱の写真(成金のヒゲ親父が嫌味な笑顔で札束をしこたま握りしめている)を思い出していた。
3月1日(土)
3時50分起床。シャワーとストレッチをしてMTBで仙台駅東口の駐輪場へは5時40分に着いた。真っ暗の街の公道をぶっちぎる。珍しくレイコが先に着いて待っていた。始発の6時04分の新幹線で東京へ。10時には鎌倉だ。鶴岡八幡宮に行く途中で「相撲浮世絵」カレンダー(1000円→700円)を買う。レイコは和紙のしおりを買った。私はこの正月に仙台の定義如来で交通安全のお守りを買ったことを思い出した。あそこは平家が負け戦を逃れて住み着いた地。だから源氏の鶴岡八幡宮は拝めないのだ。「パタゴニア」の春物パンツを求めて鎌倉店、横浜店(アウトレット)、そして渋谷店を巡る買物ツアーだ。横浜では元町でハワイアンジュエリーの店を視察。レイコは見積りをとった。私は「結婚指輪は作らないし、作っても名前(文字)などは気持ち悪いから入れない」つまり、君ひとりだけリングを持てば良いということを口走ったら、レイコはふてくされてうつむいてしまった。私としては照れかくしのつもりだったが、どうやら乙女心とはそういうものではないらしい。しかし私としては結婚指輪をこしらえよう(勢いで買ってもいいと思っていた)としていたのに、些細なことでぶーたれられては気分が悪い。中華街の『梅蘭』オリジナル焼そばに手もつけずに、憤りを露にした。この怒りは仙台に戻るまでつづいた。雨の東京。お目当てのパンツを購入しても気分は晴れない。あるショップで私は予定外の出費。自分の服を買ったのだが、レイコにも何か買って欲しかった。というかレイコに似合いそうな洋服があったから、それを着てもらいたかった。第一、このショップは私よりレイコのお気に入りの店だった。なのにレイコは辛抱している。私が買ってやるというと彼女は拒否した。既に「パタゴニア」のパンツをプレゼントしていたので、これ以上は申し訳ないと思ったのだろうが、自分の好きなものを頑なに我慢する態度に私はキレた。「別行動にしよう!」と私はいった。「一緒にいたくないの?」とレイコ。「そうだ」と即答すると、レイコは悲しみにうつむいた。下らない意地の張り合い。涙雨の東京。渋谷からぶらつき、ここは原宿。若者の街。大嫌いな若者だらけの街。「別行動」か「店に戻って服を買うか」だと追い込む私。レイコは一緒にいる方を選んだ。けれどもそれは賢い選択だった。心も金も浪費したが、彼女の専属スタイリスト(芸術家)の目に狂いはなかったのだから..。仙台に戻りホテルでの成果発表会(ファッションショー)において私の見立てはサヨナラ満塁ホームラン級の結果を生みだした。体にフィットした濃紺のカットソーに、オリーブ色でヒップハングのコンチネンタル・パンツは知的で上品かつ辺境の地を行く活発な女性カメラマンの出来上がり。私は素直に口に出して彼女を誉め賛えた。恥ずかしさと嬉しさから、うつむくレイコ。髪を垂らして顔を隠すのだが、その女の娘らしい素敵な表情を見逃す私ではない。だってそれは、同時に芸術家としての私への一番の理解者からの喝采の嵐なのだから...。
3月2日(日)
一日を充実したものにする為には、己をプロデュースする必要がある。しかし、東京遠征の疲れもあり、この日は本人もプロデューサーもお休み。昼にマンゴーを3つ分食べた、あとは寝ていた。
3月3日(月)
月末の棚卸の影響で仕事がたまっていて忙しい。私にとって仕事はいつでもやっかい事でしかない。19時過ぎから「ラジオ3」で「カントリー・ミュージック・コンフォート」の収録。武平くん(芸人)は欠席。私とアトミック海口と「ラジオ3」のR広瀬さんの三人でやった。新譜が多く発売されていたので、そこからセレクトした。やはり新曲があると番組の流れがいい。時代の気分がダイレクトに反映されるからだ。古譜もかけた。ニッティ・グリッティ・ダートバンドにジミー・バフェット。それにボブ・シーガーもかけた。これが番組を締めた。クオリティが高い。スタジオでは、R広瀬さんの夫婦喧嘩ネタを聞いた。これには笑ったがここではその内容を書けないのが残念。帰り際にR広瀬さんに「(彼女と)あんまり喧嘩するなよ」といわれた。会社では無口だから、ここで会話をするのはとても楽しいのだ。アトミック海口にはここだけの話、出演料として私のポケットから三千円を毎月支払っているが、この日は大きい札しかなくて二千円だけ支払った。2、3日中に自宅に送金すると約束して別れた。彼とは小学からの友人だが、彼の才能にギャラを支払っているのだから、支払い事はきっちりせねばならないと反省した。21時30分からキャメロン・ディアス主演の『クリスティーナの好きなこと』を観ようとしたが、断念。ジョギングもさぼって、焼そばと自家製のイチゴシェイクを飲んだ。ラジオ収録前に会社が休みだったレイコとミスタードーナツで軽食を共にしたのだが、人間って食欲の生き物だから仕方がない。運動は明日。映画はあさってだ..。この日の昼食はカキフライ定食。油を卸したてのパンツに付けてしまったのが悲しかった。
3月4日(火)
