なんて日だ。(あえて「。」)                 DGC

(初出:第189号 13.2.20)


これぞラジオの醍醐味、という話を久々に聴けた。といってもポッドキャストなので、ネットにつながれば今からでも聴くことが出来る。
エレ片の1月19日の回。いわゆる「ふつおた(普通のお便り)」で、ある高校生が悩みを相談していた。それなりに楽しくやっているのに、最近どうしても学校に行けず、不登校になってしまっています、と。これに対して「別に無理して行かなくてもいいんじゃない」という答えはまあ普通。そこからハッとなったのは「ただ学校の唯一のいい所はこれだけの同い年の人間と会うことは二度とない」という台詞。ああ、その通りだ、と目からウロコ。社会人になって早幾年、同期が身近に何人いるかと言えばズバリ一人もいない。友人と会うと言っても集まって10人がいいとこ。数百人の同い年と行動を共にしていた学生時代とは、それだけで何とかけがえのない日々だったんだろう、と思ってしまう。さらに話は展開して、「学校に行くぞ、と張り紙をしたりしてみたがダメだった」という状況は「かなり面白い」から「もっと悩み苦しんで欲しい。その様を知りたいから今後も送ってくれ」と。足掻く姿を客観視出来るようになればネタになるよ、とこの辺りは芸人の真骨頂であろう。送った当人はどう思ったか分からないがスーッと、心が軽くなる。劣等感にさいなまされたところで、傍から見れば面白いだけで何も大層な特別な話じゃない。寧ろそこを突き詰められれば人として財産になるじゃないか。そこのギリギリを勝負してみなよ。そんなエールにも聞こえた。
ラジオはテレビと違って声だけのメディアなので、パーソナリティー(たち)との対一の空間を感じ易い。純粋に向き合えるから自然教え諭されることも多いのだが、最近はさすがに啓蒙されることは無く、この回は本当に久しぶりに、ニーッと微笑んでしまった。
この手紙をきっかけに、ラジオ本編では「イケてないエピソードを敢えて自慢しあう」企画をすることになり、色々と盛り上がっているのだが、それはまた別の面白いお話。

こういう神回は何度でも聴きたくなるから保存しておいて正解、と思う反面、その「見直そう」とするのが問題なんじゃ!と年末またも思い至る。
年末年始の特番を、仕事でほとんどゴールデンタイムが観られないので録画しようとHDDを確認すれば残り時間は3時間弱。毎度の自転車操業にうんざりして、相当の番組を思い切って「断捨離」してみれば、残り時間など気にせずに録りまくれ、しかも「取っておけば良かった!」と後悔することも無く。さらに深夜アニメなど観終わった端から消していくと溜まることなくスムーズに消化していく。番組は次々に終わっては始まるから資料的に保存しようなど思っていたらどんどん後回しにして、結果本末顛倒。観る機会を失ってしまう。リアルタイムで観たと思えば消したところで変わらないじゃないか、とようやく踏ん切り付いてからは週3本のペースで観れている(本当は「いざとなればネットにあるさ」という保険込みの考えである→歳相応を考えてみると何も毎シリーズ青田買いするんじゃなく話題になった作品をレンタルとかで後追いすれば良いとも思うのだが)。
このペースで先日のCS10日間無料も乗り切った。勤務前の1時間を、寝る前の1時間いや2〜3時間をリアルタイムで観まくる。「うる星やつら」のデジタルリマスター版など、懐かしアニメも抜かりなくチェックしたが、今回は専らディスカバリーチャンネルで「映像で見る近代戦史」シリーズと「解明・宇宙の仕組み」シリーズを。丁度読書範囲が時代ものにようやく飽いてきて、近代戦の論評やルポを読むようになっていたから映像で補足出来るのは望外の喜び。いわゆる戦記ものではなくどちらも世界規模で各国の思惑など眺めてあるので、現在にも通ずる問題が浮かび上がり、まだ解決出来ていないということが日本にいても見えてくる。いや、日本の抱える問題であることにも気付く。一方、宇宙についての最新の情報は今やほとんど違和感を感じない精巧なCG映像によってリアルに見物出来る。また先月のダイオウイカのスクープだったり、先日の隕石落下など現実でも圧倒的なスケールの映像が観られたものだからより身近に感じられてしまう。宇宙人が存在することは疑いようがなくて、地球にやってくるとしたら時空を越えて現れるというのに、人類はまだ、同種同士で争うことを止めないまま。

