都会見聞録

(初出:第311号 23.5.23)

時代が変わり、横着のやり方に対応出来ぬ。出発前日にコンビニで高速バスのチケットを買い、当日行く足で帰りの新幹線をチケットショップで買う。これで(7千円程度浮かせて)向こうでの飲み代を確保して「得した!」としていたのだが。
久々ということもあって便を確認しようと事前にコンビニで調べてみたら高速バスチケット、サービス休止中(1年も..)。駅前に出たので買ってしまおうと寄ったチケットショップでは「ご存じでしょうが」回数券が2年ほど前に廃止になり、今は株主優待券で割引を受ける形で、現在「売り切れています」と。3年行ってないからご存じでない。何だかいろいろ変わってない?
ネットで確認すれば高速バス予約は簡単ながら「会員登録」して申し込め。新幹線もネット予約で各種割引も「会員登録」して「カード決済」。年イチで使うかどうかのサービスに個人情報渡すの??
旧来のやり方でも中身は同じ。名前も電話番号も律儀に正直に打ち込んでいる。何より、そもそも直前になってからテキトーにチケットを求め、満席ならいいよ、フリーで新幹線飛び乗りゃいいんでしょ、というザル具合で臨んでいた身からすれば「ケチるのに何をこだわっているのよ?」と言いたくなる。
しかしながら、匿名性を重んじてきた価値観がどうしてもビジネスライクなギブアンドテイクを否定する。
「その時限りの取っ払い」に労力は惜しまないけど、「次回もお願いしますね」という「囲い込み」に窮屈さを感じてしまうのである。足元を見られるとは言い過ぎだけど、余裕があるなら使わない。何故なら「何時何分に乗って何時何分に到着」というスケジュールを立てたくないから。18時集合にドンピシャな便を探して直行、18時着になるために15時発に乗る。これでは「早上がり出来たからもっと早く行けるど」「帰って寝るだけだろ、もう1軒寄ってこぜ」(出演某佳那氏)に対応出来ぬ。
行った先で目一杯楽しみたい、イレギュラーも含めて。この為に出来る限り「フリー」のやり方でかつ「お得」に済ませたいのである。
スマホで決済すれば家に居ながら用済み。一番手軽な方法に思えるが全て「事前」であって「直前」ではない。その日の状況で変更が効かないのである..。気まぐれの事前調査で時代の変化を知り、対応しようと窺えばすでに悉く手が付けられてしまっている。「残席3」「売り切れ」の結果に翻弄され、半月も前にチケット売り場でバスチケ予約購入、チケットショップ回って株主優待券確保と、ものの見事に無駄な労力を割いている。スマホでやれば割引にポイントが付いて、わざわざ現地購入しなくとも..反論の余地は無い。
コスパタイパ、効率良いに越したことは無いと思っているんだけど、無駄する意味って何か無いものですかね。

初日。3年以上ぶりに再会の機会訪れるも平日だからスケジュール的に厳しいのでは。案の定「急だよ!」と返ってきたが都合付けてくれて「翌日も仕事だから会うだけなら」。
学生バイト時代からフリーターを経て都落ちでも縁は途切れず、気付けば人生の半分以上の奇しなる縁。会えばやっぱり話は尽きなくて、ファミレスにして正解。結局LOの22時まで3時間超あっという間。帰り未練がましく缶コーヒーを片手に駅の反対側の改札までブラブラして今回はひとまずここまで。
帰り際「あ、こっちの改札で良かった?向こうの改札どっちだった?」と気を使われる。「え?別に何でもいいよ?」と流したが、この辺りが都会の感覚だと思った。
つまり常日頃使っている交通機関だから降り口を踏まえた車両に乗るのがベストと染み付いている。電車乗るのも何年ぶりの身からすればどの改札から出たらいいのかなど降りてから確認する話。逆だったら歩けばいいじゃないとしか思えない。
この「満ちているから選んでしまう」というのが都会だと初めて気が付く。今まではお街というのはそんなものとしか思っていなかった。自身もそういう場所に住む都会っ子だとばかり。駅を降り、ホテルへ向かう道すがら。目の前にスーパーがあり、コンビニは勿論あり、飲食店も溢れかえっている。どの駅前もそんな規模である。どこでも住める、夢の環境。
話題にもしたが、こちらは近場旅行でついに部屋飲みするのに車で買い出しに行かないと何も出来ない宿にも泊まった。山奥の温泉地ではない、市街地のビジネス泊でこの環境である。選択肢が限られていれば否も応も無い。
都会はどうとでもなる。スーパーは閉まっていたのでミニスーパーへ。いつものラインナップがお出迎え。旅先だし、贅沢にいこうと総菜を眺め回すも独りなので結局は最近のお気に入り、総菜パンと酎ハイをカゴに入れる。それで充分と知っている。ただこれが、この環境が日常になってしまえばやっぱり「たまには」と目移りしてしまうだろう。一杯飲っていくか、テイクアウトしていくか。選択肢があるからの自由。充実するだろうがそこには対価が求められる。ここが問題と、翌日も同じ感覚を覚えた。

