GRANDSTAND PLAY Vol.25 (03.12.12)


『我が青春のリングス』         いしがきゆうじ

楽しくなければサッカーじゃない、とわたしは二か月程で高校のサッカー部を辞めてしまった。練習がきついからではなく先輩が嫌いだったのだ。ほどなく自宅と学校の往復生活が始まった。菓子をつまみながら今は亡き婆ちゃんと『水戸黄門』を鑑賞するのが密かな楽しみでもあった。サッカーはアルバイト先のかまぼこ屋にあるクラブで細々と現役生活を続けるにとどまった。それが高校一年の話。
二年生になると「どこかに籍だけでも置いた方が良い」という担任のいうことを聞いて新聞部に入部してみたがわたしは何一つここの活動には参加しなかった。
三年生。ただのプロレス野郎だった私とジンは考えた。部活の在籍名簿を見るとウェイトリフティング部のメンバーは幽霊部員(ヤンキー)ばかりで活動は休止状態も同然だった。おまけにこの年から部の顧問は、一・二年生のときにわたしがお世話になった学級担任が就任していた。新しいことを始めるには絶好のチャンスだった。申し訳ないが人のいい新任顧問には犠牲になって頂くしかない。
プロレス部誕生である。ウェイトリフティング部を再建するにあたって最適な人材が揃ったことを顧問は喜んだ。わたしとジンと早坂のプロレス野郎、格闘技好きで町の空手道場にも通っていた菅原の合計四人が名簿に名を連ねた。それに吹奏楽部で中学時代に柔道経験のある`ビッグバンバン`野上と空手部のはぐれ者、今野まで加わり、我がプロレス部はいきなり活況を呈した。なぜか二年生はいなかったが、一年生が3人入ってきたのでパシリまで獲得することができた。
当時のマット界はプロレスから格闘技に身を転じた、前田日明が起こした『リングス』の人気が盛んで、総合格闘家が集まる我がプロレス部のスタイルにもすぐに影響を与えた。時代に敏感な我々は部名を『リングス仙商(仙台商業高校)』に変更した。もちろん公称はウェイトリフティング部だから、現われては大会への参加を促す顧問をたぶらかすには苦労した。
体育館の軒下に居を構えたわたしたちは、はたから見れば相当に不思議な集団だったのだろう。我々が来たせいでトレーニング室の縮小を余儀なくされた野球部が、何事かと壁のすき間から覗き込むのもショッチュウだった。そのことが私の高校野球嫌いの一因を担っていることは否定できない。あの時代遅れのサル坊主、野球軍隊の気質が大嫌いなのだ。とはいっても野球部にも仲のいい友達は何人もいたが。
菅原がベンチプレスをしているそばで一年の`ガリガリ君`川口がヒンズースクワットに勤しんでいた。早坂は制服のままプロレス雑誌を眺め、ストレッチで体を解す者の隣では、頼まれもしないのにわたしが若手に稽古をつけてやっていた。たたみ四畳のリングを処狭しとスパーリングである。決まって`ビッグバンバン`野上は稽古にちょっかいを出し邪魔したが、彼がここのムードメーカーであることは間違いない。今野は空手部よりもこちらの居心地がいいようで、常に胴着に身を包み手加減なしの蹴りを披露してはひんしゅくを買った。なにはともあれ鍋料理みたいにそれぞれの個性を発揮しつつも私たちはひとつの鍋にまとまりいい味を出していた。
情熱を傾けていれば好機は訪れる。別の高校に進学した中学の友人がオファーを寄越した。「文化祭で学生プロレスをやるから出てみない?」
私たちは一、二度相手校に自転車で通い合同練習すら行った。いい試合を見せるには打ち合わせが必要なのだ。人前でプロレスを披露するとなると自分だけがいいところを見せようとする余り、噛み合わなくなるか、ガチンコに発展して血を流し、学校やPTAからお叱りを受けるはめになる。それだけは避けたかった。幸いにも相手校の連中はプロレスに理解があったから事はスムーズに運んだ。
このプロレス大会に参加したのは、わたしとジンとガリガリ君、それに空手部の今野だ。吹奏楽部の野上もリングアナとして加わった。文化祭当日には噂を聞きつけた友人等が十名程駆けつけてくれた。こいつらが大騒ぎするものだから、非公式ながら学校対抗戦のムードが一気に高まったのだった。
メインイベントに登場したわたしとジンに心強い声援と罵声、ブーイングが浴びせられる。当然、敵地での闘い方は熟知していた二人だ。汚い手を使って観衆をヒートアップさせる。プロレスを見るレベルでは我が校が一枚上手なので、そんな闘いぶりにも友人等は大喜びしてくれた。いや〜今考えると無茶をしたものである。

