大食漢の本懐遂げる。やつれて半年、食べ放題もそれぐらい行ってなくて、歳を考えれば食細くなってしまったのではないかと思っていた。1月、隊長との新年会は久しぶりに国分町で。夕方の待ち合わせで昼食に選んだのが北京飯店。数年前メニューに見かけてどうしても気になっていたつけ麺を食べたかったのだ。「メガ盛りつけ麺」は麺の量ズバリ1kg!食えるのか?と当時は思って選から外したのだが、店を出てからいつか挑戦したいと思ったのだった。で今回おそらく2年ぶりに国分町まで出てきたので、頃合良しと。券売機のラインナップにそのまま残っている、ということは定番メニューになっている、大丈夫、とやや逡巡したものの勝負。
昼過ぎの閑散とした店内で待つこと10分弱。さすがに茹でる量が量だけに時間掛かるか。呼ばれて出てきたのはラーメン丼になみなみと盛られた北京お馴染みの黒味がかった麺、もちろん極太。同じく丼で醤油だれのシンプルなつけ汁。皿に盛られた5種類ほどのトッピング、チャーシューではなく細切れ肉なのはご愛嬌。節粉が付いているのが嬉しい。これで何と460円?490円だっけ?である!
麺好きには至福の時が訪れる。極太麺、思う様噛み締めて良し、ソーメンのように思い切り啜って喉越しを堪能するも良し。好きなように楽しんだところで、丼に目を移せばまだまだ麺は残っている!気が付けば、飽きることなく難なく完食。これは、いい!!と大満足で店を出る。
2時間ほど経って隊長と合流。食べ終えてからこれは気付いたのだが、腹がズシン、と重たくなっている。さすが1kg麺、腹応えあり。ということで全然腹は減っていないものの、久しぶりに訪れた馴染みの格安居酒屋はやっぱり酒も肴も種類が豊富で飲み放題の優良店。飲むほどに箸が進み、結局おかわり自由の突き出しを追加するなどいつも通りのペース。
その後同期のバーに寄ってから解散、というのが終電のある今の行程なのだが、今回はバーを出た後もう一軒、ということに。
先日連れていってもらって、かなりハマった店、というのは後刻談。隊長に導かれるがまま訪れたのはメキシカン・バー(という感じの店)。店内は広いのだが立ち飲みに近い造りで壁沿いにミニテーブル席があり、座る。店内に響くマンボ・メドレーは雰囲気満点で、1軒目の格安居酒屋も何でかBGMはひたすら80年代歌謡曲だったし、たまに聴く音楽は心地良いなあと浸っていると、「バッファロー・チキン・ウイングのホット、とりあえず20本」。そんなに食べる方では無い隊長の口からこんな豪快なオーダーが飛び出す。ちょっと待って、確かにバーでは乾き物しか口にしてないけど、こちらは昼から食べ放題続きの状態で1人10本!?「そんなに食べられないよ〜」と、すでに酩酊しているので何でもいいけどくらいの軽いツッコミを入れる。隊長は会心の笑みを浮かべていたに違いない。出てきた手羽元の小山から、とりあえず1本。こ、これは!!?チリソースと言えばいいのか、ともかくタバスコとマヨネーズを和えたようなソースをまとった手羽が、美味すぎる!入らないどころか手が止まらない。酒はすでにリミットを迎えていて、コロナビールはほとんど減らないまま、鶏を骨だけにする作業に邁進。「もう腹一杯、というのに、これは入っちゃうんだよねえ」とハマッた、連れてきた理由を説明する隊長に、「本当だ!これは凄い!」と激しく同意。そして..「追加お願いします、もう20本」。
帰り道、前回など終電で帰られて消化不良がコンビニにての買い物に結び付いたのだが。真っ直ぐ家に帰り、欲も得も無く就寝。さすがにこれだけ牛飲馬食すれば不満などありません。
2年ぶりのルーティン飲み会はやっぱり王道だったのだと再確認した次第。個人的にはプラスメガ盛りつけ麺という大当たりメニューも開拓出来たし。このつけ麺は翌月所用で街に出た時早速再会。大好きな天一ですら2〜3月に一度のペースなのに、これは月イチで訪れたい中毒性がある。ただイカクチョウのタネ(by風来のシレン)っぽいんだよね。今年に入って腹回り、急速に戻りつつありマス。
そうして後日ようやく行けた焼肉食べ放題でもキッチリ90分、食べ続けられる。食が細くなった、なんて良く言えたもんですな。
データの移行が面倒、特に音楽ファイル(作業用BGM)がこっちにしか無いから、ということで、XPが終了してからも先代のパソコンを利用している。そしてネットにつなげたい関係上、新台も4月に入ってからようやく箱を開ける。8.1のデスクトップはいらないパネルばかり、と嘆いたが何のことは無い、設定で今まで通りのデスクトップに出来る。そこに普段使いのソフトを並べておけば、あれ、特に目に障ることはなく。タッチパネルも全く触らずに済んでしまう。さわさわ。懸案のフリーソフトも今のところ互換性に問題無いようで、新しいこと覚える必要無かった代わりに、ほんとに強制的に買い替えさせられただけという..。