繁忙期並みの仕事量だった。19時まで残業。昼には福岡の本社から連絡があり10日(月)に会議があるので9日(日)に福岡入りしろという。畜生め!移動だけだろうと休日を潰されるのは真っ平なのだ。気分が悪。私としては久し振りにテンションの高い朝、活力漲る一日を迎えていたのに、こういう形で気分を害されると益々仕事なんてやってられるか、となる。(やらなきゃ終わらないから結局は真面目に汗水を流す羽目になる自分を殺して。)会社の事務所に一歩足を踏み入れると私は壁をつくる。高い壁を。人と接触したくないからだ。私はまず端末を立ち上げ、野上にメールを送る。(それが仕事だからだ。)「俺が本気で生きれば、この下らない世の中になんて余裕勝ちだ」と送信した。もう、たくさんだ。下らない連中との下らない会議。下らない出張。また腹痛に悩まされるだけなのだ。プレッシャーに弱いこのチキンハートよ..。出張の航空チケットとJR東日本パスを買いに、一番町のJTBに行くと既に閉店されていた。おいおい八時まで開けておけよ。一気にテンションが下がる。レイコに一杯飲んで、映画(『クリスティーナの好きなこと』)を観に行こうと誘っていたのを、ドタキャンしてしまった。こういうときは悪い事はかさなるものだからだ。レイコには悪いことをしたが許して欲しい。勿論、ひとりで飲みには行かずに帰宅し、トイレに直行。下痢だ。これも出張が決まった圧力からくるものか?雪が降って、地面も凍っているのでジョギングは中止。ナナ(愛犬)の散歩だけした。デイパックから本を取り出そうとしたら昼に食い忘れたおにぎりが出てきた。おかん(母)にも悪いことをした。こっそり捨てなければ..もったいないよな。もったいない。今日は損失の日だ。会社に11時間もつくして、お楽しみは無し。これもすべてJTBが悪いのだ。就寝前に内山(友人)に送ったメール・・「自分で自分をプロデュースしろ!日記を人に見せるつもりで生活すればつまらん生き方はできない。まずは平日、仕事以外のオプションを加えることだ。酒、スポーツジム、映画、女..読書に音楽でもいいだろう。いま世の中は下らなすぎる。俺達レベルの人間がちょこっと本気で生きてみれば、こちらの圧勝。余裕勝ちだ!」
3月5日(水)
この日は映画につきる。だって仕事(配送業務)で疲労困憊。もうクタクタだったのだ。普通なら真直ぐ帰宅するのだが、「JTB」に寄って福岡出張の航空チケットとJR東日本パス(私用)を取らなくてはならない。JTBをでて19時半にはレイコを迎えに若林へ。一緒に映画『クリスティーナの好きなコト』を観るためだ。一番町から若林、そして再び一番町に。定禅寺通り中華料理屋『黄龍』で食事。私は白身魚と野菜のあんかけ焼そば。レイコは香港風野菜チャーハンを注文。ともに800円だ。店の奥さんが今日もサービスで杏仁豆腐を出してくれた。いつもながらに美味い。ただ、いつもはしっとり仕上げてたのが、今日は麺が固焼だった。21時半から少し余裕があったので広瀬通りの『AYUMI
BOOK』へ行く。「sotokoto」と昔の外人レスラーを特集したプロレス雑誌が売ってたが、なんとなくどちらも買わなかった。レイコは「Cafe&Sweets」を買ったが、彼女の好きな村上春樹の研究本は買わなかった。仙台フォーラムに着いてから牛乳屋さんのコーヒー牛乳を飲む。さて映画である。この日、劇場に足を運ばなければ仕事だけで一日が終わっていた。そうはいくかとダルイ体に鞭打って、仕事以外のオプションを無理矢理こしらえたのだ。己を自らプロデュースすることによって、一日を過剰に生きる為に。『クリスティーナの好きなコト』は「本気な恋より気楽な恋」を愉しむ三十路女を描いたセクシャル・ラヴ・コメディ。もう能天気のエロエロ、オゲレツ・ラヴ・コメディなのだ。主演は人気女優のキャメロン・ディアス。彼女がそこまでやるかという程の弾けた演技で飛ばしまくった。テンポ、リズムが良くロジャー・カンブル監督は女性達の日常にある非日常を上手く表現してみせた。映像全体の色調は『ロイアル・テネンバウムズ』より上だと思う。『ロイアル・テネンバウムズ』は大富豪の屋敷が舞台だったから、陰鬱な印象が強いが、こちらはキャラクターが総て明るいからね。肩肘はらずに大笑い出来るエロ満載のアメリカの大らかさと懐の深さを存分に発揮した、後に残る名作だった。実はいま、こういう映画が少ない。「よくぞ、やってくれた」と叫びたい。お陰で今日は勝ち越して一日を終える事ができた。レイコは元々キャメロン・ディアスのファンだが、後のメールで「キャメロンさんと友達になりたい」と思うぐらいもっと好きになったようだ。キャメロン・ディアスはプライベートで、すっぴんのノーメイク(ニキビ顔)でも気にせず街を歩く人。そんな周りを気にせずあっけらかんとしたキュートな魅力にひかれたらしい。実際にあの口をムギュッとした笑顔は素敵だよ。自分の良さを知ってるなと思わせる。それでも全く嫌味なところが無いから人気者なのだ。それと主人公のクリスティーナの2人の親友のキャラと配役も抜群だった。コートニー役のクリスティーナ・アップルゲイトなんか、会話の最中に顔をポリポリ掻くのだが、ナチュラルすぎて「この女優はうまい!」と心の中で唸ったからなあ..。−男はチ◯ポにピアスをつけていて、それをくわえた女のコの喉にひっかかってしまい一大事に..。駆けつけた友人、救急隊員に隣人、なぜかゲイのカップルまでもが集まり、苦痛と辱めに耐えるカップルを励ますシーンでは、『アルマゲドン』のテーマ(エアロスミス)を大合唱するのだが、笑いを超越して感動すらおぼえた。5つ星。
3月6日(木)
きのうの3分の1の受注量で昼前に7割方の仕事を終えた。好機をみやり、親方(上司)に半日の振替休暇を申し込んだ。休日の出張分が2日半残っていたからだ。快諾を得る。12時半、七十七銀行で3万円払い戻す。これで残高は10万円ポッキリ。いま私が死んだら全財産10万円しか残ってないということだ。30歳前の独身貴族がコレでは未来がない。古本屋カフェ『火星の庭』で`89年の雑誌『Switch』バックナンバーを2冊(500円×2)買う。シンガーソングライターのジャクソン・ブラウンと『アメリカの鱒釣り』の著者で詩人のリチャード・ブローディガンの特集記事が載っている。そのまま、そこでランチをとった。セイロンカリーセット(880円)を注文。つづいて仙台フォーラムできのう観た『クリスティーナの好きなコト』のパンフ(700円)を買った。もみあげと耳の上あたりの髪がチクチクと伸びてきたのでついでに床屋へ。