二日目。朝食をのんびり食べてから出掛けようと目論んで、一時間以上放浪した挙句駅そばをものの1分で完食し電車に乗る。前回と違ってスマホ「有る」と言うのに..ロクに調べもせずでいつもの展開から半日遊べて戻って来れば気分はご褒美タイム。朝出来なかったサラダバーをガツガツ食って、ビールとソーセージ辺りで祝杯を。朝からここはと敬遠した格上ファミレスを覗けばそもそもサラダバー、やっていなかった。予報通り雨が降っていて、折りたたみ傘では少々心もとない中、フラフラと灯りに惹かれ彷徨えば、聞いたことない名前の店だけど、店頭でサラダバーとあったので階段を駆け上がってみれば何と、2980円ですと!?
それだけあれば..スーパーに流れればカップサラダ、ポテサラ半額タイム。これでいいんだって!
それだけあれば..居酒屋のボウルサラダを思うさま。たまには外飲みでもとも思ったけれど、やっぱり自分一人にそこまで出資したくも無し。トリキ、入ってみたかったけどね。
ここでまた、昨晩と同じ感覚を覚える。都会は満ち、溢れているからおこぼれもある。いわゆるディナーサラダで、トッピングにはローストビーフやシュリンプなんかがあるのだろう。それらをトリュフソースで頂く、値段相応のものが出てきたに違いない。酒込みで片手以内なら似たり寄ったり、背伸びし過ぎではあるまい。しかしその金額だったらこれも出来る、あれも出来る。選択肢は無数にあり、それが出来る環境がある。非日常が色々あるけど日常も存在する。
スーパーはお酒コーナーが閉まっていたので昨日のミニスーパーに再び。スーパーで買った生ハム、朝食用の総菜パン、こっちでも売っていて20円安い..失敗した。この感覚で眺める都会に、憧れるのは「スーパーもコンビニも宿の目の前にあっていいなあ」くらいである。結局「いつも通り」2000円で晩酌と朝(軽)食を買い込み、半額で500円得したわあとレシートを見て悦に入る。
住めばやっぱりこうはいかないだろう。本日の行動は旅先と思えば相応だが、暮らしていれば行きたい場所の目の前に住めるはずもなく交通費、滞在費、食費..休日の暇つぶしにしては豪勢が過ぎ、近場でウダウダして自炊でいいか、となる。しかしどれだけ中心から離れても都会、ピンからキリまで揃っていれば選択肢に入ってしまう。たまにはいいか、いつもの総菜もう飽きたわ、と思ってしまえば贅沢もしたくなる。先立つものが必要になってくる。
選択肢が無ければ惑うことも無い。不便、不自由、制約があるからこそ制御出来る。都会暮らしに疲れるというのはこういうところからも来るのではないかなと、久しぶりの人混みに酔いの思考。

三日目。日が差したと思ったら真っ黒い雲に覆われるなど、本日も荒天気配の中、BBQ「やる」前提で予定通り。13時着と調べれば11時44分でピッタリと出たので、それでも駅までの何分が読み切れないから念のため。30分に出れば間に合う見当のところ15分早く出る。乗り継ぎ駅で待てば間違い無いから。すると乗り継ぎ駅、早速列車がやってきたので待たずに乗車。結果的に15分早く着く。指定された列車の何と「2本」前だった。10分を切る間隔で走っている。駆け込み乗車が無くならないのはこの即時性にあるのではないかな、と思う。数分おきに走っているから皆が望むのは待ち時間無し。ジャストに乗ってジャストに着きたい。だから今まさに出そうなこの列車が乗りたかった便、次は数分後だがそれでは遅刻になる。その数分前に乗れば到着先で待たねばならぬ。
ここ10年で私が(地元で)電車に乗った記憶を辿れば。1時間に1本だから少なくとも10分は余裕を見て家を出る。帰り駅にたどり着いたら出発が20分後だったので、その後のダイヤを調べておいて隣駅まで買物がてらブラブラ歩き飲み。1時間後の便に乗る。この感覚だから待つのは大前提である。生活レベルは変わらなくとも、都会はタイムイズマネーの域に達している。良し悪しは分からぬ。
15分早く着いたからホームのベンチでのんびり「着いたよ」と入れれば5分後「おう!ちょっと押してるわ」と返事。「買い出し寄ってからだから駅で拾っていく」予定がいつものパチ屋でプクイチしながら「家向かってしまうぞ」「それでいいか」という結論に。寸暇を惜しむビジネスマンもプライベートならまあ、こうなるわな。
BBQは素人全開。始めてみれば「トング、要るな」。割りばしではひっくり返せぬ。家にあるが持って来ずで、売店に売ってるだろう。ちゃんと売っている。250円也。無ければどうしようもない、当然用意されているグッズではあるのだが。家にはすでにある代物。そしてまた数年経ち、今回と同じく「バーベキュー行ってみるか」と思いついて始めてみれば「トング、要るな」となるに違いない。
肉の種類も分からず、冷凍の牛バラを焼いてみれば「牛丼の肉だ」。フランクは表面だけ真っ黒コゲ。上空をトビがフェストムのように旋回し、一度奪われる。日が差し込むものの突風吹き、すぐ近くまで真っ黒な雲が迫っている。
これが実に楽しいのは、やっぱり大勢で外でワイワイやりながら飲み食いしているから。はあ〜、何年ぶりだろう。1時間ほど、落ち着いてきたところでバラバラと落ちてきて大慌てで撤収。皆濡れネズミになりながらいいイベントとなりました。