〜
24歳のとき無職だった私は口ヒゲを伸ばし始めた。すると面白い発見があった。今までいかなる状況下においても決して道を譲ろうとしなかった。学生さん達がスルリと半身になって道を開けてくれるようになる。私はただいつも通り歩いているだけなのにどうしたというのか?以前は100%常に私が体勢をずらして彼等の道を作ってあげていたのだ。(トラブルを避けるにはそれしかない)もう一つ、コンビニのレジの対応が極めて改善される。なぜだろう?思い当たるのはヒゲを伸ばしたぐらいのもの。ふむふむ。所詮、人は外見で判断されているということだ。29歳になった今年再び口ヒゲを伸ばし始めるとまたまた新発見があった。なんと今度は女性が好意的な視線を投げかけてくれるのである!これは事実なのだ。私が気付かないときも「なんなのよあの女子校生?あなたを見つめてたわよ、キキキーッ」とナオミが嫉妬する程だ。紳士諸君、是非お試しあれ。

「言葉を探すのに苦労するようならなにかが間違ってるんだ。直感を信じろ。浮かんだら引っこめるな。つまずいたら立ち上がってやり直せばいい。詩なんて、汚れた布巾みたいなもんだ。自分を笑い飛ばしながら退場するさ」
(チャールズ・ブコウスキー)
毒々しいインスタントコーヒーをすすって何時間もワープロの前にたたずんでいると、この飲み物は自分なのではないかと思えてくる。覗き込んでも視界はゼロ。ウィスキーやワインボトルと比べ、ずん胴でちっとも美しくない瓶から生まれるこのどす黒い液体には、せいぜい眠気ざましぐらいの効果しか期待はできない。そうして一睡もせず二日目の夜を迎えても、私は言葉を紡ぐのに苦戦を強いられている。金曜の夜の仙台。私がしたことは大勢の観光客に紛れて老舗の牛タン屋で夕食を平らげたことぐらいだ。夏に聴く「赤鼻のトナカイ」、冬に聴く「サマータイムブルース」笑い飛ばす勇気すらない。
 

『自ら歌え、鎮魂歌』

カントリーは金にならない
四百円で高価買取のはずが
カントリーだと二百円
背に腹は替えられぬ
九十四枚の思い出よ
さようなら

それは十日前のことだった
俺はいま
ユニクロの特大サイズの袋に
百十枚の些細な泣き笑いを抱え
中古レコード屋に来たところ
十日前とは別のレコード屋に

カントリーは金にならない
査定の結果は6800円
百十枚の大半に
値段がつかなかった
哀れそうに見つめる女性店員に
俺は丁重に礼を述べた

噂では
その中古レコード屋の
オーナーは
家賃収入で食べている
その中古レコード屋は
赤字続き
税金対策の切り札だ

俺はいま
十日前と同じそのレコード屋で
足下を見られている
カントリーは金にならない
四百円の高価買取が
カントリーだと二百円
6800円よりましということだ
百十枚 七十人の歌うたい達よ
俺の幸福を歌え



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