先客が2人居て私が散髪を終えたのは16時だった。この1日に移転再オープンした古着屋『Dress』に行こうと思ったが、駐車場が満杯なので断念。『Dress』のオーナーであるシンジは私の旧友なのである。タワーレコードでジャクソン・ブラウンのベスト盤とカントリー音楽の新譜もチェックしたかったが、駐車場を探す時間が勿体ないので一番町から土樋のカフェ『マティス』へ移る。ここに来るのは2週間ぶりなのだ。16時半から約2時間で、5日と今日の途中迄の分の日記を書いた。家に帰ると動悸がして気分が悪い。ナナ(愛犬)の散歩してパッと汗をかいても復調の兆しなし。飯を食って寝た。飯の最中にオカン(母)と親父のこと(間もなく定年退職)を少し話した。今日も充実した一日だが、寝る前にレイコから「今の状況で結婚したくない..中途半端でプレッシャーかけないでほしい」とメールが来た。プレッシャーをかけたつもりはなかったが..。気がつけばここ数日はゴダイゴの「ハピネス」ばかり聴いている...。
3月7日(金)
今日は朝から大雪。早目に出勤すると街中は雪が積もってない。なんだか損した気分だった。月、火、水とは対照的に受注が少なめだったので、この日も午後から休んだ。ランプが灯くほどの燃料切れの為、速攻で「JOMO」へ。オイルとウォッシャー液でアッという間に8000円が飛んでいった。「新星堂」でキャロル・キングとジャクソン・ブラウンを試聴するも買わず..。何かが違う。体がダルい。タワーレコードでもジャクソン・ブラウンのベスト盤を手にしたが、棚に戻した。疲れだけがたまる。厚着してたので汗がでてそれで余計にスタミナを消耗するのだ。「タワーレコード」(『フォーラス』8F)の帰り、エレベーターを降りるときに、地下へ行く奴が早くドアを閉めたので私に当たった。振り返ると既にドアは閉まったあとだった。傘で扉を打ちつけてやったが、後の祭だ。「MEDICO」でヒゲ剃りの刃と肌水を購入。一番町(青葉通〜南町通)のアーケードの中でなにやら工事をしてい、立入禁止のロープが張ってあったのだが、勘違いして私は歩道ではなく危険地帯に突入していった。すると女性の警備員に注意されてしまった。今日は駄目な日なのだ。だってシンジの古着屋へ行ったら外出中だし、店の中では先週、3度も足を運んで何も買わなかったアンティーク家具屋のオーナーさんに出くわし気まずい思いをしたのだから。シンジには日記を書くことを勧めた。彼からは馴染みの飲み屋の店員と揉めた話、ヒカル(友人でありバーのオーナー)に賭けで千円勝った話などを聞いた。お礼に古着を一着購入。(2800円→2500円)16時半に帰宅すると来客の車があったので、街へ引き返す。霊屋のハワイアンクッキーの店でバレンタインのお返し品を買う(800円×4袋)。土樋の「半田屋」ではライスカレー(180円)とトン汁(80円)と目玉焼(60円)を食べた。昼におにぎりを2つしか食べてなかったので具合が悪かったのだ。腹活。雨の中、『マティス』でブレンドコーヒー(中濃)を注文。一杯450円成。ここに来て私はコーヒーが好きになった。店の雰囲気も肌に合い、読書も執筆ものるのだ。そういえば野上(友人)の会社に「午後から休む」とメールを送ったら、一言だけ「死ね!」と返信がきた。夕方には基樹(友人であり脚本家でありエディター)からもメールがきた。「飲み会は来週に回して」とのこと。了解。さて、ギャラリー『ECHIGO』に出展する詩を書かねば..。私にはストックがないのだ。18歳から書きつづけている野上との差は歴然だが、それは関係ない話。問題は書くべきことがあるかである。きのう日記に書き忘れたが、私には目標が出来た。夢でなく目標だ。絶対に『Switch』か『エスクァイア』に原稿を送り、採用してもらうのだ。その為には書きつづけ、経験と知識を得ねばならない。「オレはやる!」早く自分のスタイルを確立させたい。書くものも人生そのものも。
3月8日(土)
4時半に起床し、5時には徒歩で仙台駅へ。レイコと待ち合わせて、6時35分の新幹線で東京へ。本来は上野で降りた方が近いのだが、行き先が決まったのは東京駅につく頃だったから仕方がない。レイコの案内で山手線に乗り秋葉原へ。総武線で浅草橋に行き、こんどは京成線で葛飾区の立石まで行った。いい雰囲気の下町だ。駅前のアーケードから踏切待ちする人々を眺める。そのわたしを後ろからレイコが写真に撮った。交番で道をたずねたら、駅の真ん前にその店があることが判明。目的地はターザン山本(元「週刊プロレス」編集長)の「往生際日記」でお馴染みの立喰いそば屋『与作』である。おどおどしながら暖簾をくぐる。すると「おにいちゃん」がいた。ターザン山本が「おにいちゃん」と呼ぶこの親方は、迷うことなく「おじちゃん」であった。まあターザンから見れば「おにいちゃん」に間違いはないが。とにかく、人の良さがにじみでた優しい表情の親方だった。私はかつお刺定食(770円)とレイコはトン汁定食(550円)を注文。ターザンはいつもここでかつおとトン汁を食べる事が多いのだ。会計の際に私は「いつも日記みてます」と一言かけたが、あがっていたのか千円札を一枚余計に出してしまった。レイコがいうには「ゆうちゃん(私の本名はゆうじである)は、ひとつのことしか出来ない人なのよ」だそうだ。だが、レイコとて「ドアが開く度にターザンさんが入ってきたらどうしようかと思ってドキドキ」していたのだ。立石駅の商店街をぶらつく。ミスタードーナツで休憩すると極端に年齢層がたかかった。地元の「おいちゃん、おばちゃん」達の社交場と化していた。こういうところに人生の真理みたいなものが沢山つまっているものなのだ。私は以前、出張で立ち寄った青森のミスタードーナツの話をした。