最終日。朝食前にフラリと散歩に出るのは起き抜けの缶コーヒーを日課にしていた時代の名残。すでにその習慣は無いので必要もないのだが何となく出たのは帰りの宅配の用紙を貰って来ようくらいのもの。ついでに覗いたのは日用品コーナー。使い捨て歯ブラシ、手ごろなの無いかな..?
ホテルのアメニティで賄える、その目論見が潰えたのは2日目の帰宅後。清掃が入らないは了解済だったがまさかタオル歯ブラシに至るまで替えませんとは..。割箸と同じ、持ってくれば良かったとは後の祭り。だから使い捨ての3本パック、あるけど残り2本は重複だし。近くに100均があるのでそちらも見てみることに。
100均に行けば100均なんだが本当に2桁売価って無くなってしまったなあ。しかしコンビニの所謂市販品と違ってチープな使い捨て上等といった感じの商品にホッとする。幅広の、使い終わり清掃ブラシにでもなりそうなものをチョイス。流れで止まったのはマスクコーナー。個包装の、今回で使い切った。これもまた今日この場で無くて良いのだが、たまたまあったので買っておく。
これらを持って帰宅すると「歯ブラシ?マスク?言えよ!えっとあるが!」
全国飛び回るビジネスマン、アメニティなど余っているのは当然。マスクは単なる買い置きだから良いとして、ここに至らなかった思考に愕然。気まぐれで缶コーヒー飲んだと思えば安いもの、なんて考えだったが歯ブラシ、置いていかれて「掃除にでも使って」と言うならほんとの使い捨て貰って捨てた方が親切だったんだ。
昨日のトングを笑えない。私もまた消費社会にどっぷり浸かっている。

昼過ぎて、恒例去り際の一杯どこ寄ってくかとなる。駅前ファミレスでもいいんだけど、折角だからと昼飲みのメッカへ連れていってもらう。行きつけの店はザ・居酒屋で肴が豊富。居心地の良い店で長居のスタイルは変わらないのだけれども、本来はジャンクでサク飲み、ハシゴして〜(小峠参照)だから正直聖地のディープさは感じない。値段も相応。魚は小さくなった。
しかし2リットルペットでお馴染みの酎に嬉々としてから熱燗を1升も飲ればご陽気極まれり。魚、野菜は頂いても肉を食わぬとは年喰った。1年以上ぶりの外飲みであったが全くタイムラグは感じなかった。567禍、乗り切ったか。独身貴族を気取ってコッソリ会計を済ませると、お釣り98円のところ100円玉が返ってきて「大将!ご馳走様!!」。レシート上では出て来ぬドンブリ勘定。分かってらっしゃる呑兵衛の街。
結果3時間以上居て、指定券を予め買わないスタイルの甲斐を発揮。時刻もよく分からぬまま列車に乗ると酩酊状態で一駅乗り過ごす。流石アラフィフ、やってくれるオレ。土産を物色するのに充分間隔を開けていたから新幹線には間に合う。行きとは段違いのスピードで先々をすっ飛ばし、転寝する間もなく到着。早い!!!吉田戦車が『出かけ親』(小学館)で言っていた、「おおお爽快!この気持ち良さはアレだアレ!なんかスキーっぽい!!」を体感する。

かつての上司で休みがあれば京都に行く方がおり。大学がそっちだったとは聞いていたものの出身でもなく「お気に入りの嬢でもいるんじゃねえの?」なんて邪推していましたが。歓待してくれる相手がいるということはそれだけでかけがえのないものだとようやく気付く。



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