データの移行はパソコン添付のものだと7→8対応しか無いので、USBメモリでチマチマやっていくか、引越しソフトを買うかの2択。金かけてパパッと済まそうかと大それた考えに傾いていたら、CPUの32bit→64bitの移行がNGとのことでバッチリ当てはまっており、選択の余地が無くなる。
そして一大決心。スマホ買うの止めました。理由は携帯でネットの必然性を感じられなくなったから。無駄なアプリのデータ更新などで一々通信量を食われる(後述)し、ゲームは結局課金ありきのようだし。調べ物ったって外出て図書館行く身がわざわざ喫煙所でネット検索?つぶやきも性に合わないとワイドショーのテロップを見てつくづく思う。寧ろガラケーのネット定額も止めて純粋な電話機に戻してやろうかと。まあメールは必要なので要相談ではありますが。
てな踏ん切りが付くくらい、最新の通信環境を整えたばかりだが、不満タラタラ。購入時に引っ掛かっていた「通信制限」、これが以前のものと比べて格段に感じるようになった。月の累積で云々というのはまだ理解できる。その為の複数持ちであり、ほぼ計算通りメインは20日前後で止まり(制限オーバーで極端に遅くなる)、サブで残りの10日間を回す。問題は「1日の通信量も制限がある」ということ。これは前回のスティックタイプの時もそうで、日を越えれば元に戻るのだが、明らかに見られる時間が少なくなっている。極端な話、ラジオ番組1本でその日はおしまい、なくらいなのだ。これでは休日に使うには辛い。要するに裏でやりとりしているデータ量が多すぎる、ということなのだ。OSの更新、プリンターのオンラインメンテetc...これらが自動的に行われている分は表に出てこないけど、着実に通信量にカウントされていく。先代はそれが、ソフトの画面で常に出ている状態だった。WEBページを開いていないのにカウントアップされていれば、どこかとつながってデータが送られているな、送信を始めていれば「まさかウイルスに感染してないだろな」などチェックする。1バイト単位で表示されるから毎回億単位の物凄い数字で注目せざるを得ず、結果通信量が計れた。ところが最新のものは今流行りのクラウド?ネット上にて管理されているので、いちいちページを開いて確認しなければならない。いざという時にもちろん必要なのだが、普段わざわざ見に行くことはない。から裏でどういうやり取りがされているのか分からない。ナイナイナイ。で、一日に使える量が減っている体感だけが残る。
これで常時接続がデフォルトの最新OSが回せるのか、はなはだ不安である。買い替え時にはさらに「お手持ちのスマホもこれを経由すれば使い放題ですよ!」など謳っていたが、とんでもない、そちらに回す通信量の余裕など無いではないか。まあスマホ、持ってないけど。
方や家の光通信は定額無制限で電源を切っていても一日中データをやり取りしているというのに、こちらはあくまでモバイル、外でチョコチョコっと使うためのものですよというアピールが益々強くなっている。うーん、家が無線LANでも引いた日には、この通信端末、2年も要らなくなりそうな。
長い前フリから、そんなわけでテレビやラジオに対し能動的になる。そうすると、近年どうも「好きなものを好きなだけ」というネット視聴に慣れたせいか視野が狭まっていたことに気付かされた。
ソチ五輪では今回カーリングを初めて1試合丸々観る。そしてハマる。全く意味の分からないルール、動き、掛け声、勝負どころetc...解説を聞きながらじっくり観ていくと、ボーリング+ビリヤード+パターゴルフといった経験のあるスポーツの融合体であることに気付き、俄然身近になる。ただその分、日本の勝負どころの弱さというか、精度の拙さというのも見えることに。代表チームが強豪になって人気スポーツになるか、ルールを知った我々が国内の試合を視聴応援して注目されることで全体的な底上げが図れるかはニワトリタマゴ。
逆に、CSの世界を知った今では失笑しか出来ない番組もある。「宇宙人・UFO・UMA」という組み合わせの特番を久々に見つけて見る。未視聴の映像など観られたのでそれなりに有益だったが、企画が茶番過ぎた。UMAとかいって海外でムダに大金使って大掛かりな仕掛け作って、アオリまくった挙句エイ釣って万々歳って。コンセプトが子供だまし過ぎる。ジェレミー・ウェイドをご存じ無いか?月イチでも無料で観られるのだが。
コンテンツの多様化は無限の広がりを感じさせるけれども、一方で食わず嫌いも産み出して閉塞感も漂う。「アメトーク」などでの狩野くんメインの回はスルー候補だったのだが、先日のチャレンジ企画で感心した。天然というのは間違いなくタレント(才能)であるなと。身体が本能的に拒絶するからどんなに受けようと考えても出てこないであろう動き、「下に足ツボシートが敷いてあるハードルをジャンプで飛び越える」をしてしまうのだから。愛されるいじられキャラには興味無いが、天然の予想外の笑いというのはちょっと見ておきたい気になった。ほっしゃんは独特の個性から、出ている番組で多少色目で見ていたことを反省したい。「すべらない話」での子供の逸話は内容、展開、オチ(というよりご自身の結論)と全てが完璧だった。MVSとなった時思わず手が突き上がった。何より着眼点が面白い、これは原点であり、TV視聴者のスタイルは元々こうだったのだ。