そこには清掃員かなんかのおばちゃん連中が6人程いたのだが、私が居た30分のあいだに聞きとれたことといえば「バスで移動しなければならない」ということのみ。あとは全く方言でヒアリング不可能であった。別に興味はないのだがおばちゃん達の声が大きくて勝手に耳に入ってくるのだった。横浜へ移動し、「パタゴニア」のアウトレット店へ。私はパンツを買い、レイコはヒップベルトバックを買った。近くの「フレッシュネスバーガー」でお茶。マンゴースムージーを頼んだが「まだやってない」という。ならメニューから消しておけ。仕方なくオレンジティを飲んだ。中華街を通り抜け、元町へ。「GAP」に行った。レイコが店員に話しかけられたが、私にはレイコがそれを無視したように見えたので注意したら、ショックを受けていた。本人はそんなつもりは全くなかった様で、わたしは余計なことを言ってしまったと後悔した。話は変わるが、わたしは立石の「ミスタードーナツ」で店員の女の子と二、三度目が合った。恐らく地域にそぐわない格好の見知らぬ男だなあと思われたのか、彼女のタイプだったかのどちらかだ。そしたら、元町商店街の通りを歩いているときに、「さっき何回も見られてたでしょ?」とレイコがいうのだ。女って怖いよ。ちゃんとチェックしてるんだから..。キャピタル東急ホテルで、アップルパン・ケーキとアイスティを味わいに行くというプランもあったのだが、16時台の新幹線で仙台に戻ることにした。ちなみにキャピタル東急のアップルパンケーキはあのジャイアント馬場さんがいつも食べていたもの。アイスティに至っては、上京したての天龍源一郎が「馬場さん、世の中にこんなに美味しい飲みものがあったんですか?」といったという伝説の飲み物なのである。次回のお楽しみにとっておこう。帰りの車中ではレイコは腹子飯、わたしはサバ寿司を食べた。国分町の「Plus」(友人の遠藤ヒカルの店)に行こうかと思ったが、翌日は福岡に移動なので、そのまま家路につくことにした。ナナ(愛犬)の散歩をして就寝。
3月9日(日)
8時に起きた。風呂に入りヒゲを剃った。茶の間で朝食をとるとテレビでは「仙台ハーフマラソン」の中継が始まった。なんとチープなのだ。そもそもハーフというのが駄目だ。このレースで勝とうが負けようが大した意味はないのだから、客を呼べる目玉ランナーの格も自然と落ちてくる。沿道をとりまく市民も中途半端。画面から熱気が伝わってこない。しょっぱいよなあ。あまりにもしょっぱい。仙台弁でいうと「ちもい」だ。我が家から一番近いコース、青葉城のあたりにランナーが来る前にわたしは炬燵で寝てしまっていた。11時頃に出かける支度をする。月曜日の会議に出るために今日中に福岡へ移動しなければならないのだ。昼過ぎにレイコを迎えに若林へ。空港に行く前に「ロイヤルホスト」でランチと洒落こんだ。レイコがネットからターザン山本の「往生際日記」をプリントアウトして持って来てくれた。私は前日のサッカー、ナビスコ杯「京都−大分」戦での不正ゴール疑惑の話をした。わたしの意見では「守備放棄」を指示した大分の監督は正しい。わたしはジャワカレーを、レイコは洋食セットでハンバーグを注文した。会計の際にクッキー(6枚入)を買った。空港に行く途中で食べるのだ。そういえばレイコは「自分が泣いている夢をみた」から、冷静に行動、判断するようにと注意を受けた。縁起が悪いよ、いまから飛行機にのるのに..。16時10分、JASで福岡へ。揺れるとやはり怖い。18時20分着。ホテルに着くなり、札幌のMさんと近くの居酒屋で食事。Mさんの話によると今すぐではないが、いずれは私の勤める仙台センター(文房具を扱う配送倉庫)も閉鎖されるという。実は札幌のMさんはこの5月から仙台にやってくるのだ。札幌の配送センターが4月いっぱいで閉鎖される為である。わたしとしては「どうせなくなるなら早くしてくれ」という心境だ。あとは野となれ、山となれである。私の座右の銘は「棄てる神あれば拾う神あり」だから、職を失ってもまた道がひらけるだろうと楽観的に構えるしかない。本社は福岡だが、たとえ誘いがあっても福岡へ行くことはないだろう。居酒屋では2500円かかった。コンビニでチューハイを買いMさんの部屋で飲みなおし。22時半に解放される。ああ、疲れる。Mさんとは気が合うのだが、わたしは基本的に酒を飲まない人間なので、やはり付き合いは苦手だ。おまけに一週間の仕事の疲れと東京、横浜をほっつき歩いた疲れが重なり、からだが重くて仕方がなかったのだ。それでもすぐに寝れずにTBSの「情熱大陸」を観てしまった。あれはいい番組だからいいけれど..。
3月10日(月)
8時15分にホテルロビーで待ち合わせ。珍しく私が先に来てMさんを待っていた。本社に着くと嫌いな上司、森山さん(仮名)に祝儀5千円を渡す。二日前に第一子(男の子)が誕生したからだ。40歳を過ぎての子だから可愛いだろうが、この人は仕事人間だから早く家に帰るかどうかは疑問である。16時過ぎまで会議。土産(博多とおりもんと福豆大福)を買い、Mさんと少し会話をして別れた。ここで私は解放感からか、イワシ寿司とクッキー(前日の残り)ととんこつラーメンを一気にたいらげた。当初は18時20分の便で帰る予定だったが時間があったので17時20分に変更。ところが20分の遅れだという。利用する飛行機が霧の影響で遅れたため、準備が整ってないのだという。嘘つけテポドンのせいだろう。17時40分から更に18時過ぎに出発がずれ込んだ。
「仕事が好きな人間は聖書を書け。私は嫌いなので詩を書く。現実逃避というやつだ。くそったれめ。
なにも浮かんでこない。イワシ寿司とクッキーととんこつラーメン。気流に乗り、快適そのものの機内。スープは飲み干すのに時間がかかった。なにも浮かぶものはない。
