狩りのシーズンにヘラジカの格好をして森に入る   10ten

(初出:第211号 15.1.20)


年末の慌ただしい朝、新聞でふと目に付いたのが「711限定 元日発売の週刊文春特別号 丸々一冊 東海林さだお タンマくん」の記事。年末年始の雑誌発行(発売)は業界タブーなんだがコンビニ限定で今年は出しますと。何より東海林さだお、久々。丁度大晦日は9勤のラストで元日は休みのシフト。どうせ年越しは仕事で迎えるだろうし、帰りに買って一杯飲りながらダラダラ過ごす絶好の肴を見つける。それだけを楽しみにして目が曇る。
当日は何だか順調で日付の変わる前に帰路につけた。とはいえすでに11時半は回っている。元日発売を大々的に謳っていたから、24時間営業、もうレジ前に大陳されてるんじゃないの、と個人的にはジャンプと同じ扱い。そこでガッツリ降り積もった雪も気にせず途中で立ち寄る。しかし本棚から新聞受けまでしげしげ眺めてみても影も形も無い。うーん、まだ早いのか..。
諦めて適当に買い物し、車に戻るとここで新年を迎える。家に向かいながら、しょうがないから日中出張るか、いやしかしこの雪の中雑誌を買うだけで出歩きたくないな..近くに7無いし。正直この帰り道で決着を付けたい。雪が降り積もり、とっとと帰宅した方が良い状況なのだが思い切って家を通り越し、一番近くの7を目指すことに。すると。
一本道でずっと前を走っていたトラックが7で停まる。横につけ荷台を何気なく眺めると..○○書籍って、書いてある..!!
これはつまりそういうことじゃないの?ずばり納品タイミングに来店したんじゃないの?と、まずは凍える寒さの中状況を把握しようと外の灰皿で一服しつつドライバーさんの動きをチェック。やっぱり荷箱を抱え店内へ、そして雑誌コーナーの前に、置いた!!
昨年(30分前)は残念ながら店頭に並んでいませんでした、しかし年を越えてすぐに(しかも目の前で!)お目当ての雑誌を入手出来るとは、こいつぁ春から縁起がいいねえ!
思わずワンカップ、追加。
喜々として帰ったものの、翌朝酔いも醒めて布団の中でぼんやり考えたのは、元コンビニ店員としては当日売りの雑誌が深夜に配送されるのは常識で、ましてあの大雪、0時過ぎに納品された店に行ったこと自体は奇跡と言えるけれども、冷静に考えればあの時間に探し回ってウロウロしたのは愚行だったかなと。妙な回り道して事故らなかったのも幸いと言える。つまりすでに今年のラック、無駄遣いしてる!?

コンビニの、雑誌ネタをもう一つ。自分が居た頃からすでに導入されていたので、今では数世代も進歩しているのかな、販売数と発注数を連動させるシステム。単純に言うと1冊売れた雑誌は次号2冊入る、逆に3号1冊も売れなかった雑誌は入らなくなる、という仕組み。これに、かなり悩まされている。というのも、出勤時には「必ず」立ち寄るコンビニで4コマ誌を立ち読みするのは私にとってルーティンなんだが、ラインナップが減り続けているのだ。
勿論読んでいるのは私だけではない、買っていかれる方もいるはず。実際3冊まで増えたものもあったのだが、昨年末時点で、おそらく月に出ている半分の4コマ誌がこのコンビニから消えた..。まま、常に何かしら1誌は並んでいるからひたすら読み込んでいればいいのだが、並んでいないものについては別のコンビニでチェックしなければならぬ。それが帰宅途中だったり休日だったりすると、立ち読みは面倒だと買って帰る。普段立ち読みせぬ(立ち寄りもせぬ)コンビニの、ラインナップが充実してくる..。
あのお客さんのために、4コマ誌は全部並べてやらないと。なんて店長さん、思ってくれないかしら。こちとら行動パターンが完璧に決まっている典型的な常連なのだが。