制限あってのガマン、イコール許容性、受容性が数々の伝説を産んできたのではないか。「いいとも」の最終回も、ウンナン・ダウンタウンの登場で思春期の記憶が強烈に呼び覚まされそこが一番泣けた瞬間だった、のは個人的な思い入れであるから置いといて。出演者が語るタモリ像、そして本人からのスピーチでは視聴者も含めた全ての人々への感謝。タモリという異才を受け入れた視聴者が作ったオバケ番組だったのだと思う。それこそ思春期にしか見ていなかった番組であるから、最終回の特番と言われてもそんなに魅かれなかったのを、一応録画しておいて良かった。まあナイナイのオールナイトでずっと話題になっていたから押さえとこうという意識もあったわけだが。見た上でのラジオだったらもっと面白かったんだろうなあ。
ただいずれにせよ、現在の司会者クラスの芸人はほんの少しの差であっても年上の方々で、見ている時代にはすでにテレビに出ている側にいたから必然、聴いている内容は受け身がちになる。一方で完全な同い年がやっているエレ片は記憶の呼び覚まされる共通話題が多い。幼少時はビデオデッキもなく録画など出来なかったわけだから、往時はそれこそテレビアニメをラジカセで録音して聞くだけだったり、ビデオが家にやってきてからも同じテープを使い回すので消す前に何度も同じ番組を繰り返し観ていたなと想ひ出ぽろぽろ。全番組録画のレグザを買った話からそんな話題になって全く同じ記憶を思い出す。そして今、フト気付いて見回してみると、自分より年下の芸人が、タレントが仕切っている番組が出てきているではないか。彼らの漫才やコントは違和感無く面白い。しかしMCを見て聞いて、楽しめる自分がいない..。年老いてテレビつまらなくなった、見なくなったというのは飽きたというより、語り手が年下になって感化共感しづらくなったからという要因が大きいように思う。これは由々しき問題である。若者のテレビ離れを我がままが過ぎる、なんて斬ってる場合じゃない。新しいテレビ、ラジオの見方をしていかなければならない年代に入っていく。
「漫画を読まないからダメなんだ」と逆説的に言う必要の無いほど、今は漫画の地位は向上しているから適当では無いのだが。こう思ってしまった。
春の高校野球、地元校が敗退する。それ自体は特に無念と思いもしなかった。翌日新聞を見て愕然とする。敗者の弁が「大舞台で緊張してしまった」「雰囲気に呑み込まれた」ですと。それでいらん点数をポロポロ取られて負けたと。イマドキそんな理由ってある?
というのも、野球に限らず現代スポーツで、「緊張していてもベストのパフォーマンスが出来るように」メンタル面の配慮を怠らないのは大前提であって、今さらお上りさんのような舞い上がる様を敗因に挙げるというのが信じられなかったから。
で「夏こそテッペン目指して頑張ります」と続いていたのだが、失笑するしかなかった。舞台にすらマトモに立てていないのに、何を頑張って勝とうと言うの?
ベストを尽くした上での力及ばぬ試合、それこそ緊張によるタイムリーエラーでの逆転負け、などを憤慨するわけではない。勝敗は兵家の常、負けてどうこうという話ではなく、別に「大舞台に慣れさせろ」と金満野球を推すでもない。甲子園で大声援で緊張してしまって..次こそは、という一連の発言に強烈な時代錯誤を感じただけである。
ただこういう発言をした当人達を責めるつもりはない。彼らは何せ若い。問題はこういう発言をさせている指導者たちだ。
白河越えを悲願としていながら優勝旗が海峡を渡ってしまってすでに10年。未だ組み合わせ抽選の時点で早々にガッツポーズされてしまう時代のままではないか。この「緊張で実力が出せなかった」話をしているようなレベルでは。
子供たちに「勝ちたかったら死ぬ気でやれ」みたいな指導をしていながら、大人たちは「メンタル指導?新しいことはよく分かりませんから」と端から放り出しているんじゃないの?それこそ「漫画ばかり読んでいるからダメなんだ」なんて思っているクチじゃないの?
現代野球のメンタルケアの重要性なんざ漫画でやっぱり10年も前から取り上げられているわけで。それすら知らない指導者、県高野連を上に持つ、部員達が不幸だなと。
別件で野球指導者の人間性を疑う事故が先日起きてしまった関係上、かなり辛辣になったが、大人たちこそ真剣に勝つ為の勉強努力を怠っては100年経っても悲願なんざ達成出来るわけが無い。
念を押すがメンタルトレーニング万能を唱えるつもりはない。必須で重要だと言っている。本気で取り組んでいないから「緊張で力が出せなかった」というしょっぱい発言が出てしまうのだ。
もう一つ例えが浮かんだので入れておく。「アフリカの才気あふれる若者が独学で2次方程式を発見した。しかし哀しいかな、先進国では中学校で習う一般常識なのである」無知を知らなければこれは他人事ではない。