雑用のための出張。仙台−福岡。会社は私に7万円もかけたし、となりの乗客は激しく鼻をほじっている。頭もぶるぶる振りはじめ、耳くそもつまっているようだ。こいつも私とは違った形で気を病んでいるのだ。ありがとう人生よ。雲のほかに何も浮かんでこない。
今、わたしは多くの乗客とともに仙台に舞い戻るとこ。そして、何か浮かぶはずもないところへ帰って行くのだ。私には愛するひとと家族と友人がいる。やらなくてもいいが、やるべきだと思いこんで、意味を見い出そうとする世の中の動きというか流れが私を待ちうけている。恐らく何も浮かばないだろう。
私はなにも浮かばないということを書いている。左の耳が聞こえない。それでもなにもうかばないようだ。」
19時45分に仙台空港着。駐車料を支払い、レイコを迎えに行くと、柳生の「ビレッジバンガード」へ。会社の同僚のUさんにバレンタインデーのお返しにクッキー以外のものをなにか仕入れなければならない。迷った挙句、ドーナツ君の絵本を買った。レイコに福岡の土産を渡し帰宅。栄養剤を飲んで寝た。
3月11日(火)
目茶苦茶に忙しい日。19時半まで残業。からだが疲労でコチコチ。足の裏も異様に痛い。このところ「本物」の腰痛が発生しているから、いつ発作が出まいかとそれも不安だ。さすがに一杯飲んで帰ろうかと思ったほどだ。咄嗟にわたしは「五橋書店」に車を走らせた。昔の外人プロレスラーを特集した雑誌を購入。21時半には寝れたのに、ついつい読み耽ってしまい寝たのは零時だった。ところで晩飯はちらし寿司だった。旨い。飲みに行かずに正解だった。雑誌も昔のレスラーの秘蔵話が満載で、たのしめた。これだけでわたしは今日をものにした気持ちでいっぱいになった。今日という人生にわたしは勝ったのだ。普通の人なら目一杯の仕事をしたら「今日もよく働いた」と満足気に寝床につくのだろうが、仕事以外になにもない一日などわたしにとっては損失でしかない。いかにして会社ツアーにオプションを添えるか、そこに全てがかかっている。オプションがある旅はゴージャス度というか濃密さが違う。充実しまくっている。しかも、これは金持ちでなくとも、個人の心もちひとつで追加できるオプショナルツアーなのだ。ここ最近、わたしはいかにしてこのオプションを生きるかだけを考えている。
3月12日(水)
きのうにつづき1時間以上も寝坊した。辛うじてストレッチだけはする。からだがほぐれると気分も少しはポジティブになれる。しかし、朝の注文量(毎朝、東京センターからデータが送られてきて、仙台のわたし達はそのデータを元に商品を梱包、出荷する)を見て頭に血がのぼった。多い。もうたくさんだ。ブチ切れそうになりながらわたしは仕事に励んでいた。台車をドアにぶつけ、商品は散らばる。近くに上司がいないのを確認してから、愚痴をわめく。無言で黙々とこなし、何とか18時に仕事を終わらせた。疲労困憊で、運動不足(力仕事がメインだが、運動とはまた別ものなのだ)でもあったので、素直に帰宅して筋トレをした。その後、ナナ(愛犬)の散歩をして夕食。おかずがやけに多かった(サバ塩、納豆入り油あげ、とん汁、焼肉)が、ペロリとたいらげた。89年の雑誌「Switch」に載っていた、作家であり詩人のリチャード・ブローディガンの記事を読んでいたら睡魔が襲ってきた。昨晩もそうだったが、レイコから「結婚」や「二人暮し」についての意見をメールで求められたが、返事をするのが大変だった。別に二人ともすぐに結婚したいという訳でもないのだが、とにもかくにもわたしが煮え切らないアダルト・チルドレンなのが悪いのだろう。この日は22時過ぎには寝た。直後にレイコから来たメールにも気付いてやれなかった。彼女の家でなにやら揉め事があったようである。
3月13日(木)
一転して注文量が少なくなった。午前中でおおよそのメドが立った。親方(上司)のはからいで午後から、休日出勤の振替をとらせてもらった。これはラッキーだった。会社を去る前に、東京の姫(Sさん)と盛岡の菅原さんにホワイトデーのクッキー(今年はベーシックだ)を贈った。車中でおにぎりをひとつ食べながら街へ。一番町「フォーラス」8階のタワーレコードでジャクソン・ブラウンのベスト盤を買ったが今ひとつだった。恐らくオリジナル・アルバムの方に名作が詰まっているとみた。つづいて古着屋の「Dress」(友人の三浦シンジがやってる店)へ立ち寄った。リーバイスのビンテージ(通常14万円)を6万円で売るという。8万円から更に値引きだ。「今月中に売る」ということは、借金の支払いがキツいのだろう。頑張れシンジ。先週、2500円の買い物をしたので今日は買い控えた。ガラもののシャツが気になったのだが..。再び車で移動して土樋の「半田屋」でライスカレー(180円)と目玉焼(60円)を食べる。貼紙に目をやると3月20日で閉店すると書いていた。なんてこった..。この庶民的、下級階層の底力の源がなくなるとは..。ここは「ラジオ3」や「マティス」(カフェ)に行くときに非常に便利な駐車場でもあるのに。困ったものだ。カフェ「マティス」へは14時40分頃に入店。8日(土)からの溜まっていた日記を書きあげた。すると途中で入ってきてカウンターに座った男(わたしはテーブル席。カウンターは背中側)の声に聴き覚えがある。友人のアトミック海口だと確信する。わたしは一度も振り返らずに「いま日記を書いているところ。後ほど気が向いたらこちらのテーブルへどうぞ」と彼へメールを出した。返信来ず。わたしは日記を書きつづける。するとマスターが「お友達では..」とかなんとか、アトミックに言って、彼はようやく私の存在に気付いた(メールは見ていなかった)。「(母方の)爺ちゃんが死んでねえ」とその葬儀の話や民放ラジオ局(ゴールデンタイム)のデモテープ録りの話を聴いた。わたしが「もう一杯奢るから」と彼を引き留めたのだが、帰っていった。多分、わたしは嫌われているか、彼が生活のリズムを乱したくないかのどちらかだろう。『マティス』には5時間近くもいた。ココア(550円)とブレンド中濃(450円)を飲んだ。綾乃小路きみまろは、近所の公園で主婦の会話などからネタを拾うというが、16時頃にたむろしていた4人組のおばちゃん達の会話からは、わたしは何もヒントをもらわなかった。それは、わたしに臭いを嗅ぎとる力がないか、おばちゃん達の民位(会話レベル)が低いからかのどちらかだ。19時半すぎに帰宅。ストレッチしてナナ(愛犬)の散歩。その後、軽めにフィットネス。夕飯はトンカツだったが、わたしは魚が食べたかった。22時半、広瀬川をめぐる公共事業の県と市の矛盾をつづってレイコにメールする。返事はなかった。零時半に就寝。