スマホも持たないからゲーム課金の悩みなど無く、全く他人事だと思って新聞の「ネット依存」についてのシリーズを読んでいて、ふと思い当たる。「無目的なネット視聴」は身に覚えがある。引っかかってハマるコンセプトに行き当たるまでは、つべはダラダラと眺め続けていく日々が続いている。これは依存につながる因子じゃないか。という事で、用の無いネット接続を控えることにして、録り溜めがかなりの量になってきた(めちゃイケ2ヶ月観てなかったり..)テレビ視聴に切り替える。そして折よくスカパーの10日間無料が始まったので、バラエティ消化だけじゃなく、ドキュメンタリーもひたすら録っては過去分をとにかく観ることに。
敷居の高さから観始めの腰が重かったものの、観出せば実に面白く。海外のサイエンスものって、高尚だけど秀逸な作りが多い。あ、優秀なものが海外でも放送されるから、質の悪い番組も無いわけじゃないのか。いずれにせよ日本にいれば海外の上質なドキュメンタリーばかりが観られるわけです。
UFO特集も単なる映像集じゃなく、それがトリックかどうかの判定まで付いた番組が..これは公共放送制作のものでした。お陰で目からウロコが取れ、ロマンが無くなる。映像トリックではなく、カメラ撮影の特性が裏目になった、人間の脳が解釈してしまった、UFOのように映る(見える)飛行物体。
先日夕闇にブーメラン型の飛行物体が高速で空を横切るのを目撃。知っていれば何のことは無い、あれはガンの群れ。同じように、高校時代部活で見た、夕焼けの地表を漂う光る物体も、飛行機か蜃気楼。これらはすぐに「疑わしい」と分かっている経験だが、唯一、浪人時代、飲んだ帰り道、坂を上る途中で見上げた空に飛んでいた?浮かんでいた?物体を自身では密かに紛れもないUFO体験と長年思い続けてきた(割に細部忘れてますけど)んだが、これも番組の解説を聞いているとどうやら..。やっぱり墜落したUFOを発見するくらいじゃないとUFO見た事ある、とは言えないようです。
しかし宇宙の話になると、宇宙船が地球に飛来していない方がおかしいという。寧ろ侵略目的で来訪してきた場合、我々人類が取るべき道までシミュレーションしているレベル。
もう、何かUFO映像が本物かどうか論じている場合じゃなく、どう迎える、対応したらいいかを話し合う時代なんですね。そんな壮大な話の中で、自分がUFO見たことあるよ、とちょっと特別な存在に感じることが出来なくなったのは寂しい進化。

海外CMもまた、凡百ある内の選りすぐりが紹介されるので面白くないわけが無い。今回は曲にハマる。オーストラリアの地下鉄事故死防止の啓発CM。世の中のマヌケな死に方と並べて事故死の例も同様と訴えた秀作はキャラクター化された死体群が思わず携帯ストラップに欲しくなるほどキュート。そして切々と歌い上げる曲はつべで即フルコーラスをチェック。映像と共にお気に入りに。
すっかり影響を受け、ぼんやりしている時につい、おバカな死に方を想像する。外の喫煙所は建物と土手の間の空間にある。仕事中のタバ休中に、この土手ののり面が突然崩れてきて圧死とか、実に犬死にだなとか。でもこの場合、手抜き工事も疑われて土木関係が訴えられますか。
なかなか、CMに挙げられるような自己責任100%の死に方というのは難しいものです。

新しい機器の、初期設定は説明書を読んで行うけれど使えるようになればあとは感覚に任せているのでどうしても前の、というより昔の知識でしか使いこなせていないからたまたま未知の領域に踏み込んで「へえ、こんな機能あったんだ」と今さらながら気付くことがある。説明書に全部書いてあるんだろうけどね。特に必要としていないから最初に読み込んだとしても即普段使いに活かせるわけではない。
ところがテレビ録画用のHDD、これに今まで気付かなかったのは結構損だったなと思う機能を先日発見。自分のイメージは一昔前のビデオデッキであるから、録画中に録画していた番組を観るなんて考え自体がそもそも頭に無かった。何せほんの2代前が1チューナーのテレビデオで、録画中は他のチャンネルを観ることすら出来なかったから、留守録はともかく家にいて録画している時間というのも何となく「テレビには触らないでおこう」という経験則が働く。今や特番を録りながらザッピングしていても危機感?を感じることは薄くなってきたが、何とはなし大丈夫かな?という意識が残っている。
年始の番組は午前中に観たいものも多く、2〜3日分をまとめて予約。すっかり油断して寝起きから録り溜めのバラエティを観ていたら録画時間に。画面にガイドが現れるがバラエティの方も大盛り上がりの最中。今までなら慌てて止めて録画開始に合わせるところ。今回はたまたま、録画が始まる直前にこっちが自動で止まるんだろう、との解釈で、ギリギリまで視聴を続ける腹に。すると「録画を開始しました」とのテロップが出ても、バラエティは再生されたまま。え!?本当に!?と再びザワついたものの、最悪録画予定の番組は再放送ありきのものだから録画出来てなくともいいやと。バラエティの最中に録画は終わり、観終わってリストに戻ったので半信半疑で今録った番組を探してみれば、ある!
これを知らぬまますでに1年が経とうとしていた。録りながら録っていた番組を観られるとは、今まで結構それで別に観たくもない裏番組を数々流し見していた。録り溜め消化していて良かったんだ。
アナログのイメージで別に困ることは無いが、こうやって徐々に新基準から引き離されていって、気が付けば機械の前で固まる歳になってしまうんでしょうね。

というわけで、観ては消しの繰り返しで順調に消化しているドキュメンタリーに変わり録画リストの下に溜まりだしてきたのは映画。これもまた、腰を上げるのに難儀なジャンルなんですよねえ。


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