今年の冬は雪がなかなか溶けない。気温が低いからで、降る量は例年とさほど変わらないのだがとにかく日陰はずーっとアイスバーン状態。行きはともかく帰りは嫌だな、と車を敬遠して自転車を乗り回すも、道路が帰り凍結しているのはどの道一緒。特に降った翌日など結局帰りは自転車を引いて、歩いて帰宅することになる。何のために自転車にしたんだか、とブツクサ言いながらも、実は結構楽しんでいる。どうせ自転車に乗れないのだからと、禁止行為であるイヤホンを付けて携帯をウォークマンに。そして一杯引っかけつつのんびりと歩けば最高のリフレッシュタイムである。まあ今時分は夕方ですでに真っ暗だから散歩とはとても呼べない行動で、しかも1時間くらいの距離を自転車に乗らず、ひたすら引いて歩いているのだから傍から見れば不審者以外の何者でも無さそうだが。その状態で乗って帰るよりは至極安全である。大人になったもんだ。というのも、その行動でフラリと寄った古本屋で懐かしい「吉田自転車」を発見。吉田戦車の自転車エッセイはすでに読了済みだが100均ということもあり再読。するとその当時(10年ほど前)、勿論文中にも違法行為であるがと断わってあるものの、あっけらかんと途中で酒を飲み(自転車で)帰るという話がかなり出てきた。自分もつい最近までそれが普通だった。けれど今は違う。時代が、というだけでなく、人を巻き込んだらどうなる、と思い至って自然と止しておこうと思えるようになった。「あんな思いは二度としたくない」、震災の教訓が活きている。
そんなこんなで今年に入ってまだ1度しか車に乗っていない。それで都内でもないのに不便を感じないのだから有難い立地である。

3連休、明けの平日なら大丈夫と思ったのだ。昨年の話になるが「東京スカイツリー」に昇るためだけに、あえて一日延泊させてもらい、必勝の態勢で臨んだ。天気はあいにくの曇り空で、降るかも知れないとのことだったので雨天中止(傘を持っていなかったから)も念頭に置いて現地到着。建設中で丁度東京タワーの高さを越えた頃見物しているが、当時はまだ護岸工事中だった川もすっかり整備され、足下にはワイドショーで見知った「ソラマチ」が構える。そして何より、人、人、人..。勿論ツアー客の存在は覚悟していたが、普通のカップルも滅茶苦茶いやがる。学生か、いい身分だな!自分を棚に上げて横目で舌打ち一つ。さて当日券の状況はと言うと、次回(次々回?)搭乗の整理券が配られている。つまり13時の段階で16時入場の権利がもらえると。整理券を持っていないとその回の当日券が買えないわけで、2〜3時間は適当にしていろと言っている。まあ並んで並んで「はい、10時の回はこの方まででーす!後ろの方は次の回までそのままお待ち下さーい!」なんてのよりはマシ。整理券は並ばずに貰えた。
隅田川からの眺めなんてのを写メに収めつつ、ブラブラしてたら意外とヒマは潰せる。圧巻の高さでどこにいても目印になるから方向感覚が怪しい私でも平気。定刻に戻るとズラリ並んだ当日券購入者の列。そして事前購入済みの列がこちらは少し先に同じく並んでいる。だ、大丈夫なの?と思ったらゆっくりとではあるが止まることなく進んでいく。30人は乗れる4台のエレベータがひたすらにピストン輸送を繰り返すから渋滞はないようだ。あるいはこれが平日の特典か。
さて雨が降らなかったから結局昇ることにしたのだが、ずばり景観は最悪。曇天の夕暮れ時では遠景など望むべくもない。それでも夕闇から夜景へのドラマティックな瞬間を拝めているのである。メガネ、メガネを、持ってきていなかった..。もはや免許は要眼鏡の身で茫洋とした光を眺めるだけに昇ってしまった。高いのは無論実感出来る。数十階建ての高層ビルがマッチ箱のようなのだ。しかし視界がぼやけているのでは高所の恐怖感は丸で無い。ただこの地上600mのフロアに現在1000人単位の人がいる、と考えると地震よ今は起きてくれるなと痛切に思う。
結局貧乏性でひたすらあちこちで写メりつつ1時間は滞在したが、完全に失敗イベントであった。これはメガネ装着で晴天時の日中にリベンジせねばなるまいと考えている。ただあの人出はここ数年では納まりそうもない。となれば、また同じ条件で上京する時に行くしかないか。またもお独りさまで来場することになりそうである。ほんとは複数で行った方が面白いと思うのよ、絶対。


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