3月14日(金)
今日は午後から会社の同僚のUさんが早退。17時で終了。帰宅してトイレへ。昼に飲んだピルクルの乳酸菌が効きまくっている。屁が止まらない。ストレッチをしたが、散歩も運動もせず19時半頃に外出。レイコを若林の自宅近くのパンチコ屋まで迎えに行く。柳生の「ビレッジバンガード」へ。リチャード・ブローディガンの「東京日記」とチャールズ・ブコウスキーの「モノマネ鳥よオレの幸福を願え」の2冊(共に詩集)を買うつもりだったが高いのでやめた。本町の「アユミ書店」では「月刊・遠藤久美子」が欲しかったが恥ずかしいのでこれもやめる。レイコは雑誌「Tarzan」を購入。特集は「クロールが上手く泳げる」だ。春日町の駐車場に車を止め、鍋焼うどんの店「飛梅」へ。二人共に「みそもつ煮うどん」を注文。ここは何故か若い女性が1人で食べに来てたりすることが多いのだ。恐らくトイレが綺麗だからではないか。ご丁寧に木炭まで置いてあるのだ。つづいて国分町の「Plus」へ。ここは友人遠藤ヒカルの店。本当は友人であり、わたしのエディターでもある基樹(「ShowDown」編集長。脚本家)と会い、原稿を渡しがてら、彼の新しい仕事について話を聞こうと思ってたのだが、来週へ変更となったのだ。ヒカルは16日(日)に東京ドームにローリングストーンズのライヴを観に行くからか、店内はストーンズがBGM。ツアーTシャツを買ってきてくれと頼む。ヒカルのバンド仲間やルパン三世の物真似をするわたしと同い歳の剽軽な男などがいた。いずれもカップルの客が多かった。私が「ストーンズが昨晩、東京の青山で奥田民夫も参加してシークレットライヴをやった」と話したら、「奥田民夫はこの間、うち(の店)に来たぞ」といっていた。バンドを引き連れての貸切だったとか。午前2時に帰る。寝たのは3時過ぎだ。そういえばレイコにはホワイトデーとして米ヶ袋の「ケント」のクッキーをあげた。横浜で「パタゴニア」のパンツをプレゼントしたから、それだけでいいのだ。
3月15日(土)
11時に目覚める。今日は両親が招待券をもらったので松島のホテルに泊まりに行く。その為、わたしはレイコを自宅に招いた。レイコとわたしの間柄は「訳有り」なので両親には内緒の関係である。夕方に出かけるとオヤジが言うので「せっかくなんだから早目に行って船にでも乗ってきたら..」と外出を促す。飯を食べてからわたしが部屋に掃除機をかけていたので、両親もなにかを察したのだろう。13時前に出かけて行った。わたしはシャワーを浴び、着替えた。13時半からテレビで「ベガルタ仙台−柏レイソル」(ナビスコ杯)を観戦。昨年はベガルタ仙台の年間パスポートを確保していたが、今年は更新しなかった。コアサポと呼ばれる応援団。彼等が醸し出す「特権意識」が大嫌いなのだ。4−1でベガルタの勝ち。15時半に風呂を洗う(その後、お湯が溢れるまで気付かず)。16時50分頃にレイコ来訪。彼女が買ってきたグラタン風のパンとカスタードパンを食べる。わたしはイチゴとマンゴープリンを出した。茶の間からわたしの部屋へ移動し、ラジオで「アバンティ」を聞きながら、クッキー(わたしがホワイトデーにあげたもの)と紅茶(わたしがバレンタインデーに会社のUさんからもらったもの)を嗜んだ。特別に話し込むわけでなく、静かに時間は流れていく。わたしがストレッチと軽いフィットネスをしている間、レイコはソファに身をかがめダラダラと音のないテレビを眺めていた。彼女がスポーツシューズを履いて来なかったので、わたしは独りでナナ(愛犬)の散歩へ行った。ちなみにナナもレイコが好きなようである。帰宅するとインスタントのハヤシライスを食べた。テレビはどこも面白くない。わたしはレイコに脚を投げ出し「足ツボマッサージ」をさせた。レイコは面倒臭そうで、力加減が弱い。やがて「手首がイタイ」を連発していた。茶の間に持ってきていた寝袋にレイコを寝かせると、ご満悦の表情。身じろぎ出来ないからと嫌がってたくせに、すっぽりと寝袋におさまっている。顔だけでているのだが、「蓑虫星人」みたいでおかしかった。再び部屋へ戻り、やることはやってシャワーを浴び寝た。わたしが布団でレイコが寝袋である。
3月16日(日)
6時に目覚めたので、ストーブをつけて、二度寝。8時に起きてストレッチとナナ(愛犬)の散歩。ストレッチの最中、レイコは寝袋から出て来ないので、ライトを当てて苛める。「蓑虫星人」は奇声を発してもがき苦しんだ。それをチェキ(カメラ)で撮る。笑える。朝食はツナ入りの卵焼きと牛タン。気温も上がり穏やかな日曜であるが、玄関も台所もロック。電話も一切出なかった。親戚のおばちゃんなのか、午前中だけで5回ぐらいベルが鳴ったが、知らんぷり。wowowで映画情報番組をみた。それなりにやる方はやり(昨晩に引きつづきわたしは不調だった)、シャワーを浴び、「三枝のアイラブ爆笑クリニック」をみながら着替え。13時半過ぎに街へ。ナナをひとりぼっちにさせるのは忍びないが、餌でつって脱出。駐車場がないので一番町の「タワーレコード」にレイコをおつかいにやる。「藤崎」で買ったというコートが良く似合っている。仕入れたのは「キングという名のクウィーン」こと、キャロル・キングの「Greatest
Hits」だ。贈答用の袋に入れてもらった。あのターザン山本へプレゼントするのである。ホワイトデーに買ったクッキーが美味しかったのでまた、米ヶ袋の「ケント」に行き、チーズやセサミバターにココナッツ入りのクッキーを買う。「お膝下」の宮城県スポーツセンターへ移動。プロレスの興業があるのだ。車は東北大に止めた。嫌がるレイコを促して二階からペロンコ(無銭入場)。場内禁煙なので二階ロビーの鍵をあけ外でタバコを吸う奴等がいるのである。そそくさと(いや堂々と?)西側の食堂へ移動し、ミニカツカレー(500円×2)を注文。ここでプロレス観戦するにはまずカレーを食べるのが義務。雰囲気とグッズをチェックする為に一階へ。すると目の前にターザン山本が!!わたしは、彼が「週刊プロレス」の編集長をしていた時代から崇拝しているのだ。この日記を書いているのも、ターザンの影響からだ。一瞬にして舞い上がるも、声をかけて挨拶。CDも手渡した。一応の目的を果たし(写真も撮りたかったが..)東側の二階最上段へ。本来なら南側で観戦するのだが、この日はなぜか東側へ。するとターザンは私達から数メートル右隣の席へやってきたのだ。「ああこんなこともあるのか」とわたしは勝手に縁を感じた。今日は長州力が旗揚げた団体「WJ」の興業。メインイベントは長州力対天龍源一郎。ターザン山本と長州力は犬猿の仲なのだ。申請すれば取材パスはもらえるのに、ターザンは身銭でチケットを買って観戦。その分、好きに書かせてもらうという気なのだ。というか50歳を超えて、新しいプロレス団体を立ち上げた長州という男の真意、生き様を見届ける覚悟なのだろう。ちなみにターザンが「週刊プロレス」を辞めるに至った理由は、新日本プロレス(長州力)から取材拒否をうけた責任をとったからである。これをきっかけにしてプロレス界は下降線をたどる。ターザン山本の「活字プロレス」=「プロレスについて考えることがプロレスである論」の崩壊は、つまりプロレスを楽しむ自由を奪うことであるから、そのジャンルが滅びゆくのは自然の摂理なのである。そのところを当の長州力は(レスラーの側は)なにもわかっていない。試合は終始しょっぱかった。旗揚げシリーズなのに既に死臭が漂っていた。ターザンも自分の興味をそそられない試合には、ソッポを向いて眠っていた。帰りにレイコと共にターザンのもとへ。笑顔でターザンに握手を求めるレイコ。あの笑顔は大きな武器である。ズルいよ。「日記みてますよ」と彼女がいうと、ターザンは「えーっほんとー」と大きな声。「(ターザンの家がある)立石に行ったんですよ」というと「えーっ凄いねえキミ達」とまた大きな声。わたしは、「パソコンを持ってないので彼女にプリントアウトしてもらって日記を読んでいます」といった。別れ際に「死なないで下さい!!」と声をかけると、ターザンのお弟子さん(?)達が受けていた。レイコが話しかけた、ターザンも満更でもなかっただろう。記念に写真も撮りたかったが、また会う機会があるだろうと感じたので撮らなかった。18時半、今度は仙台駅近くのシルバーセンターへ。「ラジオ3」の大葉さんと挨拶。ベテランの人気漫才コンビ「昭和のいるこいる」を観るためにきた。これは来て良かった。大満足だ。本物の芸をみたのだ。これでわたしも歴史の証人である。名前が「昭和のいるこいる」だからだからいうわけではないが..あの舞台には紛れもなく「昭和」があった。「昭和」という時代の気分があったのだ。平成などという薄っぺらい現代とは違う、濃密な世界。贅沢な空間。ありがとう「昭和のいるこいる」師匠!!ありがとう。このお笑いイベント「旬者」は、在仙のタレントであるワッキー貝山さんが主催するもので、十数回つづいた「旬者」もこの日がラスト興業。最後のビッグゲストとして「昭和のいるこいる」が招聘されたのだ。この日は、わたしの高校の同級生であり、「中田カウスボタン」を師と仰ぐ「サンドウィッチマン」(伊達と富沢)も登場した。彼等は上京してお笑い芸人をやっている。最近はVシネマで相川翔と共演したりしているそうだ。面白かった。挨拶はしないで会場を後にした。21時、東口にあるラーメン屋「ちばき屋」でワンタンそば(800円)を注文。レイコはラーメンに煮玉子をトッピング。可も不可もない味だった。レイコは、人生と自分自身に変化を求めている。そういう話をした。21時40分、レイコを送り届けて帰宅。25日の給料日まで残金はジャスト1万円。来週の木曜日には基樹(友人であり、脚本家)と飲む約束をしているのでヤバイ。今日は、天龍、長州、大仁田のプロレスを観て、憧れのターザン山本にも逢えた。本物の芸(漫才)も観た。これからは自分がなにかをする番である。23時半に寝た。寝るまえにアトミック海口に木曜日の飲み会のオファーを出した。
3月17日(月)
有難いことに、午後から会社は休み。それなりの事はあるが職場のはなしは書かない。12時半に東口の「七十七銀行」へ。一万円をおろす。(口座残高=全財産はついに10万円を切り9万円に)そのまま、「JOMO」で給油。3千円かからなかった。一番町の新星堂で自分用(前日にターザン山本にプレゼントした)のキャロル・キングのベスト盤を購入。15%オフだった。霊屋下にある「千代ラーメン」で味噌しなラーメンを食べる。600円。つづいて八木山の「COCO's」で日記を書く。仕方ないのでピザ(1ピース)とドリンクバー(アイスコーヒー)を注文した。途中で友人の基樹からtel。わたしが昼過ぎに電話をしたがつながらなかったのだ。野上(友人)やレイコからメール有り。14時過ぎから16時50分までいた。この日のウェイトレス(おばちゃん)は良く気がつく。知らぬ振りをしない。また、昼間にこういう所にいる主婦はみんな駄目人間にみえる。偏見というやつだ。向山の「TOKIMEKI」という本屋に行くのは止めて、本町の「AYUMI
BOOK」へ。なにも買わずに帰宅。トイレで大。ストレッチをして重めに筋トレ。そしてナナ(愛犬)の散歩。晩飯はサバとミニウィンナーとトマト、ほうれん草のおひたしとワカメとキノコのスープ。その後でチーズクレープロールケーキ1キレとまろ茶を頂く。21時からNHKで「江夏の21球」(79年の再放送)をみる。昔の野球選手はみんなヤクザだ。江夏などはカメラの前で堂々とタバコをふかしている。素晴しい。テレビを眺めつつ、詩人の長田弘が書いたキャロル・キングの文章を読む。22時、会社に提出する自己申告書を書く。面倒極まりない。今度はNHK教育の「思い出の日曜美術館」で池田弥三郎さんが語る広重の世界をみる。わたしは浮世絵好きなのだ。しかも広重が。「東海道五拾三次」はまったく美しい。これぞ日本だ。
3月18日(火)
なにもない一日。MTBで通勤しようと思ったが放射冷却で寒いのでやめた。ヒゲも3日剃ってない。昼に会社のトイレで大をする。ここ2、3日下痢をしている。原因が分からない。仕事は30分オーバーの17時半に終わったが、休みなしの配送作業でカラダはこちこち。まっすぐ帰宅しストレッチするも、寒くて運動する気にならない。「Mexico」とタイトルに入った曲を意味もなくCD棚から取り出す。6枚程あったがそのどれも聴かずにナナ(愛犬)の散歩へ。戻ってきて軽く運動。テレビをつけると「さんま御殿」をやっていた。見知らぬ人が出演していたのでアトミック海口(友人)にメールで問い合わせると「美容研究家、54歳、既婚」と返信が届く。そういえばレイコから「キムチちゃんこ(韓国料理屋?)に会社の同僚のこまつさんと千鶴ちゃんと寄ってく」とメールがきていた。21時過ぎに夕食。朝とおなじメニューなので少し腹が立った。この日、米国のブッシュ大統領がイラクに最後通告。20日にも攻撃開始の様相を呈してきた。食事中に母が友人と電話をして、この問題をはなしていたが、そんな心配よりもオレの部屋のストーブに灯油を入れておけと心の中で怒る。夕方、頼んでいたのに給油しておらず、わたしが入れるはめになったからだ(お坊っちゃま気分抜けず..?)21時半に本屋へヴァイオリニストの葉加瀬太郎が「J-WAVE」でやっているトーク番組を一冊にまとめたのを買いに行こうかと思ったが、諦める。こんな日もいいだろうと、一発抜いて22時前に寝た。こんどドゥービー・ブラザーズのCDを買いに行こうと思う..。
3月19日(水)
もう、しょっぱい。本当にしょっぱ過ぎて話にならない。どこを取ってもウリふたつの力士「闘牙−隆ノ鶴」の大一番は17時のニュースで台無しにされた。2人の力士が土俵にあがったとき、会場がざわつくのを観たかったのに..。取組は放送したが、結果などどうでもいい。プロレス同様にプロセス(過程)が大事なのに、相撲ファンを無視した番組づくりは許せない。相撲をただの国技として扱っているから駄目なのだ。あんなもん、金を払って客がみにきてるんだからエンターテイメントなんだよ。それをNHKは全然わかってないから、注目の大一番にニュースをはさんだりするのだ。そんなもん、相撲人気なんてでるわけがないじゃないか!?というか、ニュース明けの会場は大した盛り上がりもなかったし、当の二人も芸がなかった。ちゃんと同じ色のまわしをはめて来いよ!打ち合わせして同体で倒れたりしてみろよなあ..。もうこうなると総べてがショッパイ。サラリーマンは横一列でわたし(自転車)の進路を阻む。3度も。よけようともしない。帰宅すると鍵が閉まっているので、裏から入った。すると朝食の容器がさげられてなかった。オカンはいったい昼間なにをしているのか?テレビのニュースではノーベル賞の田中さんのスピーチを生中継していたが、それも途中でカット。小学校の卒業式では、練習に練習をかさねた「旅立ちの言葉」(卒業生全員が舞台に並び、何人かの代表が台詞口調でしゃべる)を流していた。だから日本人はしょっぱいのだ。幼いときから自分の意見を決められている。あれではこの国に未来はない。19時フジテレビの「爆笑オスピー問題」を観ながら軽く筋トレ。この番組は「ハズレ」がない。20時に茶の間で晩飯。オカンが「おしん」の再放送に涙を拭っている。確かに引きこまれるが、あんな悟りきった子供は信じられない。あんなお涙頂戴劇には騙されない。ここで戦争についてメールのやりとりを。
・わたし「デープ・スペクターの目..戦争反対は誰にも言える。そう言う人はイラク国内で起こっているクルド人虐殺や拷問を見ているのかと問いたい。」
・レイコ「知ってるよ。でも悪いのは独裁者と一部の人達だよ」
・わたし「その独裁者に「命を捧げます」と国民も議員も大合唱してました。馬鹿です。ブッシュも小泉も机上で指示するだけで、ローマ帝国の哲人皇帝マルクスのように自ら戦陣に赴くわけではありません。マルクスは問う「君は、切り離されて身体から遠く離れた場所に散乱する、腕を、足を、頭を見たことがあるか..?」。」
・レイコ「ピンポイント爆弾があればフセインとキム・ジョンイルやっつけられるのにな」
・わたし「..ということは、戦争支持してんじゃん。」
まったく関係ないが、先日の仙台での試合(イス攻撃や場外で頭を打つ)が影響したのだろう。昨夜から天龍は休場し、長州もかなりまいっているらしい。あの日、わたしは「ゴングが鳴って先に飛び出した方が負ける」とレイコにいったら、事実、先に動いた長州が負けた。まあどうでもいいけど。21時50分。本屋に行くのを断念して、寝る準備。今日もランニングはしなかった。